spriteの考察日誌

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女性は女性の価値を低く見積り過ぎている

 

女性は男性とセックスする時、「減るもんじゃないから」「女側も男を食ってやったと思ってるよ」と言う。

果たして上記の言い分は正しいのか?男側から見た時の女性の価値について綴っていきたい。

目次

 

① 女性は金や宝石よりも価値がある

男にとって女性は金や宝石、株や名声よりも遥かに価値が高い。

例えば億万長者がいたとする。数兆円の資産を持ち、テレビに引っ張りだこで、この世でその億万長者を知らぬものなどいない。しかし、私生活でも仕事においても女性からモテない。もしこんな億万長者がいたらあなたは羨ましいと思うだろうか?答えはノーだろう。いくらお金があって地位や名声があっても女からモテなかったら意味はないのだ。少なくとも男はそう感じる。

 

つまり、女性というだけで価値が高いのだ。男にとって、女性は金や宝石もよりも価値があるのだ。仮にいくら金や地位があっても女性に選ばれないならその金や地位になんの意味もない。これは男社会独特のものだろう。男社会において金を稼いだり名声を得るのは最も分かりやすく簡単に女にモテる為の求愛行動だ。それ故に金持ちでも女が寄ってこなれけばその金持ちは価値が下がる。一方でブサメンで低収入でも妻がいれば一目置かれる。これが男社会だ。

この時点で女>男の図式が成り立つ。いかに男がイケメンで収入が高くても女にモテるかモテないかで男社会における男の地位が定まる。

 

 

② 食われる女性

男社会において女性は金や地位よりも価値が高く、男が金や地位を獲得するのに執着するのは女性に対する求愛行動に過ぎないと述べた。そうなると自然に女性側の男を食ってやったという主張が成り立たないのが自ずと分かってくる。

 

男よりも金よりも地位よりも価値が高いのが女である。女性というだけで少なくとも男社会においては男性より価値が高いのだ。そんな女が男と寝たら、その男と他の男からすれば「あの美女、あのレベルの男と寝たんか」と自然と認識される。芸能人ならばあの美女、鈴木亮平と寝たのか、凄えなと女性の価値が更に上がり鈴木亮平美女を抱いた男として価値が上がる。

だが、そこら辺の街中イケメンと寝たならあんなヤリチン臭い男と寝たのか、まあそんなもんかと相対的に女性の価値が下がってしまう。それ故に男側からすると女性の男を食ってやったという考えが認識しづらく女性が寝た男によってその女性の価値も決まってしまうのだ。

 

男社会において女性は金よりも価値が高い。それ故に男社会において上位層の男以外と女性がセックスしたらあの子、あんなに美人なのにあのレベルの男と寝たのかと他の男から認識される。だから男は「女を食ってやった」「あの子は食べられたんだ」という認識に陥る。

つまり、価値の高い女が価値の低い男に抱かれた、蹂躙されたという認識なのだ。

 

③ 男の性欲と支配欲と顕示欲

男には支配欲がある。欲しいものを手に入れたい、蹂躙したい、上に立ちたいというような本能である。オスとしての本能を直接的に満たすのがセックスである。セックスをする事で男は自身のオスとしての能力相手の女性との上下関係を確認し自身が最も高いヒエラルキーに位置している事を確信したいのだ。これはオスは男からも女からも「あなたの方が上」という認識と確信を得たいという本能なのだ。

 

男には顕示欲がある。自分が手に入れたものを見せびらかして男社会での地位を向上したいヒエラルキーを示したい。そんな本能がある。それは恐らく男社会で上位層に立てばより多くの女性から好かれるという動物的な本能だろう。その為、女性とセックスしたら男は言いふらしたり見せびらかしたりする。「みてみて、俺の彼女、良いやろ?」「昨日、抱いた女最高やったわ」「俺100人の女と寝たわ」など、女性をトロフィーのように扱う。それは優秀なメスを獲得したオスとしての能力の高さを示すことで男社会の上位層に入りたいからだ。一種の向上心である。

 

男の性欲は支配欲と顕示欲と密接に結びついている。女性が裸になり自分を受け入れるセックスは究極の蹂躙であり、自分のオスとしての魅力を認めてもらえた事に他ならないので究極の自己肯定感を得られる。その為セックスをした事なかったり、恋人がいなかったりすると、自己否定に陥りやすい。それは女性から選ばれなかった、つまりオスとして優秀ではないということに繋がるので自己否定に繋がるのだ。

 

これらの事から男性にとって女性という存在は、オスとしての自己肯定感を満たす為のものであり、自身が獲得した優秀なメスや獲得したメスの数を見せびらかす事で自身の地位を向上させ、男社会におけるヒエラルキーの確立と、相手の女性や他の男より上の立場であるという自己満足を満たす為のものであるということに他ならない。

 

④ 男の優しさは性欲である

オスとしての魅力。現代風に言うと年収、顔、モテ度合いがオスとしての魅力であるが、それだけで女性を抱こうとするとレイプになる。その為、男性は本命の女性に対して性欲は隠し続け、優しい男を演じる。「俺はオスとしての能力高いけど、君をこんなに丁寧に扱う優しさも持ってる、だから俺にしない?」という行動原理が働いている。

要は女性に興味を持ってもらう為にはオスとして優秀でなければならず、興味を持ってもらえたら所有物になってもらう為、今度は優しさを見せなければならない。その全ては、「貴方を抱いて他の男に顕示し、貴方と男社会の上に立ちたい」という支配欲と顕示欲と性欲が結びついた本能の為である。

 

男は自身の性欲が誘発されない女性に対して優しさやオスとしての優秀さをアピールする意味がないのだ。それ故に優しくしてくれたりするのは、そこに何らかの本能的な欲求が働いてるからに過ぎない。無論、全てがそうとは言わない。例えば自分が先に入店したら後に続く人の為にドアを手で押さえて開けっぱなしにするなど、人としての親切というのは性欲関係なく存在する。

だが、性欲や支配欲が働いた場合は更に優しくなる。そこは女性側も素直に認識した方がいいだろう。男は好きな女の前では脳みそがチンコになっているということを。

 

⑤ 修行僧

ごく稀に、性欲と支配欲と顕示欲を持ちながら、それに支配されずに女性にも平等に優しくできる男が存在する。本能的欲求はありつつも理性で行動できる人彼らとの間でなら男女の友情が成立する。彼らは貴方の事が好きであり、更に貴方が異性として見なかったとしても、他の男と違い優しさを保ってくれる。自身の利益よりも貴方の喜びや貴方との距離感に幸せを見出し貴方の望む形で側にいてくれる国宝級の優男である

しかし、悲しきかな。そんな理性的で、性欲由来の優しさではなく本当の優しさを持っている人が側にいるのに、「顔がタイプじゃないというだけで異性として見れず、彼らの優しさの奥にある恋愛感情に気づかず、ただ「優しくて良い人」とその優しさを受け取り、その人間力の高い男性からの好意を女性は自ら放棄している

 

女性はストライクゾーンが狭い為タイプでない男から優しくされてもそこに好意があると認識しない。男が「俺はこの子ことが好きだ。付き合いたいから優しくしたい。最悪付け合えなくても彼女の笑顔が見れたら幸せだ」と思って、貴方の意思を尊重しながら優しくしても、女性側は「ただ優しい人」としか認識しない。

一方で性欲や支配欲顕示欲の対象としか貴方のことを見てないのに顔がタイプという事でモラハラな男に惚れたり、「恋が分からないから結婚相談所で婚活するか」と男を異性として見るムーブに入った時に優しくしてくれた男性に惚れたりする。それが性欲や支配欲由来の優しさであっても異性として見るというスイッチが入ったタイミングで顔がタイプで優しければ女性は惚れてしまうのだ。

 

女性にとって真に人間的な理性と優しさを持っているかなど関係なく、「タイプの人から優しくされたいという事だけが重要であり、「タイプでない人から優しくされてもそれは単に「優しくて良い人」という扱いになってしまう。

その為、修行僧のような理性的な男は、自分の誠意を受け取って貰えてないと思い、女性を恨んだりする。彼らからすると最悪付き合えなくても自分の好意と誠意に対して女性側の誠意が感じられればそれで満足なのだが、女性側は「優しくて良い人」という認識なので、自分が特別扱いされているという認識がないので、「ありがとうくらいしか誠意を見せれない。認識がないのでそれで十分とか不十分だとかも考えていない。認識がないので考えようがないのだ。

 

口では「男の優しさとか体目当てでしょ?そんな奴イヤだよとは言うもののタイプじゃない人から優しくされても好きになるわけではない。タイプじゃない男からの優しさは、「お、優しいね、ありがとう」くらいにしか思っていない。彼女達の本音は性欲ありきの優しさはイヤだけどタイプじゃない人に優しくされても好きになれないんだよね私が欲しいのは私がタイプの人からの優しさなんだよね」なのだ。

にも関わらずいつか振り向いてくれると信じて必死で理性で本能を押し殺しながら女性を尊重するこの修行僧のもどかしさを論じた記事が以下である。

 

男女の友情は成立するのかを論じた記事↓

【男女の友情と男の本音】

https://https://sprite289.hateblo.jp/entry/2024/12/23/044643

 

 

⑤ 女性は女性というだけで価値がある

結局のところ、男が女性に対して喋りかけたり接したりするのは、仕事や用事や好奇心でないかぎり性欲と支配欲と顕示欲と恋愛感情ありきなのだ。友達作ろうと思って異性に話しかける男はほぼいないだろう。

 

だが女性は自分がタイプの人からの優しさしか好意ある優しさとして認識しない。その為、男性が誠意を尽くしたと思っても、尽くした誠意ほど、女性から誠意ある言動は返ってこない。コレに打ちひしがれて女性を恨む男性もいる。

 

コレらも結局は性欲と切り離せないのだ。それをどこまでコントロールできるかの問題であり、性欲や支配欲なしの純粋な優しさはほぼないと言っていい。ドアを開けるとか物を拾うなどの小さな優しさはあるが、誠意を尽くすような優しさはほぼ性欲や支配欲ありきと言っていいだろう。それは抱いた女性の数や抱いた女性の質を見せびらかす事で男社会におけるヒエラルキーの向上を目指すという、オスとしての本能が働いている。それ故に女性側の「食ってやった」より、男側の「食ってやった」の方がより搾取的であると言える。

 

女性は女性というだけで価値が高い。億万長者になっても全ての女性からモテない男がいた時に、年収が200万でも妻がいる男の方がヒエラルキーは上である。その為、男社会においては女性は何物よりも価値があり、それ故に余程ハイスペックな男とのセックス以外下方婚ならぬ下方セックスと見なされるのだ。何故なら女性の方が価値が高く、ハイスペ男以外は軒並み女性より遥かに低い価値しかないからだ。そのため街にいるようなチョイイケメンと女性がセックスした時に、「価値の高い女が価値の低い男とセックスした」事になる。そしてチョイイケメンはその女とのセックスを吹聴する。時には写真や動画に撮るものもいるだろう。そうやって抱いた女の質や数を吹聴する事で、男社会でマウントを取ろうとしているのだ。つまり、男にとって女は自己顕示欲と支配欲と性欲を満たせるアクセサリーに過ぎないのだ。

だから男の食ってやったの方が搾取的であり、搾取社会に住む男からすると女の食ってやったは成立しないように見えるのだ。

 

そしてそういう本能に理性で抗いながら、女性対して真の優しさで接する男達が稀にいるが、彼らは女性のタイプに当てはまらない為、「良い人」や「友達」で終わってしまう。

だが遊ばれ続けた女性が結婚を意識し始めると嫌でも気づく事になる。あの時、友達でいてくれた男性が素晴らしい男性だったという事に。女性と友達や良い人で終わってしまう男性はマチアプより結婚相談所の方が適性があると言えるだろう。