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なぜ男は性欲と愛を切り離せないのか

 

男性はしばしば愛を語る時にセックスを愛情表現と語る。本当だろうか?もし本当ならこの世に性産業など必要ないのではないか?

もし、セックスが愛情表現なら、愛がないとセックスはできないはずだからだ。従って性産業は成立しないはずである。しかし現実は違う。

今日は男性からみたセックスと性欲と愛について論じていきたい。

 

 

① 結論

結論から言うと、男性は性欲と愛情を切り離せない

これにはいくつかの理由がある。

  1. 語彙力の少なさ
  2. 競争社会
  3. AV
  4. 営業的な優しさと本質的な優しさ

端的にまとめるとこの4つによって男性は性欲と愛情を切り離して認識できない。

 

② 切り離せない理由

切り離せない理由は先に挙げた4つであるが、ここには脳科学的な理由や、本能的な理由、社会構造の問題、女性側の問題など、様々な理由や構造が複雑に絡み合うことて、男性は性欲と愛情を切り離す事ができないのだ。

詳しく見ていこう。

 

① 語彙力の少なさ

男性は語彙が少ないらしい男性が1日に話す言葉は平均7000字らしいが女性はその3倍にあたる20000字も喋る。井戸端会議などと女性が道端で長時間会話している事を揶揄する言葉があるがそれも納得の数字である。男性から見た時、「この子達はいつまで喋ってるんだ?」と不思議に思ったことが一度はあるはずだ。それはそれだけ女性の方が語彙が豊富だからだ。

 

ここに原因がある。男性は扱う語彙が少ないのだ。つまり、自分の感情に名前を付ける事ができない。

今、自分は性欲で好きになってるのか?

好きだから欲情しているのか?

相手を蹂躙できると思って興奮しているのか?

自分の欲望と感情を整理する事ができない。

例えばパスタの麺と焼きそばの麺とラーメンの麺とうどんの麺は、見た目も性質も役割も全く違う。しかし、同じ麺という言葉で表現される。自分がパスタ屋さんに勤めており「そこの麺とって!」と依頼された時、「これはパスタ麺」「これはうどん麺」と認識出来ていればきちんとパスタ麺を選ぶ事ができる。しかし、出来てなかった場合は、「うどん麺」を選んでしまうかもしれない。

 

このように語彙というのは自分の感情がなんなのか?を把握し、認識し、整理する事に必要なのだ。その力が乏しいと、「パスタ麺」と「うどん麺」をごちゃごちゃにしてしまう。男性の脳でもコレと同じ事が起きている。

自分の感情が性欲なのか、愛情なのか、スキンシップによる興奮なのか、区別がついていないのだ。その為、全てひっくるめて「愛情」とまとめてしまう。このせいで、男性側は性欲由来の欲情でも愛情と思っているし、語彙の多い女性は「それは性欲由来じゃね?」と察してしまう。ここで冷める女性も多いだろう。

男性で後述することを自覚している人は極めて少ないのだが、男性は性欲で女性を使う。そのことを男性自身気づくことができない。だが女性は感じ取れるのだ。それは情で求める時盛って求める時とで、男性の求め方触れ合い方、セックス時の気遣いや腰の振り方などに全て現れる。

その違いを女性は感じ取れるし、持ち前の語彙の多さから分別も可能である。だが、男性はここが十把一絡げになっているので「え?なんで?これは愛情表現だよ」と思っているし、言ってしまう。

 

ここで注意していただきたいのは、「だから男はクソなんだよ」と言っているわけではないことだ。男性の本音と男性の行動は別々であり共存しているという事だ。

男性というのは基本的に下心がないと女性と会おうとか遊ぼうとか思わない生き物である。つまり、男性があなたと時間を共に過ごしている時点で、その男性は薄っすらあなたに恋している。またはヤろうとしている。それは紛れもない事実だ。

しかし、だからといって愛情や尊重がないかというとそういうわけではない。ちゃんとあなたのことを大切にしたいと思っているし、尊重している。確かに付き合いたい、セックスしたいという目的はあれど、同時にそこには愛や尊重もあるのだ。

男の性欲に嫌気がさした女性の方もいるかもしれないが、「それはそれ、これはこれ」である。行為の裏の性欲など考えずに、とりあえず相手の好意はそのまま受け取り楽しい時間を過ごすといいその後にあなたが彼の好意に応えたいと思えれば応えればいい。

 

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② 競争社会

男社会は競争社会だ。学歴レースから出世レース、年収レースと例えられるように男性の評価は全て比較で決まる。なぜ競争で優劣をつけるのか?それは女性から選ばれるためだ。

女性の読者がいたら想像してほしいのだが、あなたが結婚相手を選ぶときに、怠惰で、不細工で、不潔で、学力が低く、コミュ力も低く、面白くもないし、優しくもない上に「努力できないのは努力できない遺伝子のせいなんだ、俺が成り上がれないのは世間が俺の価値を分かっていないからだ!」と宣いながら自らは何の努力もせず、女性から体と愛だけ貰おうとしている男と結婚したいと思うだろうか?

そんなゴミより、自らの欠点を克服しようと努めたり、ひたむきに頑張っている人間の方を選ぶだろう。例え能力が低かったとしても、周りのせいにせずに、自分の範囲内で努力している人を選ぶだろう。もっというと能力の高い人を選ぶだろう。

 

このように女性は能力の高い男性に惹かれる傾向がある。だがそれは生物云々の前に当たり前に話である。自ら能力の低い人に行く理由がない。従って能力の高い人を選ぶし、仮に能力が低かったとしてもそれを補うだけの別の魅力や努力だったりがあれば選んだりする。

それは男側もよく理解している。だからこそ競争という目に見えて優劣のつくものに本気になるし、そこで結果を残せば女性を獲得できる。つまり、見返りがあると思っているのだ。これはそのまま男性の論理的思考にも影響している。「俺は稼ぎを頑張る。だから家庭を頑張ってくれ」最近では亭主関白となじられる理屈だが、それは競争社会に生きる男性だからこそより強く発現する思考回路なのだ。

 

何が言いたいかというと、「これだけ頑張って結果を残したんだから俺は愛されるべきだし、女は俺に抱かれるべき」という心理が働くのだ。(言葉はかなり汚いが)

競争によって得られる結果は、学歴や年収、就職先、出世、スポーツなどの実績である。それらは目に見える長所であり、生物的な優秀さの証明にもなる。従って女性からモテる要素になる。

 

逆を言うと、女性から選ばれない=雄として能力が低い事になる。これが男性にとって最も自己肯定感を下げる要因の一つだ。男性にとって女性から選ばれないことは他のどんなことより辛いのだ。実際、男性の自殺理由の一つに離婚と失業がある。そのことについて分かりやすく調査した記事を引用させていただく。

 

失業と自殺の相関

男の自殺率は失業率と強い相関がある。

労働力調査より、1968年以降の失業率の推移と男性の自殺率の推移をグラフで並べてみると一目瞭然で、失業率があがれば自殺率も高まるという強い正の相関がある。相関係数0.9347であり、最大値の1に限りなく近い。

 

一方で、女性は失業では自殺しない。同期間で比べても、女性の失業率と自殺率との相関係数▲0.0093であり、相関がないばかりか、失業率があがれば若干自殺率は減る。

 

このように、日本の男性は、仕事を失うということが自殺に直結する危険性が高いのだが、それと同等か、それ以上に深刻なのに、世間ではあまり知られていないファクトがある。

男は離婚すると自殺してしまうのだ。

 

離婚と自殺の相関

長期の統計推移から、男女における離婚率と自殺率との相関をみてみよう。こちらは、1963年から2020年までの推移を表したものである。

男性の場合は、失業率と同様、離婚率と自殺率との強い相関がある。相関係数0.9132である。しか、女性の方は、これも失業率との相関同様、相関係数▲0.1759である。むしろ、失業より負の相関値が高い。つまり、男は離婚すると自殺してしまうが、女は離婚では自殺しないのである。

 

既婚男性の唯一依存症

既婚男性の幸福度は、独身に比べて高い。それは、独身にはない家族というものの存在が大きいと思う。

相変わらず、世の夫の6割は小遣い制である。月3-4万円の小遣いの中で、やりくりしているのだが、当のお父さんたちの中には、それを苦にしてはおらず、むしろ「家族のために頑張っている俺」という充実感と達成感を感じている人も多い。口では「小遣いが少なくてさ…」と文句はいうものの、文句を言っている顔がもう幸せそうである。

 

独身男性の中には、「結婚すれば妻のATMになってしまうから嫌だ」という意見をいう者がいる。そう思うならそれでいいだろう。確かに、結婚すれば、自分で稼いだ金を自分だけのためには使えなくなる。しかし、独身男性からすればATMと揶揄されても、当の既婚男性からすれば、「それが自分の社会的役割である」と誇りをもっている場合がある。むしろ、家族のATMになることすら幸せに感じられる男が結婚するのかもしれない。

 

そういう既婚男性がいてもいい。しかし、問題は、「家族のために頑張る自分の役割だけになってしまい、その家族を失うと自分自身すら見失ってしまう」ことの方だ。親権の問題で、子どもとは離れ離れになってしまうことでの心の喪失感も大きいだろう。心の喪失感は、離婚によって、家や財産を失ってしまうという物理的な喪失感より痛手が大きい。

もちろん、家族を大事にするという気持ちは否定しないし、大切だが、「自分には家族しかいない」という唯一家族依存は危険だ。

 

配偶関係別の男性の自殺率を見ると、死別の場合の自殺率よりも離別の方が圧倒的に高い。令和元年の実績値でいえば、死別の自殺率48.3 に対して、離別の自殺率は101.0と倍以上である。ちなみに、未婚の自殺率が32.9であることから、既婚男性にとっていかに離婚が自殺に直結するものなのかがわかる。

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要は男というのは女性から選ばれて家庭を持つことに幸福と生きる意味を見出している。離婚ですらこの自殺率である。もし、生涯にわたって誰からも愛されたことがない、選ばれたことがない男性がいた場合、その人間の幸福度がどれほど低いか想像に難なくない。

女性からは想像もつかないかもしれないが男性にとってモテること彼女ができる事作ることは死活問題なのである。だからこそみな死に物狂いで努力し競争している。男がやたらとモテるためのテクニックや、セックスで女性のイカせ方などの、しょうもない小手先のモテテクニックにこだわったり、やたら何人とヤッたとか、どんな女を抱いたとか、話しているのはこれのせいだ。

モテこそ男の幸せであり、モテれば男社会でも上位のヒエラルキーに立てるし、上位に行けばさらにモテる。だからこそあれほどまでにモテることに執着するのだ。そしてそれを簡単かつ確実に実現できるのが競争である

 

③ AV

よく男性は「AVのようなセックスで女性が喜ぶわけないでしょ!影響受けてんじゃないわよ‼」とSNSで女性から言われた時に、「は?AVの影響なんて受けてねぇし」と返答するが、男性を代表してハッキリと言おう、影響を受けている

本当は筆者自身も男なので認めたくない。認めると色々不都合が生じるし、何よりもプライドが邪魔をする。「えー、spriteはAV見ないとセックスの仕方も知らないのー?」と男の自尊心を逆撫でされるし、周囲から白い目でも見られてしまう。だから認めたくない。だが認めざるを得ない。我々、男性はAVから影響を受けている。

 

というかセックスの方法をそこからしかインプットできないのだ。何故なら学校で教えられるわけでもなく、親から学ぶわけでもない。完全に手探りの状態である。そんな中、先にセックスできるなら問題ない。多くの場合、同級生とのセックスになるだろうから、お互い初めて同士であれば自分たちの方法を見つけられるだろう。

しかし、多くの場合は実際にセックスをする前にAVというメディアに接触することになる。ほとんどの男性は中学生でその存在を知り、興味津々となる。そこからは道端に落ちているAVや先輩のAVによって知識を獲得していき、その情報が正しいのか確認することができないままセックスをすることになる。つまり、構造的にAV以外でセックスを知ることなど不可能なのだ。

 

もし、これが恋愛映画で恋愛からキスやハグに移行し、そのまま事細かに女性の体や反応、コンドームのつけ方、女性器の触り方などまで分かるような映画が金曜ロードショーなどで放映されていたなら話は違うだろう。このように恋愛からセックスへ発展し、そこを”濡れ場”ではなくきちんと細かくセックスのやり方が分かるような描写があれば愛情表現=セックスとなるが、入り口がAVだと、性欲+セックス=愛情表現となってしまう男女のセックスに対する認識にギャップがあるのはこの構造に問題があるのだ

 

AVは商業物なので男性の性欲を掻き立てる内容や演技で構成されている。そうしないと売れないからだ。したがって男性の征服欲、支配欲、所有欲、執着欲に刺さる構成になっているし、掻き立てられるものが多い。それはつまり、「男性の性的趣向や、支配欲、所有欲、征服欲を、何やかんや女性は受け入れてくれる」という歪んだ認知を形作る事に他ならないのだ。

とはいえ、ほとんどの男性はストーリーや設定などは飛ばしてセックスシーンだけ楽しんでいる。たが、AVを鑑賞する際に設定やストーリはどうしても頭に入ってしまう。筆者は苦手なので見ないのだが、レイプものやコスプレものなどを好む人がいるように、AVの中身はセックスシーンだけ楽しむものの、そのAVを鑑賞するかどうかは、女優や演技力、設定やストーリーで判断される。これにより、自分の性的趣向を自認し助長していく

そしてAVの悪い所は女性側がそれを心底嫌だという描写をしていないことだ。「なんやかんや受け入れてくれるでしょと男性側が思うような作りになっている。実際にセックスが始まった時にそれを押し付けてくる男性が一定数いるのはこの「性的趣向を完全拒否せず、少々嫌がりながらも受け入れて気持ち良くなっている女性がAVで描写されるからだ。

 

極めつけはAV女優たちの演技力だ。男性もガチのレイプには興奮しない。(もちろん興奮する人もいるだろうが)AVは女優側が嫌だ嫌だと言いながら最後は快楽に負けて男の性欲と体を受け入れてしまう構造になっているのがほとんどである

これも認めたくないのだが、男性は少々女性が嫌がっていても愛撫によって女性がその気になると思っているし、その気になれば女性側も欲しくなるのを分かっている。だからこそ彼ら男性は自分の愛情表現のセックスが性欲由来であること自認できないし、認めたくないのだ。「君もまんざらではないでしょ?」と言ったりするのはここからきている。

女性が家に上がればセックスOKという認識になり、愛撫をすれば少々嫌がっていても女性の性欲スイッチが入ると思っている。それはそういう女性が一定数いることに加えてAVなどでそのように描写されることほとんどだからだ。

こういった背景により、男性の性的趣向が助長されていき無意識にそれらが実際のセックスでもにじみ出る場合があるのだ。

 

こういった性的娯楽によって男性の中に性欲+セックス=愛情表現という図式が成り立ち男性自身の語彙の少なさと相まってこの図式に自身で気づくことができないまま成人していく。モテ男は早々にこの呪縛が解けて実際の女性のリアクションや関係性の中から「あ、AVの中の世界は現実とは違うんだな」と知り、無暗に女性を食い物にする人は少ないが、女性経験が少なければ少ないほど、本物の女性を知らないのでこの呪縛から解放されない。

まぁ、モテ男はモテ男で簡単に女性を抱けるし、女性もモテ男が相手だったらイヤイヤ言ってても体を許してしまう女性もいるので、呪縛の解けないモテ男も一定数存在する。本当に真面目な女性にとってはいい迷惑である。

 

④ 営業的な優しさと本質的な優しさ

実は性加害は非モテ男より、モテ男の方が多いのをご存じだろうか?

レイプは知らない人からされるより、知人や友人からされる方が多く、加害者は貧乏人や不細工より、イケメン、高年収、高学歴、正社員などが多い。

ここで一つの仮説が成り立つ。そう、男は雄としての能力が高ければ高いほどセクハラやモラハラ気質になっていくのだ。

これは競争本能だろう。競争に勝つために利己的にならねばならず、したがって女性が求めるような優しさを持ち合わせることが難しくなっていく。中には「ハイスぺでも優しい男性もいるもん」という女性もいるかもしれないが、その優しさはもれなく営業である契約が取れたら人が変わる。付き合った後に優しさがなくなったと思う人はこれが原因である。

 

支配欲や所有欲が強いほど、結果やモテに執着し、執着するからこそ、努力するし、努力するからこそ結果が出る。結果が出るからこそモテる。モテるからこそ人間性が醸成されていなくても次から次へと女性が寄ってくるので、「ただ顔が良くて能力が高くて営業的な優しさを持ってる薄っぺらい男が量産されていくのだ。このような男性は自らを内省する事はないので自分の愛やセックスが性欲由来かどうかすら自問自答しないだろう。いや、ハイスペに限らず男性は語彙が少ない事もあって、そもそも内省する事自体が少ないのだ。

かと言って低スペの男性が内省する人間なのかというとそうとは限らない。そもそも内省して改善する能力があるなら年収も上がるだろう。

 

容姿もそれなりで、コミュ力があって、一定の年収があり、気遣いができて優しくて誠実な男性。そんな男性はこの世に星の数ほどいる。問題なのは、「気遣いができる」や「誠実」や「優しい」が人間性に直結しないことだそんなものは気を付けていれば誰でもできる。

本命を前にした男性は性欲を隠すし、優しい対応や誠実な態度、女性が気遣わなくていい距離感など当たり前に感じさせる。それらと性欲が強い事や支配欲が強い事、女性をアクセサリーのように思っているかは別問題である。

だからこそモラハラ夫やセクハラ彼氏、都合のいい女性を捕まえるまできちんと付き合ってくれる誠実系自己中マチアプ彼氏であふれかえっている。それらは営業であり、性格である。本質的な人間性ではない。

彼らは程よい距離感を作るのが抜群の上手いため、居心地良いし、心を開きたくなるが、その裏にはきちんと男性的欲求がある事を頭に入れておくべきである。というか99.9%の男性はそうなのだから、それを前提に付き合うべきだ。

もし、あなたが真の意味で誠実で内省できて優しい男性と交際したいなら、「気遣い」や「優しさ」「誠実さ」などではなく、過去の経歴や生き方、哲学を持っているか、こちらの質問にyesかnoではなく、「どう向き合うのか」という中身を伴った返答をできるかどうかを重視した方がいい。そちらの方が本質に近い。

過去の経歴はその人の考え方や反省の集合知だし生き方にこだわる者はお気持ちや酒や欲による行動を制限できる哲学は自己反省と自己分析が伴うので歩み寄り合うことが可能な人である証明であるし質問に対しyesではなく中身を喋れる人はその質問に対して真剣に考えている証拠である。これらが伴わない男性は、いかに優しくて誠実で、こちらが居心地がよくて楽しかったとしてもただの仮初めの姿である。

(引用:ジャンケットバンク/著者田中一行

本質的な優しさというのは厳しさや強さも内包しているものである。ドアを開けてくれる。水を取ってきてくれる。下ネタを言わない。センシティブな話はしない。痴漢してこない。居心地よくしてくれる。安心できる。これらは「優しさ」や「誠実さ」や「人間力」ではなく、ただのマナーである。誰が下ネタばかりで女性に気を使わせてセンシティブな話を聞きこんでくる男性と関係性を続けていきたいと思うのだろうか?そんなものは人間関係を築く上での大前提である。できて当然のマナーなのである。なんの長所にもならない。

これらは「付き合うために嫌われないようにする」マナーである。「あなたのことを慮っている」わけではない。今の日本では、大前提の大前提として、「相手を不快な思いにさせてはならない」「ネガティブな気持ちにさせてはならない」という大前提がある。

この大前提を守らなければ「ハラスメント」や「デリカシーがない」と糾弾される。腫物を触るような繊細さと距離感で相談をしないといけない。それが悪いと言っているわけではない。初対面や関係性の浅い人と深い話をしろと言っているわけではない。知り合ってばかりの人にそんな話をしていたら距離感バグっていると思われるし、ただの迷惑である。

だが、これの問題は「相手が不快に感じるかが指標となっている」ことだ。例え相手のためを思って言ったことでも相手のお気持ち次第で敵となってしまう。あなたが喋ったことが、Aには不快な事でもBには必要な事であった場合、あなたはどんな評判になるのだろうか?今ではこのお気持ち判断によって「デリカシーのない人」というレッテルを貼られてしまう。それを恐れた結果、当たり障りのないことしか言えなくなっている。そしてあなたへ向けられた優しさが「嫌われることを恐れて取り繕った当たり障りのない優しさ」なのか判断がつかないこともまた問題なのだ。

 

良く世間で言う「優しさ」や「気遣い」は当然のマナーであるし、もう少し関係性を構築して見えてきた「優しさ」もそれもれっきとした優しさである。しかし、相手を気遣うばかりの優しさだけではただのイエスマンと何ら変わらない。それは「相手をネガティブな気持ちにさせてはならない」という大前提のもとに「取り繕った優しさ」である可能性もある。真に相手を想うのではなく、「当たり障りのない範囲で優しくする」という大前提を守ったうえで安全圏から優しくしているに過ぎない。

それは時代が違えば「優しさ」の形が変わる事に他ならない。もし、厳しい事をいうのが優しさだという価値観であれば彼らは遠慮なしに言いたいことを言うだろう。つまり、何周も何周も考えて「相手のことを考えてこの状況なら当たり障りのないことを言うのがベストだな」と考えたわけではない。単に「当たり障りのない範囲で優しくする」というのがマナーだからそのような対応をしているに過ぎない

そのような人間は何かを始める時に”前提”や”条件”を求めるし、何か意見を衝突させるときに我慢を選ぶし、我慢してるんだから見返りを求めてくるし、二人で出した結論が失敗した時はあなたのせいにするだろう。

 

筆者は何も「当たり障りのない事を言うのは無責任な優しさに過ぎない」と批判しているわけではない。初対面や関係性が浅い間は「当たり障りのない対応」がベストだろう。だが込み入った関係になった時までそのような態度では先が思いやられる。それというのも、「センシティブな話をする距離感ができたと判断するのは話を聞かされた側のみ」だからだ。

「センシティブな話をしてもいいよ」という標識が相手から出るわけではない。話す側の主観で「もう大丈夫かな」と判断したから話しただけである。だからこそ話を聞かされた側が柔軟に受け取ることが必要なのだ。だが、今では受け取り手側のお気持ちしか汲み取られずに、「デリカシーがない」と判断されるため込み入った関係になっても「当たり障りのない」ことしか言えないものが増えた

そんな人間は例えどれだけイケメンで、年収があって、優しくて、誠実で、気遣ってくれて、居心地がよかったとしても、「奥深さ」がない。一枚二枚めくったところに深みがないからどこか薄っぺらく感じる。イエスマンに感じる。芯がないように感じる。単に一緒に過ごせて楽しかった、ご飯にいけてよかった、程度の相手にしか感じないだろう。

それは、「当たり障りのない範囲でネガティブな気持ちにさせてはならない」という大前提を守るあまり、「自分がウザがられてでも相手を気遣う事を言おう」「傷つけるかもしれないけど相手と腹を割って話し合いをしよう」という覚悟を持てない証拠なのだ。もしあなたの交際相手が将来の話やあなたのことを聞いてこなかったり、あなたの要望や質問にイエスやノー、我慢するという返事が多い場合、その相手はいつまでもケツの穴の閉まらない、ただ表面上優しくてご飯を食べれて楽しかった相手にすぎない。

そう割り切って次の相手へ進むことをお勧めする。そのような人間が改心したり決心したり、あなたとの人生に覚悟と責任感を持つことは永劫ないだろう。

 

③ そこに愛はあるんか?

では男性には愛はないのか?性欲や支配欲、顕示欲しかないのか?

そんなことはない。愛はある。確かに男性の愛や優しさには、セックスや交際、結婚、出産という、生物的に当たり前にある欲求が見返りがある。男性の優しさや気遣いなどは、セックスや交際や結婚という契約を勝ち取るための営業に過ぎない。だが、これは女性も同じだろう。不都合なところは見せないし、言わない。男性もセックスしたいと思っていても言わないし、出さない。

 

だからそのまま受け取ればいいのだ。男性の優しさや気遣いには見返りとしてセックスや交際があるしかし、同時にあなたを大切にしたいという想いも確かにあるのだ。だから男性の本音などは気にせずただしてくれた優しさだけを受け取り、それに応えたいと思ったならセックスをすればいい。その時に優しさを感じる時もあれば、「使われてるな」と感じる時もあるだろうが、それでも過去の優しくしてくれた事実が消えてなくなるわけではない。

 

そもそも男性は自分以外の存在のために力と命を使う事に幸せを感じる生き物だ。これはもう男性の本能である。既婚男性なら以下の引用部分を理解できるだろう。

 

既婚男性の幸福度は、独身に比べて高い。それは、独身にはない家族というものの存在が大きいと思う。

相変わらず、世の夫の6割は小遣い制である。月3-4万円の小遣いの中で、やりくりしているのだが、当のお父さんたちの中には、それを苦にしてはおらず、むしろ「家族のために頑張っている俺」という充実感と達成感を感じている人も多い。口では「小遣いが少なくてさ…」と文句はいうものの、文句を言っている顔がもう幸せそうである。

 

筆者も既婚者で二児の親なのでよくわかるが子供から必要とされているときほど幸せを感じる瞬間はない。「あっ、自分がいないとダメなんだな」と思える環境にいることは男性にとって生きる意味を見出すことに繋がる。

以下の記事で詳しく書いているが、男性にとって女性は宝石や金よりも価値がある。どれだけ金持ちでも女性からモテなかったら意味がないと感じるのが男性なのだ。むしろ女性から選ばれるために年収をあげたりするのだ。それはより綺麗な女性をものにしたいという所有欲と、その女性や子供のために自分の能力や築いた財産を残したいというのが男性の本能であり、行動原理なのだ。

だから女性に尽くしたり、優しくしたりする。それはもちろん交際やセックスという見返りありきではあるものの、同時にその女性のために何かをしてあげたいと思うのが男性でもあるのだ。結婚式などはその最たるものだろう。自分の最も愛する人の人生で一番綺麗な姿を提供してあげたい。お姫様扱いしてあげたい。自分のお姫様をみんなに見せたい。そう言った想いから結婚式をあげたくなるのだ。単なる儀式としてやるのではない。(無論、形式的な認識しかしておらず、結婚式に対して煩わしさを感じる男もいるだろうが)

 

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④ 男性が内省できない理由

基本的に男性は語彙が少ない。そのため自分の感情や欲求に名前を付けることができない。そのため感情の整理ができない。だから性欲で動いていても愛で動いていると思っている。

男性は競争社会に生きている。つまり、結果こそが自分のランクを表すものになるのだ。その結果がモテなのである。男が年収や学歴やスポーツ経験にこだわるのはそれがモテに直結するのが分かっているからだ。年収は生活力の証明だし、学歴は能力の証明だし、スポーツは努力の証明である。それらを証明しなければ女性から選ばれないのが分かっているのだ。

これらは全てモテる手段の代用なのだ。これら質のいい代用品を持っていれば性格が終わっていてもモテるだから内省していく必要性がない。そのため、自分の感情が性欲なのか愛なのか考える必要がないため切り離せないのだ。

年収や学歴、身長や顔、スポーツの有無という普遍的な魅力を持っていれば、勝手に女性が寄ってくるし、寄ってきた女性もある程度は自分に尽くしてくれる。何故なら尽くさなければその男性から女性は選ばれないからだ。スペックの高い男性に選んでもらうには女性は尽くすしかない。

もしくは美人や可愛さを持ち合わせるかだ。その点、美人や可愛い女性は恋愛市場において極めて高いアドバンテージを持っている。勝手に男が寄ってくるし、尽くしてもらえるし、その中から選びたい放題だし、自分はたいして尽くさなくても選んでもらえる。そういう関係を重ねれば重ねるほど男性は内省することが減るため欲求と感情の整理がつかなくなってくる。

我々、男性は実際にセックスするよりも早くAVに触れることが多い。そのうえ恋愛的なふれあいから女性の体や反応を学ぶような映画やドラマも少ない。従って、AVのような搾取的なセックスが普通、なんやかんや女性も好きなんだろうと思ってしまえるところにも問題がある

フィクションの影響が強く、その認識の方が男性も快楽を感じやすいため現実世界の女性もAVの中の女性と同じように思いたいのだ。実際に女性と体を重ねればAVがフィクションだと分かるのだが、AVが作り出す女性像やセックス像が男性にとって理想的であるため、その幻想を振り払うのが難しい。しかもそれらが先にインプットされるので現実の女性像に塗り替えるのも難しい。というか、現実の女性を知ってもAVを見続ける限りこの認識を完全に振り払う事は難しい。

 

⑤ 愛と性欲

男性の本能には女性の体を求めるものが備わっている。これは全ての男性が必ず持つ欲求である。強弱はあれど必ずある。そして、性欲が弱い男性の方が優しくて誠実で気遣いができて、安心できて心が開けるのかというと、それは全くの別問題である。何故なら性欲に溢れる男性もセックスできるまでは性欲を隠し、優しく、居心地よく感じられるように振る舞うからだ。

だから優しさや誠実さ居心地の良さなどはその人の人間性を推し量る指標にはなり得ない。単に知り合いや友人や恋人候補になるレベルの大前提でしかない。居心地の悪い人間と付き合いたいなどと思う人はいないだろう。居心地がいい、安心できる、心が開ける、優しい、誠実などは、人間関係を構築するうえでの大前提であり、何の評価点にもならない。

 

だから男性の優しさなどは性的欲求の前提にあるものだと理解しておく必要がある。ただ、女性がそれを感じやすいのは男性よりも語彙が豊富な事と、常に男性からアプローチされる側であることだ。

男性側が自覚しにくいのは語彙が少なく、努力や生まれつきの能力で女性から選ばれやすい普遍的な魅力を獲得できるからであり、内省する必要性がないからである。加えてAVの影響により搾取的なセックスが普通であり、女性も受け入れてもらえるという幻想を先にインプットされるところにも問題がある

これにより搾取的なセックス、自己中心的なセックスをしても受け入れてもらえるという刷り込みが男性にはあるのだ。だから女性はセックス中に「あ、今日は使われてるな」と感じることがあるのだ。

 

男性が性欲と愛を切り離すことが難しいのは脳の構造上の問題と競争社会における地位の確立にはモテが必要であること。それらモテ要素があれば内省しなくてもモテるから性欲と愛を切り離す必要がないし、AVによって男性中心的なセックスが刷り込まれることによって女性側が搾取的に感じることが多いため、男女間で埋まらない溝が横たわり続けているのだ。

 

 

 

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