昨今、ワンピース考察界隈で考察が原作を歪めてるという風潮が蔓延している。その結果、考察アンチ勢が勢いを増し、作者の言葉を切り取り「作者は考察を嫌がっている」と主張することにより、考察者を引退に追いやっている。
今日は、考察が原作を歪めているのか?
作者は考察をどう嫌がると考えられるのか?
これらについてワンピースと呪術廻戦を通して論じていきたいと思う。
目次
① 結論
結論から言うと考察は原作を歪めている。それを確信したのは、呪術廻戦の269話である。この回は宿儺を倒した後に、捨て身の選択をした乙骨をヒスな心配性である真希が問い詰めて、新宿決戦の振り返りをする回なのだがこれが大炎上した。
曰く、「作者の言い訳じゃないか」「ネットで突っ込まれてた事じゃねぇか」「あと数話なのにこんな話を描くなんて信じられない」といった具合にバッシングを受けた。筆者はこれこそが考察によって原作がゆがめられた確たる例だと思っている。
一部の読者が連載中に戦闘描写や戦闘設定に矛盾を指摘したり、中には重箱の隅をつつく様な指摘もあった。それらがSNSやYouTubeでトレンド入りをしまくり、嫌でも目に入るような環境であったため、作者が一部の考察好きと、逆に良く分からないまま読んでいたライト層に向けて「あれはこうだったんだよ」と、解説してくれた回が269話だ。
これこそが考察によって原作がゆがめられた典型であろう。要は炎上するほど騒がなかったら269話はああなってないのだ。
読者は「作者の言い訳回じゃん!」と好き勝手に言っているが、そもそも我々考察勢があれほど作中の矛盾や説明不足を指摘せず、日下部優しい問題やミゲルのポリコレ問題など、ありとあらゆるものを批判の対象にするような誹謗中傷さえしなければ269話があんな形になる事はなかったのだ。それを「自分たちのせいじゃん」とならないのは控えめに言ってメタ認知が弱いと言わざるを得ない。
② でもそんな話を作った作者の責任じゃね?
確かにその通りではある。それを無視して作品のクオリティを追求する話を作ればいいのだから269話をあの形にしたのは100%作者の責任である。
だが、人から何の影響も受けずに作品を作るのは不可能だ。編集の意見を受けてクオリティが上がるように、いかな天才漫画家とは言えポジティブな事も、ネガティブな事も含めて人は他人に影響を受ける。
特に芥見先生は他人の目を気にする人だ。それは最終巻のあとがきにも表れてるし、

何より最終話までのカウントダウンが公表された際に「多くの人が納得できる最終回を鋭意製作中です」と語っていることから、人の目を気にする人と言うのは垣間見えていた。

まぁ、それらも無視して作品のクオリティを高める努力をしろよと言われたらその通りなのだが、芥見先生はそういう人ではないし、そういう人ではないからこそ、あれほどエモい作品を作り上げられたのだ。
加えて、「読者に言い訳するな」というのは簡単だが、一部の読者はそれを求めていたではないか。あなたは確かにこの話を望んでなかったかもしれない。しかし、この話を望んでいた読者もいただろうし、この話によって良く分からないまま読んでいた人の中に救われた人もいるかもしれない。つまり、自分が望んでないからといってそれが必要ない話だとは限らないのだ。
さらに、普段は「読者の思い通りの展開を描け!」と宣う者達にそれを言う資格があるだろうか。彼らは五条が死んだときに「五条を殺すなんて!」とひたすらに暴れ散らかし、推しの子の時は「アクアが死んだのにそこから数話で完結なんてあり得ない」と、自分の望んだ展開じゃなければ憤っていたではないか。自分が望んだとおりの展開を望むくせに、それに作者が配慮した展開を描いたらそれはそれで文句を言う。
③ 悪意ある読者
作者のあとがきやコメントを見る限り、作者は読者のことを非常に慮る人であることは明白である。それに対して我々、読者がしたことは「日下部は優しくない!」「急にミゲルを使ってポリコレぶっこんで来た」「みんなは花なの?」「読者の嫌がる事を描いてるんだから叩かれても可哀想と思えない」こういった意見をSNSで発信することだ。
これに対して作者は「ない悪意を汲み取られた時は声を上げたくなる」とあとがきで書いている。それは本当にそう思う。読者が嫌がることをわざと描く作者がどこにいる?
それは読者が嫌がる事ではなく、作劇上必要な展開なのだ。にもかかわらず彼らは自分の感想のみを唯一絶対の指針とし、それに沿うか沿わないかで判断し、その感情をSNSで発散させている。
彼らがやっているのは読書ではない。彼らは「何が描かれた」ではなく「自分がどう感じたか」で作品を「批評」しているのだ。それは読書とは言わない。批評だ。本来の読書とは、ありのまま作品を読み、それによって自分が感じた感情を噛みしめるのが読書だ。
だが、彼らがやっているのは自分の中で勝手に自分が好きな展開を想像してそれに沿ってるかを判断している、批評なのだ。だからすぐに「駄作」とか「下手」とか「漫画を分かってない」などと言い出す。
とにかく彼らがやっているのは、ありのままを読む読書ではなく、自分がどう感じたかを指針として漫画を批評する事なのだ。始末が悪いのはこれを無自覚なことである。だから自分が普通と思ってるし、正しいと思っている。
その為、作者は「ない悪意を汲み取られた」と言っているのだ。悪意などない。露悪的な意志などない。読者が嫌がる事を描いてやろうなどという考えはない。それらはあなた達が勝手に思い込んでいるだけだ。作品を読んで感じたストレスの責任を他者に当てつけたいだけだ。とにかく自分で自分の機嫌を取るという事が彼らにはできない。
④ 呪術廻戦の場合
呪術廻戦の場合、考察によって原作が歪められた。それは作者に過失を求めるような行き過ぎた考察をYouTubeやTwitterで垂れ流した結果、読者の目を気にする作者の目に留まり、269話がネットで散見された指摘や矛盾に対する弁明回となってしまった。
とはいえ、話の内容自体は批判されるほど酷いものではない。乙骨の心配をする真希がその性格通りに乙骨を責め立て、それに対して仲間たちが自身の見解を述べる。能力不足で負い目を感じた者達も自分の心情を吐露して許し合えたことで、わだかまりも解消できた。
単に説明会に終始していたわけではなく、誰かを感情的に責め立てる性格のキャラが責任を追及し、それに対して当事者たちが見解を述べていく。合間にキャラ同士の関係性や感情の機微が差し込まれ、負い目や贖罪を吐露して許し合い、しがらみを絶って前を進み始める。これらをしっかり描いているので、漫画としてのクオリティは決して低くない。むしろ高いまである。
無論、読者の言い分や感情など無視して作者の描きたい話を描くのが一番ではあるが、芥見先生はそれができない人だし、その特性を突いて「言い訳するな」「ネットで言われたやつじゃん」など、口汚く批判できることに筆者は困惑する。そしてそこには「自分たちがネットで騒ぎ立てたからじゃん」と我が振り直す素振りが微塵も見えないところが恐ろしい。
まとめると、読者の意見を無視してクオリティを高める話を作るのが一番ではあるが、269話のクオリティは決して低くないし、言い訳回として見ても不自然な流れではなかった。しかるべきキャラがしかるべく動いていた。
それに269話がこんな形じゃなかったとしても、恐らく負い目を感じるキャラたちが心情を吐露して許し合って前に進むための回はどこかで差し込まれたと思う。逆に差し込まれなかったなら、それはそれで違和感のある、薄っぺらい作品になってたのではないかと思う。
⑤ ワンピースの場合
ワンピースは最近、考察によって原作が歪められている、つまらなくなった、作品の質が落ちている、と言われている。作品の質が落ちているのは筆者も同感だし、少なからず考察というジャンルが影響を与えているとも思う。
同時に考察勢は「歪められてなら、考察によってどこがどう歪められたのか根拠と共に示せ」などと不可能な事をいう者がいる。そのためまず、今のワンピースのどこが問題なのかをハッキリさせたいと思う。
- ワンピースは読みづらくなった
- 意味深な単語が増えた
- ワンピースはつまらなくなっていない
① ワンピースは読みづらくなった
これは間違いない。というか昔から読みづらい漫画である。
筆者は高校生の頃までワンピースを敬遠していた。その理由は「みんなが読んでるものを読みたくない」という天邪鬼な感情と、「ごちゃごちゃして読みにくい」という2つの理由からだ。今でも覚えているが、ワンピースを読むときだけはワンピースの読み方に切り替えないといけないとよく思ったものだ。
何が読みづらいのかと言うと
- 絵が細かい
- セリフが多すぎる
- 脈絡がない
- 脈絡のない設定の後付けが増えた
① 絵が細かい
単純に絵が細かすぎる。遠近を無視した描かれ方をしており、どこまでが背景でどこまでがキャラなのか、その背景も建物の造形に加えてやたら植物があったり雲があったり、とにかく一コマ一コマの情報量が多い。
一コマに描かれてる絵の線が多すぎる。大きなコマで複雑に描かれてるならともかく、小さなコマですらも書き込みが凄い。それに目が疲れるのだ。BLEACHやトリコを読んでも目が疲れることはなかったがワンピースは目が疲れる。
② セリフが多すぎる
そしてセリフも多い。1ページにかなりの数の吹き出しがあり、情報量の多い絵の細かさも相まってページを開くと「うっ!」となる。高校の時に頂上戦争を読んでいた時など、読みづらくてしょうがなかった。
個人的には頂上戦争あたりから一気に読みづらくなったと思う。始まりは恐らくアラバスタだ。あそこも舞台があっちに行き、こっちに行きして、背景とキャラの距離感が分かりづらくなり、話も難しくなっていた。
③ 脈絡がない
ワノ国から顕著だが、キャラの会話がかみ合ってないことも増えた。とにかく5W1Hがないため「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「なんのために」「どう」伝えようとしているのか、直感的に分かりづらくなった。ワノ国からその兆候は出ていたし、もっと前にさかのぼるならドラム島から起きていたことではあるが最近は特にひどい。特にエッグヘッドからは目も当てられない事になっている。
以前にもブログで書いたがエッグヘッドでベガパンクがヨークに対していったセリフがある。それは天竜人になりたいと言ったヨークに向けて言った言葉がこれだ。
「昔、いったじゃろう!マリージョアへ!」というこのセリフだが、シンプルに倒置法なのが読みにくい。「昔、マリージョアへ行ったときに天竜人の所業を見たじゃろう、あんな人間になりたいのか?」という文章を倒置法で、断片的に喋っているから非常に読みにくい。

脈絡が薄いのでセリフが説明不足に感じるし、逆に説明口調になってしまっている。キャラ同士の会話でも同じことで、AとBが同じ主題で話をしていないことが多くなった。詳しくは下記の記事を読んで欲しいが、全く論理のない会話や前提が事が増えた。
④ 脈絡のない後付け設定が増えた
ゾロのスナッチなどがその例だろう。今までゾロがスナッチを唱えていたこともなく、シモツキ村でそれを唱えているものがいたこともない。ゾロに全く関わらない設定だし、赤鞘たちが唱えるためにどこかで説明する必要があり、それに伴いモモの助に伝える形でゾロに説明させたのだ。これもワノ国から増えた。ゾロと牛丸が似ているなども結局、たいして物語に関わらない設定だし、結局牛丸の素顔は描かれないままだ。
最近で言うと、エルバフのアブサンや眠り霧地帯など、意味深なワードばかり出てくるがそのどれもが本筋とは関わらないものばかりである。そういったワードが出てくるのは問題ないが、あまりにも多すぎるし、本筋に関係なさすぎる。
もはや後々、伏線として主張できるように種をばら撒いているようにしか見えない。そしてそれがそのままノイズとして読みづらさに繋がっている。

② 意味深な単語が増えた
先ほども述べたが、もはや読者が覚えられないペースで量産されている。
スナッチ、アブサンや眠り霧地帯、エルバフの梟、モサ公、アビス、ドミリバーシ、ロッキーポート、後々にきちんと必要な情報もあれば全く必要ない単語も多い。
これらは後々に伏線と主張できるようにばら撒かれているものだと思われる。当ブログでは初期の頃から尾田先生は伏線と言うより後付けが上手い漫画家だと評しているが、それが最近は雑になってきている。
以前はキャラの使いまわしや、設定の紐づけをナチュラルに組み込んでいたが、最近はわざと狙いに行っている感がある。昔に比べて明らかに意味深な単語が増えた。
今まで出てきたワードの中で「なにそれ?」となったものなどクラバウターマンやパイロブロイン、古代兵器程度で、どれもその章で必要なものだったり、世界観を広げるものであったり、本筋に関わるものばかりだった。
しかし、アブサンは登場の仕方が明らかに従来と違う。今までは、ナミが高熱で倒れた後にケスチアというダニに刺されたことが分かった。クラバウターマンも姿だけは空島で登場したが、説明がなされたのはウォーターセブンだった。パイロブロインも空島に入り空に海と島があるなんて不思議だと一味と読者が思っていたところに空島の人間によって説明がなされた。
このように今までは物語の本筋と関わるものだったり、世界観を広げるために説明が差し込まれていたりしたが、アブサンは幻覚を見る前に「緑の妖精と呼ばれる幻覚を見る酒だから気をつけろ」と説明されている。これは単なる前振りである。その前振り通りに幻覚を見たのかと思いきや、眠り霧地帯を通ったせいで昏睡し、目が覚めたら神気取りの巨人が作ったレゴブロックの世界だったという、アブサンが一ミリも関係ない展開だった。
このような描写は前代未聞である。従来の説明上必要なものでもなく、世界観を広げるものでもなく、後々に回収するために張られた伏線でもない。もしこれが伏線ならクラバウターマンのように先に幻覚の描写を差し込むはずだ。最低でも緑の妖精が登場していただろう。
そうやって読者に「あの幻覚って何だったんだろう」「緑の妖精って何だったんだろう」と思わせておいて、後から「あれは実はアブサンという酒によって見ていた幻覚だったんだよ」と種明かしをするのが伏線であるし、今までのワンピースならそうしていた。しかし、その面影は今では全く見られない。
③ ワンピースはつまらなくなってない
ここまで論じたことと逆説的だが、実はワンピースはつまらなくなっていない。我々のようなディープな読者はつまらなく感じるが、ライトな読者は実はそこまで感じていない。
実際、考察など全く興味のないワンピース読者に聞いてみると、我々が感じてるような読みづらさや違和感などは感じていないことが多い。それは単純に読み込んでないからだ。我々と違い、シャンクスの腕に神の騎士団のマークがあるかないかで読むものや、ヤルルがどんなキャラだったか覚えているものなどいない。
変に説明口調に感じているのは実は我々、考察勢の方だったりする。ライト層はむしろ説明を入れられなければヤルルが誰なのか分からない人の方が多いのだ。しかし、我々は熟知しているため不要なセリフや説明セリフに聞こえてしまうのだ。
確かに説明セリフが増えはしたが、それはそれだけワンピースが長期連載していることの証明であり、長期化すればするほどキャラも増えるし記憶も薄れていく。それを補う配慮としてこの現象が起きているのだろう。
考察勢は「説明セリフ」や「脈絡のない会話」や「キャラの崩壊」「設定の崩壊」をつまらなくなった根拠に挙げているが、そのうち大多数のライト層が認識するものは恐らく「キャラの崩壊」くらいだろう。
特に「設定の崩壊」などは気にも留めてないだろう。ゾオン系の設定崩壊などは無視できないほどのものだが、ライト層は「ふーん、そうなんだ」程度にしか思っていない。
⑥ 「普通」と言う「異常」
我々、ワンピース考察勢にとって今のワンピースは非常に読みにくいし、以前ほどの面白さや熱量はなくなっているものもいるだろう。しかし、それが普通と思ってはいけない。呪術廻戦の269話がそうだったように、作者と編集部が見ているのは大多数のライト層なのだ。ライト層が読んでわかる話、ライト層が忘れているなら補填する話を制作陣は作らねばならない。
要は考察勢という集団に属しているため、それ以外の集団の人たちの感性が把握しにくくなっているのだ。そして自分が属している集団以外の集団に向けた配慮や構成が、不必要に感じてしまう。それが読みにくさに繋がっているし、考察勢が面白くないと主張する根拠に挙げている部分に関わってくる。
逆に今のワンピースを「登場キャラをうろ覚えの人が読んだらどうなるだろう」と、ライト層の視点で振り返ってほしい。登場キャラが多すぎるし関係性も把握するのがかなり難しいことが分かると思う。そこを補填するためにはワンピースの説明口調や呪術廻戦の269話ができてしまうのはさもありなんである。
とはいえ、もう少し作り方を変えることもできると思う。それこそワノ国編後に差し込まれていたキャラの説明文などでも事足りると思う。ただ、ああいった説明文を全ての章でやっていくわけにはいかないからあのような説明セリフが多くなるのだろう。
⑦ 尾田先生、考察見てる説
本人はSBSで考察は見ないようにしていると言っていたが、筆者は見ていると考えている。というのも前述したが最近、明らかに考察を意識した単語が頻出している。それは脈絡と関係ない単語とその単語の出し方から垣間見える。
加えて最近のシャンクス双子説や、シャンクスの左腕問題、森の神問題など、巷で言われている考察が現実のものになっている。これも筆者は考察が当たったのではなく、考察に原作が引っ張られた現象ではないかと思っている。
というのもシャンクス双子説はあまりに有名であり、意識して考察を避けていたとしてもワンピというコンテンツに触れている以上は目に入ることが避けられない状態であった。
加えてシャンクス双子説は根拠があまりにこじつけすぎて、一部の考察者以外からは相手にされていないほどレベルの低い考察だった。詰まることろ、誰も信じておらず、また信じるに足る根拠がないため、誰も「もしかしたらあるかもしれない」とおもえなかったからこそ、このシャンクスが実は双子だったと種明かしされた時に、初期設定されていたと思えないところが問題なのだ。要はシャンクス双子説を事前に読者が納得できるだけの伏線や匂わせがなかったから後付けに感じてしまうのだ。
この説の根拠と言えば、「シャンクスが悪者っぽい」とか「傷がない」とかそういったものしかない。どれも主観や描き忘れも考えられるものばかりで、「描き忘れ」を否定する根拠も存在しなかった。従ってこのシャンクス双子説は「本当にそうかも!」という考察ではなく「面白いけどまぁ、ありえないだろうな」というエンタメ考察でしかなかった。ところがそれが現実のものになってしまった。
それだけではない。最近で言うとハーレイの壁画に書かれた森の神、地の神のくだりも空島のウワバミに対する儀式が初出だが、ハーレイ以前から神話系考察者がアレを根拠に様々な神話考察を打ち出していた。
だが、普通に考えてあれは世界観を広げるフレーバー以上の意味を持たない。単に大昔の儀式を継承し、アニミズム的な疑似科学を行なっている未開の文化を描いているに過ぎない。
尾田先生は後付けをするのが非常にうまい。レイリーの件やバギーとシャンクスが海賊王のクルーだったというのも、元々の伏線ではなくキャラの使いまわしだし、後付けである。レイリーを海賊王のクルーにしたことで間接的にバギーやシャンクスが海賊王のクルーだったという伏線に見えてしまうだけで、実際は根拠にも伏線にもなっていない。

このように尾田先生はキャラを使いまわしたり、後から付け足した設定を伏線っぽくみせるのが非常に上手い。森の神のくだりも同様である。空島の時点では99%の読者はあそこに深い意味があるなんて思っておらず、単なるフレーバー付けにか感じていない。
それを考察者があまりに騒ぎ立てるものだから、後から伏線に仕立て上げたのだろう。だから、ハーレイで森の神に言及されたとしても「空島の儀式が伏線だったんだ!」と思えないのである。たまたま、同じ単語が使われただけかもしれないし、それを否定するだけの根拠が「空島は伏線」勢が提示できていない。要は空島のあの儀式がハーレイの神々の伏線になっていた証拠が乏しすぎるのだ。
こう書くとワンピ考察アンチに聞こえるかもしれないが、単に客観的に一歩引いてみた場合、「それは使いまわしだよね」「後付けだよね」と言えることが多いだけだ。
それに筆者は当ブログで3年前から「尾田先生は後付けが上手い」「巷で言われている伏線は、伏線ではなくフレーバーである」と一貫して主張し続けている。
話は逸れたが、ここで言いたいのは
- 「尾田先生は、キャラの使いまわしと後付けが多く、それらが最初から用意されていたと思える根拠が弱い。後から海賊王のクルーとして登場させるつもりで、序盤に登場させたとしても、「あ!シャンクスとバギーを海賊王の元クルーという事にしよう!その為には序盤に描いたあのシーンにいるキャラを副船長として登場させた方がいいな」などのように、使いまわしの可能性を否定できない以上、使いまわしや後付けと呼ばれて仕方のないものが多い。」
- 「脈絡のない伏線張りや後付け設定がなされたと感じることが増えた。つまり、考察を楽しむ人に向けて、この脈絡のない単語や設定が追加されたのではないかと思ってしまう。」
- 「上記のように、使いまわしや無理な後付け設定が増えたし、巷の考察通りに作中の展開が実現した時に、最初から構想されていたと思えない。シャンクス双子説や左腕問題が最初から構想されてないんじゃね?という可能性が否定できない以上、後付けの設定に感じるし、そこに加えて最近増えている急な脈絡のない単語や設定を見る限り、考察勢に向けた作者の配慮、遊び心を感じる」
のである。
要は、シャンクス双子説や左腕問題などが、最初から構想されていたとは思えず、仮に構想されていたとして、それで物語が面白くなるとは思えないのだ。
もちろんビックリするのでそういう面白さはあるが、それは一過性の面白さに過ぎず、作品そのものの面白さやクオリティの高さに寄与するものではない。
それに加えて双子説や左腕問題などが、事前に多くの読者が漫画を読んでいる最中に認知できていないので、取って付けたような設定に感じるのだ。
考察勢は巷の考察に詳しいため、双子説などはワンピ読者なら誰でも知ってると思っているだろうがライト層はそんなもの知らない。知らない読者の方が多い。
従って、「え!シャンクス双子だったの!」で終わる感想を持つ者が殆どだろう。これが物語の整合性を取るためのものならともかく、そういった役割も期待できない設定ではないだろうか。
せいぜい、頂上戦争での「カイドウと小競り合いをしていた当人がもう?!」という、シャンクスの瞬間移動的航行速度の速さを説明つける役割でしかない。あれも考察者が騒いでいるだけでライト層は微塵も気にしていない描写なのだが、考察勢を意識するあまり、その部分の整合性を取る必要性に囚われてしまい、無駄な後付け設定を作ってしまっている。
そのせいで物語が複雑化し、長期化し、矛盾が生じ、その矛盾を払拭するためさらなる後付け設定を作り、その後付け設定が「こじつけ」と言われないようにするために「アブサン」や「眠り霧地帯」などの本筋と無関係な単語を伏線と仕立て上げられるようにばら撒き続けている。それによって物語が複雑化し、長期化し、矛盾が生じ......とエンドレスに廻り続けている。
正直、シャンクス双子説、シャンクス左腕問題、森の神考察、これらが現実になっている以上、尾田先生が考察をみていないと主張するには無理がある。勘違いしてほしくないのは「これらの考察が当たったから尾田先生考察見てるやろ」と言っているのではない。
最近の、脈絡不明のない会話や意味深な単語の先出し、かつて使った単語の使いまわしを見る限り、圧倒的多数のライト層より、考察勢が歓喜する作りを意識しているのが目に見えて増えている。そのため尾田先生は考察を見ていると考えた方がしっくりくるのだ。
というか現代社会においてSNSやYouTubeを視聴せずに生活することなど、ほぼ不可能であり、そこにはワンピースの考察ネタが溢れかえっている。それらを1つも目にせず生活するなど不可能なのだ。否が応でも何らかの影響を受けてしまう。作者なら尚更だろう。
さすがに考察からの逆輸入はないと信じたいが、それすらも筆者はあり得る話だと思っている。特に今の読者は幼稚な人間が増えている。このような読者からの炎上や批判を避けるためには巷で人気の考察をパクるのは有効な手段だ。そこで考察が盛り上がれば、戻ってくる読者や考察好きな読者による熱狂も生まれるし続くことも十分考えられる。
つまりワンピースの収入源になる。なので逆輸入はない話ではない。実際、和久井健先生はSNSで指摘されたキャラの性格の不一致を単行本にて修正しているし、公式に謝罪もしている。このように、読者の指摘によって原作が変わる事は十分あり得るのだ。
ならば考察からアイディアを逆輸入することも十分考えられる。特にワンピースは物語上における矛盾がかなり多い。(ワノ国内での移動時間、レヴェリーにおけるコブラ王殺害の無理のある日程状況など)これらと整合性をとるためには、かなり無理のある設定の後付けが必要であり、そこにはすでにある程度論理が成立している巷の考察がある状態。この状態なら逆輸入することもなくはない話だ。
そして何よりも美味しい。すでに読者が「え~!!」と驚く様な考察があるのだ。そしてそれらを用いれば物語において生まれてしまった矛盾を解決できるし、読者が勝手に考察ポイントに仕立て上げた頂上戦争におけるシャンクスの瞬間移動などの説明も可能となる。これらを使わない手はない。
さすがにクリエイターとしてそこまで落ちてないと信じたいが、現状のワンピースではそれがないとも言い切れない。本当にイム様とジョイボーイは美女と野獣のオマージュかもしれないし、ドフラミンゴとミホークはドレミの法則で繋がってしまうかもしれない。
シャンクス双子説や左腕問題など、常識ある読者からしたら失笑を買うような考察も現実になっていることから、どんな荒唐無稽な考察も、妄想だと馬鹿にすることができなくなっている。
⑧ まとめ
まとめると、考察は原作を歪めている。それは呪術廻戦の269話のように分かりやすくネットを意識した反省会のような形で現れる場合もあれば、ワンピースのようにライト層の読者ではなく考察勢が喜ぶような作りになる場合もある。
呪術廻戦の場合は作者本人が「多くの読者が納得できる最終回にしたい」と言っていたことから、読者の評価を人一倍気にする性格なのは明らかである。そこに我々、考察者やアンチ達がSNSで作者と作品を叩きまくるから考察者やアンチに向けた話をつくったのだろう。
ワンピースの場合は、「ワンピースの魅力は伏線回収なんだ」と間違った楽しみ方をされたせいで、伏線回収をしなければならない漫画になってしまった。その結果、随所に意味深な単語が溢れ、後でどうとでも解釈を変えられるように肝心な核心はぼかして喋る会話や、言い切る事を恐れるあまり脈絡のない会話が増えた。
これらは単に連載が長期化しているから起きている現象ではない。長期化することで起こる問題は、説明調なセリフやキャラによる現状や前提知識の共有をするかのようなセリフが増えることだ。
しかし、いまワンピースで起こっている問題はこれだけではない。意味深で脈絡のない本筋と関係ない単語の頻出、空白の100年に関わるような話になった時に大して理解が深まる核心が明かされなかったり、どうとでも解釈できるような脈絡がなく言い切る事をしない会話、巷で言われ続けた考察ポイントや考察ワードを使いまわす、後付けと使いまわし、これらが目に見えて増えているせいで読みづらくなっている事。
これらがワンピースが考察によって歪められていると考えられる根拠である。要はライト層に向けた配慮ではなく、考察勢に向けた配慮の方が強まっているのだ。ライト層はそんなことも気に留めてないだろうが、だからこそライト層に向けた設定の後付けや単語の頻出ではないことが明らかである。
そして何よりも行き過ぎた考察は作者としても嫌だろう。先の展開や過去の矛盾を引っ張り出されて、「これはこうだったから、こう考えられる」とか「ここは矛盾があるから、きっとこういう風に解釈すれば矛盾がなくなるから、作者はこういう風に考えてるはずだ」とか決めつけられてはやりづらいだろう。
正直、考察が嫌だという作者はいないと思う。それよりも行き過ぎた考察や過去の矛盾や描写ミスなどを引っ張り出されて「これはこういうはずだ」と言い切られて、SNSやYouTubeにあげられてバズることの方がよっぽど嫌だと思う。
要は「ああじゃないかな」「こうじゃないかな」という考察はウェルカムだが、言い切ったり、勝手に自分が考察や矛盾を掘り出してそれを言い切るようなことをするのが気に障るのではないかということである。当たれば作者凄い、外れたら作者の構成には矛盾と穴があるなどと言われる場合もある。尾田先生が考察が嫌なのはこういう部分だろう。そしてそれらを自らに原因があると思えないメタ認知の弱い読者が増えていることに、これらの現象が起きる根本的な原因があるのだと思う。
呪術廻戦の269話の時もそうだが、あの話を読んで「俺らのせいじゃん」と思えないものは、メタ認知が弱いと言わざるを得ない。無論、「読者の意見で話を作るな」というのは至極真っ当な意見なのだが、アレが掲載された以上「よっぽどだったんだな」と思えないのは正直どうかと思う。
おまけに最終巻のあとがきに対して、ブリブリ文句を言っている連中までいる始末。あのあとがきに対して文句を言う人こそ「人の心とかないんか」である。

このような人の心を持たない読者たちが、一方的に自身のフラストレーションをSNSでぶつけているから原作が歪むのだ。それを「作者はそんなもの気にするな」とか「作者なんだから批判を受け入れろ」と主張するのは本当に人の心がない。
そういう問題ではないのだ。自分が人の何気なく言った言葉に傷つくように、何気なく垂れ流したSNSでの一言が人を傷つける場合もある。だからこそ「あ、俺の一言で傷つけたんだな」と内省することが重要なのである。
ただ、そんなことを言い出したら何も言えなくなるので、傷つく方が悪いというのは当然なんだと思う。筆者もそう思う。しかし、それを免罪符に作者が気にするようなことを無限に言い続けて、原作が歪んだら作者のせいとするのは、いくらなんでも他責思考が強くないだろうか。
確かに誰かの一言を気にして原作を歪めた作者は悪い。しかし、それを自己を顧みることなく作者のせいにするのは、人を傷つけた者のとる態度ではないだろう。確かに作者も悪いが自分は無責任と思い込み、「読者の意見を、ない悪意を汲み取られたとかいうな」とか「読者を不快にさせてるんだから悪意はあるだろ」とか、作者の心情を吐露したあとがきにまで文句を言うのは、本当に無慈悲だ。こんな連中が「考察によって原作を歪めるな」とか言っているのである。
考察による原作のゆがみは許されないが、これだけSNSで考察やヘイトが溢れかえっている状態で、その影響を受けずに漫画を作るのは無理があるだろう。それでも読者の影響を受けて原作を歪めた作者に100%悪いのだが、だからと言ってそれを旗印に作者を責めたり、ヘイトを続けたりしているのはあまりにも民度が低い。
考察が原作を歪めている不快感と同じかそれ以上に自己中心的な読者による原作叩きの不快感の方がきついかもしれない。