日本において幸福度は、子あり既婚>子なし既婚>子あり未婚>子なし未婚であるという。今にも宗教に走りそうなほど人生が行き詰っている独身もいれば、幸福そうな独身もいる。
一方で、結婚して、子供もいて、一軒家に住んで、なんならペットもいるような絵に描いたように幸福な夫婦もいるし、一見幸福そうなのに自殺してしまう夫婦も存在する。その答えは連帯感にあるのかもしれない。今日はそんなこと教えてくれる漫画から幸福への糸口を探ろうと思う。
目次
① 幸福とは安心感である
そもそも幸福とは何かを定義しなければならない。冒頭でも述べたが、裕福でも、家族がいても、社会的地位があっても、不幸な人は不幸である。従ってそのような物理的な幸福は今回考慮しない。
物理的に豊かであっても自殺する人もいるのだから、物理的な豊かさは幸福の一要因に過ぎない。では、何があれば人は貧しくても幸福を感じられるのか? 豊かさの中に不幸を感じずに済むのか? それは安心感だと筆者は考えている。
「何か物語があり、それを語れる誰かがいる。それだけで人生捨てたもんじゃない。」
確か路上のソリストという映画で言っていたセリフだが、自分の経歴や感情や想いを聞いてもらえるだけで人は救われるのだ。幸福とはなにも、結婚したり、子供ができたり、お金持ちになる事だけではない。
誰かに理解してもらえる、共感してもらえる、拒絶されない、相談できる、向き合ってもらえる、必要とされる、そういった連帯感が安心感につながり、ひいてはそれが幸福へとつながる。
例え結婚していても、理解されず、共感されず、拒絶され、必要とされず、怒りに怯え、尊重されず、問題が解決できないと感じたら孤独になるのだ。
自己開示には麻薬に近い快楽効果があるそうだが、お年寄りが延々と昔話をしたり、キャバクラやホスト、カウンセリングの需要が増えているのはそのためだろう。
自分の悩みや経歴や感情を聞いてもらえる事で幸福感を感じるのは「自分の経歴や本質を拒絶されないから」というのが本質に近いだろう。
自分の話を聞いてもらうという行為だけでなく、自分の話は拒絶されないという安心感が人を癒すのだ。
② 家族がいるのに孤独になる人
一見、パートナーがいて子供もいて、仕事も順調で収入もあるのに自殺してしまう人がいる。そうでなくても離婚する夫婦も多い。3組に1組は離婚しているし、仮面夫婦などの離婚予備軍を合わせれば不幸な夫婦は相当多いだろう。むしろ結婚したことで不幸になった人の方が多いかもしれない。
というか3組に1組が離婚し、残りの2組の中に別居夫婦や仮面夫婦がいることを考えれば結婚というシステム自体が現代の幸福論に即してないのかもしれない。つまり、結婚したとしても殆どの夫婦が不幸になっていると言える。
「家族がいるのにどうして自殺したんでしょう...」
「家族がいても孤独な人は孤独だよ」
アントキノイノチという映画で原田泰造が言っていたセリフだが、一見幸せそうな人が自殺するのはここに原因がある。物理的に人に囲まれていたとしても、相談できず、自己開示できず、拒絶に怯え、怒りを連想し、尊重されないと感じたら孤独になるのだ。
自分が拒絶されない、相談できる、尊重できる人がいれば幸福を感じることができる。極論、結婚していなくてもそんなソウルメイトがいれば幸福なのだ。逆を言うとそんな人と結婚できなければ孤独になってしまう。
③ 好きで結婚してしまう
ここが一番の問題だろう。みな単に「好き」や「居心地がいい」や「優しい」や「楽しい」で結婚してしまう。それが悪いわけではないが、結婚というのが「具体的にどんな生活なのか?」「どんな能力が必要なのか?」「どんな人となら上手く行くのか?」分からないから何を基準にして相手を選べばいいか分からない。
だから「とりあえず、不快感ないし、楽しいし、優しいし、居心地良いし、なんやかんやしっかりしてくれるだろう」という考えのもと結婚していく。これが間違いなのだ。
実は結婚に必要なのは、相手と辛抱強く向き合う忍耐力と、人の振り見て我が振り直す内省力、きちんと困難を背負う気概、役割を全うする責任感などの、「強さ」に分類されるものである。優しいや居心地の良さや楽しさではない。
というか、「優しさ」や「居心地の良さ」や「気遣い」などはマナーであり、テクニックだ。誰が居心地の悪い人と結婚したがる?
初対面の人に敬語を使うように、気遣いなどはマナーなのだ。優しさも気を付けていれば感じさせることもできる。問題なのは付き合った後、優しさががなくなったあとに何が残るのか?ということである。
優しさなど付き合うまでが最高潮であとは下がる一方だ。それでなくても新生活でお互いストレスを抱えるので優しさを持ち続けることの方が困難だといえる。
そうなった時に優しさを再び得ようと反省して努力するのか、それとも「俺だって仕事で忙しいんだから仕方ないだろ」となにか理由をつけて無反省なのかで、幸せな結婚生活か不幸な結婚生活か分かれる。
加えて奥手男性と呼ばれる男性がいるが、彼らも要注意だ。彼らは奥手と言うように「好きな女性がいるのに行動できない」男性である。告白できなかったり、プロポーズに何年もかかったり、両親に挨拶いかなかったりする。
にもかかわらず、交際は続けるし、デートは誘うし、最悪の場合避妊すらしない。要はリターンを受け取らないと行動できないのだ。フラれるというリスクが許容できないのに、その人と付き合いたいという想いはある。だから先に正解や安心がないと行動できないのだ。
当然だが、人生に正解などない。正解を作っていくのが人生であり、重要な分岐点でしっかり将来プランを提示したり、自ら相談したりするのが誠実さであり、責任感である。
にもかかわらず彼らは相手から先に答えを貰おうとする。彼らは人生の重要な分岐点に対する相談も相手から提示してもらわないと自発的に相談を始めることもできないのだ。
彼らは何か失敗しても人のせいにできるような行動を取る。だからこそ、相手から答えを貰ってから行動する。何か失敗したときに「あの時、反対しなかったじゃないか」と他責しまくる。
要は奥手男性とは無責任なのだ。先に答えや安心感を得てからじゃないと行動できないくせに、付き合いたい、結婚したい、セックスしたいと思っている。しかし、リスクは負いたくない。その無責任な行動が奥手という行動として表面化しているのだ。
そんな人間と結婚してしまうと、自分が相手を引っ張り、躾ける覚悟が必要になる。そこまでしても何か失敗したらあなたのせいにされる。何故なら、あなたが相談事を作り、二人で決断したからだ。
奥手男性の本質は無責任なのだ。失敗を恐れるあまり、「先に相手から告白して欲しい」と思ってるから自分から告白できない。
相手の両親に挨拶に行くのが怖いから避妊せず、子供ができたらなし崩し的に結婚しようとする。
ガツガツ来ないから安心しがちだが、彼らの本質は答えがないと行動できないという事は理解しておかなければならない。
このように無責任な奥手男性や、自分が嫌われない為に相手に都合の良いことしか言わない保身的に優しい人間とは結婚したら大変である。
というかしない方がいい。そのような人間と「楽しいから」「優しいから」「居心地がいいから」と結婚するから、尊重を感じず、相談できず、問題が解決できず、孤独になっていくのだ。
これら男性の特徴は全て言動に出るという事である。奥手男性はリスクを許容できないから先に正解や安心というリターンを得てからでないと行動できないという、無責任な思考回路が奥手として行動に出る。

保身的に優しい人間は、相手が救われたり利益を得たりするかどうかではなく、相手の気持ちに寄り添う事を優先する。例えその結果が地獄に繋がっていたとしても、相手が地獄に行くことより、相手に不快感を与えないことを優先する。だから居心地がいい。優しく感じる。
しかし、その寄り添いの結果を冷静に考えると、相手のことを慮ってないことがはっきりわかる。要は自分が傷つかないために相手に優しくしているのだ。
このような言動が見られたらそれは結婚相手にふさわしくない。もし、あなたが子供が欲しくて、年収の高さなどを求めているならそのような男性でもいいかもしれないが、もしパートナーシップのような関係を求めるならば考え直した方がいい。
筆者の友人にも彼女に「結婚する」と口では言うものの、一向にプロポーズも両親へのご挨拶にも行こうとしないものがいた。筆者が「行けよW」と言っても予定を立てようとしない。彼女がしびれを切らし、予定を立てるもののドタキャンしてリスケすらしようとしない。しかし、避妊をせずにセックスをしており、結局デキ婚したのだ。
彼も彼女に寄り添い、気遣いもできて、優しくて、誠実で、まじめで、学校の先生をしている、一見結婚向きの性格である。しかし、本質は無責任な保身的な優しさしか持ち合わせていないのだ。
この夫婦は彼女が友人を躾けて引っ張る剛腕だから上手くいっているが、逆を言うとそれくらいの剛腕を持ってないと家庭崩壊するだろう。
だからこそ勢いで結婚できない人や、子供に拘りを持たない人ほど相手の行動を良く見ないといけない。みな結婚生活に必要な能力が分からないから、「楽しい」「好き」「優しい」「居心地がいい」「気遣いがある」で結婚していくが、それだけではやっていけない。
「楽しい」のはたまに会うからだし、「好き」なのは建前で付き合ってるから嫌なところが見えてないからだし、「優しい」のは日常を共にしていないからだし、「居心地がいい」のも距離があるからだし、「気遣いしてくれる」のもそれが当たり前になってないから気遣いが特別に感じるのだ。
それがなくなった時、楽しいが当たり前になり、好きが普通になり、優しいはなくなるし、居心地の良さも日常になるし、気遣いは出来て当然のものになる。
要は今まで彼を結婚相手として選ぶ要因だった「楽しさ」や「優しい」「居心地の良さ」がなくなった時に彼に何が残るのかを良く熟慮した方がいい。
そこを想像せずに好きとか楽しいや優しいや居心地のよさだけを重視するから結婚に失敗するのだ。結婚が失敗する原因は容姿や年収や体形だけではない。
④ この年でなんにもない怖さ
自分を尊重してくれない人と結婚すると不幸になることは既に論じたが、かといって独身がいいのかと言うとそうでもない。日本においては独身者は既婚者より短命であることが分かっている。孤独のストレスと恐らく生活習慣、それらを注意してくれる人の欠如などが相まって短命につながるのだろう。
独身は幸福度が低く短命であることはすでに述べたが、注目すべきは幸福な独身者だろう。彼らの特徴は
- 友人が多い
- 家族関係が良好
- 趣味が充実している
- アクティブである
これらを満たしている場合、幸福な独身であることが多い。これは単に友人が多いから、行動的だから、と言ったことではない。”生きているから”幸福なのだ。
生きるというのは単に心臓が動いていたり、つつがなく生活している事ではない。充実感や連帯感などの精神が高揚するような行動を取っていることが生きるという事なのだ。
我々は動物ではない。知性があり、感情がある。それらを満たしていなければ生きているとは言えない。何かに挑戦しそびれて、負けそびれて、勝ちそびれて、謝りそびれて、とどのつまり生きそびれる。
自分の「傷つきたくない」「自分が無能だと気づきたくない」「頑張っても幸せになれない事が怖くて動けない」このように自分の感情を守る事を優先し、外との関わりを持つことを遮断すると途端に不幸になる。

気づけば40、50歳になっており、友人も家族も、恋人も、趣味も、お金も、夢もなにもない人間になっている。それが最も恐ろしい事であり、忌避すべきことなのだ。
だからその真逆でアクティブな人は不幸を感じにくい。ちゃんと”生きている”人は例え独身であっても幸せなのだ。
昔、島田紳助が「人生は玉入れと同じだ。死ぬときに自分の玉入れに何個の玉が入ってるか確かめるんだ。その時に入ってる玉が少ないと落ち込むだろう。玉は投げた以上に入らないんだから、とにかく投げることが大事。」と言っていたがそれと同じである。
自分の不遇を自分の性格や容姿や家庭環境や経済環境のせいにして逃げることもできる。だって自分が無能だと思われるよりマシだから。頑張ったって無駄なんだと思える何かがあれば人は競争することを辞めてしまう。
そこから降りた人間は誰からも愛されず、自分からも愛されない。それは果たして”生きている”と言えるだろうか?
そうならないように我々は日々、人生を彩る何かを探して行動しなければならない。そうやって生きていれば自分の事を理解してくれる誰かが現れてくれるかもしれない。そんな誰かがいれば例え独身であっても幸福になれるのだ。
⑤ 宿儺と裏梅
呪術廻戦には、両面宿儺と裏梅という悪役が存在する。宿儺は腕が4本、目が4つ、口が2つある異形の人間であり、裏梅は存在しているだけで周囲の人間が凍り付き死んでしまう力を持っている。2人は生まれつきの特性によって人と隔たれてきたという共通点がある。
父や母をその力によって死なせてしまっていた子供の裏梅を拾ったのが宿儺だった。以来、2人は前世でも現代でも共にいる。
「宿儺様は何故、私の近くにいても冷たくならないのですか?」
「クハ、それはお前も同じだろう、裏梅。俺の側にいて冷たくならなかったのは……」


2人は親子ではないし夫婦でもない。しかし、お互いがお互いを拒絶しないことを理解している。信じている。2人には2人しかいないのだ。彼らは人から忌み嫌われ、隔たれているが不幸ではない。それは「何か物語があり、それを語れる誰かがいる。それだけで人生捨てたもんじゃない。」という路上のソリストのセリフに通じている。
彼らは人々から疎まれているから、お互いを拠り所にしている。一方で、何不自由ない生活をしている人々は、その拠り所を探すことに躍起になっている。五条悟がその典型例だろう。
彼は寂しさはないし楽しかったと語っているが、きっと自分のことは理解してもらえないとも分かっていた。宿儺にとっての裏梅のような存在は五条にはいないのだ。あの夏油傑ですら五条に寄り添うことはできなかった。何故なら五条自身がそう言っているからだ。

皮肉にも、何不自由ない環境に育ち、友に恵まれ、周りから愛され、全てを持っている五条はソウルメイトを得ることができなかった。しかし、異形の体で差別され続けてきた宿儺はソウルメイトを得ることができた。
五条は物理的に人に囲まれていたが、「自分を理解してくれると心底思える相手」に巡り合うことができなかった。人に囲まれていた分、孤独は強く感じていただろう。これこそ結婚しているのに孤独を感じる人の環境と同じである。
一方、宿儺は「自分を拒絶しない相手」に巡り合えている。ヒーローは拠り所を見つけられずに死に、悪役はすでに幸福だった。
⑥ 人生は行動した通りになる
人生は思い通りにならない。どれだけ不安を振り払っても次から次へと不安要素は出てくる。人は自分の視野の中でしか不安要素を確認できないのだ。
あなたは10個の不安要素を見つけられるかもしれない。「この人はお金遣い荒そうだな」「この人と暮らすと家事は私がやらないといけなさそうだな」といくつか不安要素を見つけるだろう。しかし、より広い視野を持つ人からすると、もっと多くの不安要素を見つけていたりする。

このようにいくら思案しようとも不安と言うのは払拭することはできない。だからこそ不安に身を任せて何かに挑戦してみるというのが重要なのだ。不安に目をつむり恐る恐る何かに挑戦してもネガティブな結果しか得られない。
だが、あなたが挑戦した後の不都合を受け入れる覚悟があるなら、何か不都合があっても改善しようとする気概があるなら、その挑戦は失敗したとしてもあなたは自分自身に誇りを持つことができるだろう。
人生はどれだけ最善を尽くしても上手くいかないが、行動した通りにはなる。不安に目をつむり、嫌々なにかに挑戦するか、自分が傷つくことを恐れて何もしないという行動を取るのか、それとも覚悟を決めて行動を起こすのか、あなたの姿勢で結果の受け取り方が変わる。人生が変わる。
極論、独身のままでも宿儺にとっての裏梅のような存在がいれば幸福である。仮にそんな相手がいなかったとしても、そんな相手を作ろうと頑張ったなら、あなたは自分を肯定できるだろう。それが生きるという事なのだ。
行動の積み重ねが人間を作る。何をしてきたか、何を乗り越えてきたか、それらは言葉よりも雄弁にその人間を表している。あなたが失敗を恐れて行動しないなら何も得られない空虚な人間になるし、嫌々なにかをしていたならネガティブな人間になる。ポジティブに頑張るなら何も得られなくても善い人間になれる。


何も得られなくても何かを得るために頑張ったという行動をとったあなたは素晴らしい人間である。その積み重ねが人を豊かにする。それをしている人は例え独身であっても幸福だし、逆に自分のことを理解してもらえない、尊重されない、拒絶されると感じたなら結婚していても孤独になる。
そうならないためにも、優しいだけじゃなく芯があるか、自分の意見を言えるか、自分の意見を相手が傷つかないように言えるか、反省することができるか、あなたに向き合っているか、その基準が減点方式でないか、損得勘定が強くないか、怠け者でないか、プライドが高くないか、そういった内面を良く見ないといけない。
好きだけでやっていけるほど結婚生活は甘くない。あなたの相手は今後50年連れ添うパートナーであり、子の親となる存在である。入り口は容姿やトキメキや居心地の良さでもいいが、容姿だけの自己中や、トキメキだけの怠け者や、奥手という無責任な人間や居心地の良さがなくなったら何も残らないような相手を選んではならない。
必ずどこかで孤独を感じる。家族がいるのに孤独になる。妙な相手と結婚して孤独になり、離婚も自由にできない状況になるくらいなら、後悔のない独身の方が遥かに幸せである。
自分にとって何が大切でどう生きるのが自分に適しているのか、それを知るために我々は色んなことに傷つくのかもしれない。