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重要文化的景観

私は大学生の頃、史学・文化財学科を専攻していた。

 

本記事は、文化と思想、価値観について筆者の意見を綴っていきたいと思う。

 

①筆者の大学

私が在籍していた大学は戦後国立大学が開き、それに続いて宗教系や工業系の私立大学がごく少数ながらも開き始めた。

そんな中、九州の片田舎に文系のみの私立大学が開くというのは異例中の異例で、戦後すぐに開いた数少ない大学の一つである。

母校の特徴の一つに、九州中の文化財課の職員のおよそ7割から8割が、母校の卒業生という点が挙げられる。

すなわちそれだけ歴史があり、先輩方の探究心に支えられていると言える。

 

②環境歴史学

私が専攻していたのは、環境歴史学という分野である。

聞き馴染みのない分野だろう。普通、歴史系と言えば、古文書を読むような歴史学や遺跡の発掘などをする考古学がメジャーであるが、環境歴史学は比較的最近出てきた分野であり、一つの価値観と言えるかもしれない。

 

環境歴史学とは、文字通り環境と人の営みにより育まれた歴史を研究する分野である。

お祭りや衣食住など文化を研究する民俗学がとても近い分野であり、私の母校では環境歴史学の中に民俗学が含まれている。

例えば、棚田などは大昔から脈々と続いてきていたりする。それは即ち自然の仕組みを利用した遺跡と言えるのだ。そういった歴史ある棚田などで、何気なく行われてる祭りが、それに使われる神輿や和傘や衣装などを作る事で生計を立てたりする人もいたりする。

これは棚田を中心とした祭祀と生活様式が、一種の文化財であると捉える事ができる。

そういった身近な田んぼや道、祭りや職業を研究するのが環境歴史学である。

 

このように自然と人が共存して作り上げた、生活のシステム(田んぼや畑、水路)や祭りを、残すべき景観として捉えていくのだ。

特に地方の市町村は、選定されようと躍起になっている。

何せ過疎を待つただの田んぼが重要文化的景観に選ばれたとなったら観光資源になりうるからだ。

 

③フィールドワーク

先程も述べた通り、自然を利用した生活と文化を残すべき景観として捉えるため、研究は実地調査から始まる。

 

私自身、日本一歩くお祭りを最初から最後まで2日間に渡って一人で聞き取りしながら歩いた事もあるし、82歳の神社の宮司さんと共に筏に乗せられて川に落とされた宮司さんを救出したり、12月の夜中に落差30メートルの滝の淵を神輿を担いで歩いたり、海抜200メートルのほぼ垂直に切り立った岩山を鎖をつたいながら登ったりもした。

そう、フィールドワークとはとても過酷で命懸けなのである。

 

④調査後

その成果というか、調査結果を発表するシンポジウムでは、モンペリエ第3大学のアントワーヌペレス先生と共にフィールドワークの研究成果を発表したり、国の名勝指定を貰うための調査をおこない、名勝の指定を貰えたらもした。

しかし、こうやって上手くいくのはごく少数で、ボツになる事が殆ど。

命をかけても大した成果に繋がらないことの方がザラ。

その点ではむしろ遺跡を発掘する考古学などの方が目に見える成果が多いかもしれない。

 

重要文化的景観に触れて

生活の一部がいわゆる文化財のような扱いを受けるという事だ。

それ自体は素晴らしく誇らしいものであるが、綺麗事だけではない。

生活が文化財と言うことは、良くも悪くもその生活を変えると言うのが難しくなってしまう。ただ、何も悪いことばかりではなく、文化的景観というより、いわゆる文化財として指定を受けていれば補修費の数十%は国なり県なりから受けれるので、むしろ指定された方が改修などの負担は軽くなるだろう。

だが、日々生活が便利になっていく中、従来の生活を続けていくと言うのは大変な部分があることは想像に難なくない。

 

例えば別府の湯煙。日本有数の温泉地だが、その湯煙の活用法が重要文化的景観に指定されている。

温泉の蒸気を利用した蒸し料理や、温泉を活かした湯治や宿泊業、硫黄や明礬の生成などが主な選定理由だが、実際それらを現在生活の主流として利用しているかと言われたら殆ど形骸化している。

別府在住の殆どの家庭は沸かし湯であるし、蒸気孔を利用した蒸し料理も観光客に対するサービスとしての面が強く、ガスを使った料理の代わりに使用している家庭は殆どない。(実際は温泉の所有権などの問題もある)

これはつまり、別府の温泉を利用した生活よりもオール電化やガスを使った生活の方が楽で簡単でマイホームを持つ際にも様々な手続きがスムーズに進むため、温泉を利用した生活をしている人が少なくなっているのだ。

文化的景観を守ると言うことは、これら便利な生活を一部諦めなければならない。

つまり、いくら文化財重要文化的景観といえどそこに人が住んで生活している以上、その生活様式は移り変わる可能性があると言うことだ。

 

⑥守るべき文化などない

私は文化財や自然や生活の中に重要文化的景観を見出し、保護して、活用する立場にいた人間だが、それに触れてわかった事がある。

 

それは、何かを犠牲にしてまで守るべき文化などないと言う事だ。

 

そもそも、数百年前と今では生活水準も価値観も何もかもが違うのだ。そんな大昔のものを残す事が、そもそも不可能と言える。

 

田舎の方で育った人なら誰しも、行きたくないのに、自治体の祭りに参加させられたり、大して美味しくもない節目料理(お節など)食べたりした経験はないだろうか。

そのように、何かを守るためには何かを犠牲にしたり、我慢したりしなければならない。

 

重要文化的景観であれば、棚田や自然を利用した生活システムなどが守るべき対象である。

しかし、物事はそんなに簡単ではない。例えば、棚田などは田んぼを何枚か一つにして農機を使えるようにし、維持が大変な場所の棚田などは放棄するなり、簡単な畑にするなりした方が楽で簡単で効率的だが、そういった変更が出来ないとどうだろう?そんな生活はストレスが溜まるだろうし、不便を強いられる。

 

そもそも数百年前は不便でもその生活をするしかないし、不便なりに何とか生活が楽になるように知恵を使って様々なシステムを考えだした。そのシステムを今重要文化的景観として扱っているに過ぎない。

時代が進み色んな機械ができると、色んな改革が実行されていく。

それ自体は悲しく虚しい事であるが、人間も地球の一部である以上、変化するものであり、不便なものや不必要なものは淘汰されていく運命にある。

そういった観点から見ると重要文化的景観の保護というのは、人が便利になるようにおこなってきた改革に真っ向から反対するものなのだ。

つまり、文化を守るという事は生活を便利に、より豊かになりたいという人の改革を否定するものであり、そもそも残すべき文化というのも、その文化が生まれる数百年前の生活や文化を淘汰した上に成り立っているに過ぎない。

 

勿論、守れるのならば守って行った方いいし、日本の何処かには高純度の文化を保存する集落や人たちがいた方がいいと思う。

しかし、そこに住んでいる人達の気持ちや生活を考えていかなければならい。

田舎の方では、外部の人間を巻き込み、保護に協力しなければ人にあらずのような感情を持つ人が一定数いるのも否定できないし、「え?これだけ貴重なものなら守らないと!受け継がないと!」など簡単に言ってしまうのが、我々歴史系の人間だったりする。

 

しかし、その裏では参加したくない祭りに参加したり、行きたくない寄り合いに行ったり、しないと村八分にされたりする悪しき風習や集団からはみ出る恐怖や、嫌々に参加するストレスによって怨嗟が生まれる原因にもなったりする。

これを生み出してまで守るべき文化はないと、私は思うのだ。

 

守りたい人、守れる人に任せて他の人は自分たちの生活を優先してほしい。

そしてそれを快く肯定できるような価値観を沢山の人に持って欲しいのだ。

そのバランスを持って研究や文化財保護をおこなうことはとても難しいが、これから歴史系を志す人は、どうかそういった視点も失わないで欲しい。