日本における幸福度は子あり既婚>子なし既婚>子あり未婚>子なし未婚であるという。しかし、自殺するほど崩壊している家庭もあれば、まぶしいほど幸福そうな独身もいる。今日は令和における幸福論、結婚観を見ていこうと思う。
【目次】
① 幸福とは何か
結論から言うと幸福とは安心感だと筆者は考えている。
結婚する事で、「自分は愛されている」「大切にされる」「尊重される」「相談できる」「家庭の問題に共に取り組める」「楽しさを分かち合える」そう感じる事で安心感が生まれ、引いては幸福を感じる。
逆に結婚していても、「拒絶される」「相談できない」「向き合ってもらえない」「尊重されない」「理解されない」といった状況に陥ったなら孤独になる。物理的に人に囲まれているのに孤独を感じる。それが結婚しているのに孤独を感じる人の心理状況である。結婚=幸せと多くの人が認識しているのは、物理的に人に囲まれているからではない。
自分の話は「拒絶されない」「向き合ってもらえる」
自分は「尊重してもらえる」「愛されている」
将来のことを「相談できる」「近い熱量で向き合える」
日常を「同じ責任感で過ごせる」と安心できるから幸福を感じるのだ。
物理的に誰かがいれば幸せになれるのではない。安心できるのではない。その誰かと分かり合えるから、向き合えるから、分かち合えるから、許し合えるから、支え合えるから、立ち向かえるから、安心を感じて幸福になるのだ。
「家族がいるのにどうして自殺したんでしょう」
「家族がいても孤独な人は孤独だよ」
アントキノイノチという映画で原田泰造が言っていたセリフだが、家族に囲まれて幸せそうなのに自殺してしまう人がいるのはここに原因がある。
彼ら彼女らには、向き合ってもらえる人も、楽しさや喜びを分かち合える人も、分かち合いたいと思える人も、相談できる環境も、尊重すら感じられなくなってしまったのだ。
物理的に家族がいる分、孤独は強く感じただろう。「誰か」がいるのにその「誰か」には一生、理解してもらえない、尊重してもらえない、向き合ってもらえない、分かち合えない。そう感じてしまうから孤独になり、不幸を感じてしまうのだ。五条悟のように。

② 結婚能力
ではなぜ、多くの人が結婚を失敗するのか? それは結婚に必要な能力が何なのか分からないからだ。だから相手選びを失敗し、関係構築を失敗する。
みな好きや楽しいで結婚してしまうが結婚は恋愛ではない。日常なのだ。好きや楽しいや居心地が良いだけではやっていけない。恋愛能力と結婚能力は別物であり、両方必要なのだ。
そして相手が自分に適している相手なのか、結婚向きな人なのかは結婚するまで分からない。つまり、究極のガチャなのである。
だからこそ、相手とぶつかり、話し合い、許し合い、向き合い、支え合っていきたいと思える人と結婚しなければならない。相手にエネルギーを向けることにストレスがなく、自然と話し合いや喧嘩ができるような関係の人と結婚しなければ、上記のように話し合いが成立せず、尊重を感じなくなり、徐々に孤独を感じて不幸に思えてくるだろう。
自分が自然と本音や意見を言えて、少々意見がぶつかっても話し合いがしたいと思えて、きちんとあなたに向き合ってくれる人でなければ結婚しても孤独になり、不幸になる。
③ 結婚相手を考察する
結婚相手は結婚するまで適正な人かは分からない。だからこそ、相手とぶつかる覚悟、躾ける気概、話し合いが成立する関係性を築かなければならないが、それらが成立しない人間がいる。ここでは絶対に結婚してはならない相手を提示する。
- 怠け者
- プライドが高い者
- 生活感覚が違い過ぎる者
- お気持ち思考
怠け者は直らない。何故なら彼らは言い訳の天才だからだ。「理由があるから家事ができない」「事情があるんだから仕方ない」と何か理由を見つけて、家事や育児をしない事を正当化する。
要は、自分が悪いのではなく、自分が家事や育児をしなくていい理由があるから自分は悪くないと、自分のサボりを正当化しているのだ。
こういうタイプはどれだけ注意しても無反省だからタチが悪い。仮に残業三昧だったとしても、「いつもありがとう、今日は俺が家事をするからゆっくりしておいで」や「好きなところに旅行にいこうよ」など、「お返し」をしようという姿勢があれば問題ない。
怠け者はそれすらも忘れてしまうから問題なのだ。何故なら彼らは自分がキツくない範囲で精一杯頑張っていると思っているからだ。だから、自分が悪いと思ってないし、「自分は家事ができないんだから、その分出来る人がやるのは当たり前」という考えなのでリスペクトを忘れてしまう。彼らを一度でも甘やかすと、口では感謝を述べるが態度は奉仕されるのが当然という態度になる。

プライドが高いものも結婚生活には向かない。彼らとは話し合いが成立しない。特に喧嘩した時や、自分が何かを主張した時に隠れていた本性が顕在化する。
彼らは謝罪や反省よりも先に言い訳が出る。「俺だって忙しいんだから仕方ないだろ」とか「私だってキツイんだもん」とか、謝るより先に「できなかった」「しなかった」理由を述べる。
彼らにとって大事なのは謝罪や反省をする事より、「自分は悪くない」と主張することにある。何よりも自分のプライドを守ることが重要であり、こちらの心労や負担など気にしてくれないのだ。
そのような人間とは話し合いが成立しない。こちらが改善点を話し合おうとしても、向こうはプライドを守るために自己都合を並べ立てるので改善もない。
それでも相手のことが大好きなら構わないが、自分が全てを背負うぐらいの覚悟と気概を持つ必要がある。


生活感覚の違いはストレスを生む。例えばあなただけがハンドソープの詰め替え時期に気づいたり、あなただけが洗濯や皿洗いをすることになる。
だが、実はこれ自体は大した問題にならない。相手があなたがしてくれたことに気づき、感謝してくれて、お返しをしようという姿勢があれば、何の問題にもならない。問題なのはあなたのその生活能力に相手が気づかないことが問題なのだ。気づかないから、感謝もないし、お返しもないのだ。
要は生活感覚が違い過ぎると、あなたの負担が増えるばかりか、あなたの負担に対する感謝や、気遣い、お返しがなくなることが問題であり、そいう人は往々にして上記の怠け者とプライドが高い者の特性を持ち合わせていることが多い。
つまり、あなたが家事の役割分担について話し合おうとしても「俺だって忙しいんだから」と自己都合を述べて、やらない理由を述べたり、自分のプライドや利益を守る事を優先するだろう。なので役割分担をしても分担が有耶無耶になったり、三日坊主になる。
逆説的になるが、あなたの負担にきちんと気づく人は、そもそも自ら仕事を見つけて率先して対応するため、あなただけが家事をするという事がない。つまり、生活感覚が近しい人と結婚できれば、あなただけが家事をすることはないし、感謝もされるし、お礼もされる。
しかし、相手がそういう能力を持っていて、仕事だけでなく家でもその能力を発揮できるかは結婚してみるまで分からない。なので、「生活感覚に違いがあり過ぎるな」と感じたら、役割分担を徹底することを勧める。
言うまでもないが、あなたが専業主婦やパートであるならばこの限りではない。あなたの仕事の負担が少ないのだから、その分家事はすべきだろう。だが、例え稼ぎに差はあっても共働きならば、家事の分担を求める権利はある。まして相手があなたに対する感謝やリスペクトを忘れているなら尚更である。そのような時に気軽に話し合いができて、きちんと向き合ってくれる人なら問題ないが、上記のような怠け者やプライドが高い者はそれが成立しない。

お気持ち思考で考える者たちがいる。「何を言ってくれたか」「何をしてくれたか」ではなく「自分がどう感じたか」で善悪を判断する者達がいる。彼らは思考と感情が癒着しているため、勝手に「嫌な事を言われた」と思い込み、不機嫌になったり、黙ったり、ヒスったりする。
彼らは注意された時に、「注意してくれた」ではなく「注意された」と解釈するのだ。「何かを言ってくれた」ではなく「何かを言われた」なのだ。常に被害者となる受け取り方をする。注意ではなく、「怒られた」と逆ギレし、意見を言ってくれたではなく、「反抗された」と思い不機嫌になる。だから必要以上に落ち込むし、ヒスったりする。
彼らは感情で考えているから0-100思考だし、自分のことは棚に上げて、こちらの欠点は指摘してくるし、話し合いを持とうとしても不機嫌になったり、黙ったり、泣いたりして話し合いが成立しない。
彼らは相手の意見を聞いても歩み寄ろうと思わない。自分の中にある「理由」や「事情」や「快不快」が唯一の指針であり、その時の気分でアドバイスを受け入れるか、相談のテーブルに着くか決めている。仮に自分に問題があったとしても、それを改善しなければ家庭に不和が出るなど微塵も考えない。究極の自己中であり、他責思考である。
それらを不機嫌やヒスでまき散らすから始末が悪い。自分の機嫌を自分で取れない人と結婚してはならない。彼らは自分が悪くないと思っているので、「自分は注意された被害者なんだ」と思い、不機嫌になりヒスってくる。自分が悪いのではなく、「仕事が悪い」「嫁ぎ先の環境が悪い」「体調が悪い」というように彼らは自分の至らなさに何らかの理由をつけることで自分のプライド守っている。
そんな人間に一度でも寄り添ってしまうと途端に依存されてしまう。こちらが相手に優しくしたことにかまけて、感謝とリスペクトを忘れて、どんどん自分を甘やかし、自分の機嫌の責任を相手に求め始める。こちらが相手に優しくすることと、相手が自分を甘やかすことは別物なのに、彼らはその優しさが当たり前にあると思ってヒスってくる。このようなメンヘラ気質のモラハラ人間は直らないので別れる事を勧める。

④ 地雷の見極め方
分かりやすい地雷は言葉ではなく行動に出る。それらは違和感となり、あなたに迷いや不安を与えてくれる。

もし、あなたが「本当にこの人でいいかな」と迷いがあるなら、それは直感があなたに論理的根拠を告げている証拠だ。その際は一度立ち止まり、以下のような行動がないか確認すると良い。
- 返答に中身がない
- 気持ちに寄り添う事を優先する
- 奥手である
- 家族にスネ夫ママがいないか
- 喧嘩が成立するか
返答に中身が伴ってないものはあなたの相談を真剣に捉えていない。
「結婚したら家事を分担したいんだよね」
「分かった、頑張るよ」
このような人間だったら結婚を考え直した方がいい。重要なのは「自分は何ができて何ができないのか」「どう頑張るのか」、そういった中身の部分であるし、そういった自発的な質問や返答が重要なのである。
にもかかわらず、相手は「分かった、頑張るよ」だけで話が済むと思っているし、あなたから具体的に詰めた話を提示しなければ話を進めようとしない。つまりは、その程度しかあなたのことを考えていないという事だ。
まぁ、これはかなり極端な例ではあるが、このように返答に具体性や論理性などの中身が伴っているかは重要である。その返答がイエスかノーだけでは話にならない。それはただ、耳障りの言い模範解答を述べているに過ぎない。

気持ちに寄り添う事を優先する人も要注意だ。そういう人は優しいし、居心地もいいが、実は本当の意味で優しくない。
単にあなたに嫌われたくないから、当たり障りのない事を言っているに過ぎない。こういう人は、例えあなたがそのまま突き進んだら危険な目に合うと分かっていても注意してくれない。何故ならあなたが危険な目に合う事よりもあなたが不快になる事の方を気にするからだ。
例えばあなたがスカイダイビングをやりたいとする。しかし、あなたはパラシュートの開き方を知らない。ただ優しいだけの人間はそんな時に開き方を教えようとしてくれない。何故なら開き方を教えようとしたらあなたのテンションが下がるかもしれないと考えるからだ。
まぁ、これはかなり極端な例えだが、ただ優しいだけの人間はあなたの利益より、気持ちに寄り添う事を優先する。本当に優しい人はあなたの選択や行為の先に不利益があると感じたなら、傷つかないように不快感を持たないように言葉やタイミングを選んで教えてくれる。
しかし、ただ優しいだけの人間はそうではない。あなたが不快感を持たないようにすることが最優先であり、その範囲の中で最大限優しくしているに過ぎない。だからあなたがパラシュートの開き方を知らないままスカイダイビングをしたら死ぬとしても「楽しく飛ぶ前に、ややこしい事を教えたらテンション下がるかもしれない」と考えて何も告げないことを選ぶ。要は自分が傷つかないために人に優しくしているに過ぎない。
本当の優しさとは、自分が損をしたり、利益がなかったりしても、あなたのことを想いながら厳しい事も言ってくれる人が本当に優しい人なのだ。ただ寄り添って甘やかしてくれる人が優しいわけではない。もし、相手がただあなたの機嫌をとることを優先するような返答をしたら要注意だ。

奥手な人間も要注意だ。むしろ最も忌避すべき人間である。奥手と言うのは「好きな人と付き合いたいけど、嫌われたらどうしよう」と考えて行動できない人のことである。ここまで言えばお分かりだろうが、リターンは得たいのにリスクは取れない性格なのである。
要は先に正解や解答がないと行動できないという事である。だから告白は遅いし、プロポーズに1年もかかるし、両親への挨拶もあなたから段取らないと行ってくれない。
だから先に相手から告白させようとしたり、結婚したいという意志を確認しなければ行動できないのだ。そればかりか、両親への挨拶やプロポーズは出来ないのに、避妊もせずにセックスしていたりする。リスクは取れないのにリターンは得ようとしている。要は無責任なのだ。
これは一事が万事で、家の購入や居住地、貯金や資産形成、将来設計なども、あなたから提案しなければ取り組もうとしない。あるいは相談なしで自分なりに勝手に決めて行動していたりする。この世に確実なものなどない。にもかかわらず彼らは”確実”に”安心”できない限りなんの行動もできない。そんな人間と今後50年やっていけるだろうか。
また、自身のその優柔不断さや甲斐性無しによる行動を見て、相手がどう思うか、どう感じるかを想像できない部分も問題である。先に答えや安心を得てからでないと行動できない無責任な思考回路が奥手という行動として表面化しているのだ。


家族にスネ夫ママがいないか確認しておいた方がいい。スネ夫ママは息子をとにかく甘やかす。息子が悪かったとしても息子を責めない。つまり、あなたが悪者になる。そのような環境で育てられた男性は、精神年齢が低いし、反省しないし、言い訳ばかりする。要はあなたが母親代わりとなり、家事育児をしなければならななくなる。
普通、自分の子供を甘やかすのは恥ずべきことだ。自分の義理の娘から息子の至らなさを聞いたら、恥を感じ、息子を叱って躾けるのが正しい親である。だから親と言うのは結婚した後も息子を厳しくしつける存在でなければならない。でなければ、嫁の親からも恥に思われる。要は嫁の家族と親族になったという認識が薄いのだ。だから臆面もなく自分の息子を甘やかす。
このような家族と結婚するとあなたが厳しく旦那を躾けなければならない。しかも義理の親に嫌われながら。だから相手がスネ夫ママかどうかは見極めておいた方がいい。そしてそういう親に育てられた息子は往々にして怠け者だったり、プライドが高かったり、自分の機嫌は自分で取れなかったり、奥手だったりする。
何か悪いことが起きても「謝ったのになんで許してくれないんだ」とこちらを敵に仕立て上げてくる。そしてそんな息子を全肯定するからスネ夫ママは始末が悪い。もし、スネ夫ママの存在に結婚前に気づいたなら息子だけでなく、義理の親は頼れないし、対立する覚悟も持っておく必要がある。

喧嘩が成立する相手かも見極めておいた方がいい。喧嘩と言うのはお互いが意見を言うから成立する。つまり、相手はあなたに向き合っている証拠なのだ。喧嘩が起きないのはどちらかが我慢をしているか、対立を避けて建前で付き合っているかのどちらかだ。
大なり小なり喧嘩は必ず起きる。その時に逃げたり、黙ったり、不機嫌にならずに向き合ってくれるかどうかは確かめた方がいい。そこで相手なりに真剣に向き合っていると感じたなら問題ないが、向き合わない相手は不機嫌になったり黙ったりして解決に向かおうとしない。
そんなことが続くと、こちらも気軽に自分の意見を言えなくなるし、相談もできなくなる。そうやって静かに我慢が溜まり緩やかに家庭崩壊していくのだ。
意見が対立したり、相手に注意した時に、不機嫌になったり、黙ったり、泣いたりすると、こちらは気軽に相談や意見を言えなくなる。相談しても不機嫌になったり、泣いたりするくらいなら、黙って自分がやる方が楽だからだ。
だから喧嘩ができる相手かどうかというのは非常に重要である。喧嘩が重要と言うより、気軽に相談できて、それに付き合ってくれるかどうかが重要なのだ。

⑤ 減点方式
昨今、結婚相手に条件を求めるようになった。「年収は500万以上」「顔は最低でも星野源」「清潔感は必須」「29歳以下の女性」などなど。条件を求めると言うことは言い換えると減点方式になっているということである。自分の求める条件に合致してないからマッチングしないという事である。それ即ち減点方式である。「この人、どんな人だろう?」と相手の人柄や長所を見るのは加点方式だが、最近は減点方式で見られる事が多い。
この減点方式が良くない。最後は0点になるからだ。自然な出会いが減った今、初対面の人と出会う出会わないを決めるのは、マチアプのスクロール画面に表示される、容姿、年収、身長、学歴である。それ以外の判断材料がない為、みな容姿や年収で取捨選択していく。
それが悪いわけではないし、マチアプではそうなるしかないのは理解できるが、留意しておかなければならない事がある。それは満点の人間などいないということだ。


自分自身が満点ではないように、相手も満点ではない。欠点はある。それを許容できるのか、許容できる欠点なのか、譲れない欠点なのか、改善可能な欠点なのか、擦り合わせができるのか、またそれらをしてでも一緒にいたいと思えるほど好きなのか。これらをしっかり考えなければならない。
入り口はスペックによる減点方式でも構わないが、その後の付き合いに関しては減点方式では上手くいかない。「あ、この人にはこんな良いところがあるんだ」という加点方式でなければ、満点だった人も最後には0点になってしまう。
そしてそういうマインドな人ほどスペックで人を判断しない。よく人間性を見ている。大企業や公務員、工場勤務だから年収が高い人間と、中小企業で年収はイマイチだが、生き抜く力がある人かどうかはここでハッキリと分かれる。
社格だけの人間は人間性で加点されずらいので苦戦するだろう。容姿や年収だけでは結婚まで至らないし、至っても上手くいかない。必要なのは額面上の年収や社格ではなく、本質的な生き抜く力と人間性なのである。そしてそれはスペックだけでは判断できない。実際に交際してみないと分からないのである。
結婚は恋愛ではなくパートナーシップなのだ。結局は人間の全てを使う。その際に減点方式だけだと、切り捨てる事になるし、社格だけで選んでも成り立たない。結局のところ、自分に合うかだけで考えていると上手くいかないのだ。自分は相手に合わせていけるか、相手も自分に合わせようとしてくれるか、その擦り合わせが自然とできるか、成立するか、そういったところが大事なのである。
⑥ 不安に身を任せる
ここまでの事を意識しても結局、最後はガチャである。極力ハズレを引かない方法はあるものの、答え合わせが出来るのは結婚後なのである。だからこそ不安に身を任せる事も重要なのだ。不安など、どうせ次から次へと出てくるのだから気にしてもしょうがない。そもそも完全に無くすことなどできないのだ。不可能な事を実現しようとしても疲労感が募るだけだ。
だから自分なりに「良い人だな」と思える人がいたら、その人の良いところだけを見つめて勢いよく結婚した方がいい。そうでなければ結婚出来ない。どうせ、不安など次から次へと出てくるのだから。

特に結婚すると引っ越しや転職が必ず起きる。つまり、生活に対する不安が生まれるのだ。だが、これは無視していい。例えば「これから生活が変わるから不安だな」というのはライフスタイルの変化に対する不安なので、これは突き進んでいい。
しかし、「この人でいいのかな」というのは不安ではなく「迷い」なので、この気持ちが少しでもあるなら結婚は辞めた方がいい。これは生活に対する不安ではなく、相手に対する不信感である。
迷いと不安は似ているが明確に違う。相手に対する不信感があるのは迷いである。そのまま結婚すると、その迷いが大きくなりやがて後悔に変わる。そうなると全ての歯車が狂いだすので、迷いがある相手と結婚するのは辞めておいた方がいい。
長い結婚生活、幸せだけではない。ともすれば苦労の方が多いのだ。だからスペックだけで判断してはならない。思考回路が真摯で素直で気概があるか見極めなければならないし、自分自身も相手を躾ける覚悟と気概と愛情を持つ必要がある。その覚悟があるならどんな相手でも結婚できるし、幸せになれる。
⑦ 令和の幸福論
変な相手と結婚するより独身の方が100%幸せである。
結婚していると物理的にパートナーがいるから幸せそうに見えるが、そのパートナーから尊重されず、愛を感じず、楽しさを分かち合えず、喜びを分かち合おうと思えず、相談できず、課題に取り組めないと感じたなら不幸になる。
そんな相手と好きや楽しいだけで結婚してしまうからみな不平不満を抱えるのだ。逆に幸福な独身は趣味にハマっていたり、友人と気軽に遊べたり、家族と食事をしたり、特定のパートナーを必要としない幸福を見つけている。
歳を取ると消費的な娯楽や趣味だけでは幸福を感じにくくなる。「俺はゲームばかりして何をしてるんだろう」と虚しさを感じ始める。だからアラフォーになって婚活してしまうおじさんが沢山いるのだ。
しかし、クリエイティブな趣味を持つ人や、人と関わる趣味があったり、気軽に遊べる友人や家族がいる人はこの虚しさは感じにくい。人との関わりによって自分の存在意義や価値を見出せるからだ。

女性の社会進出が進んだ今、女性が生活のために結婚する事はなくなった。自身の幸福のために結婚する時代となったが、その幸福には必ずしも子供や世帯年収は必要ではなくなった。
むしろ夫婦が対等な関係で、対等の責任感で、人生を乗り越えていくパートナーシップとしての側面が強くなったと言える。時代的にも「夫」ではなく、人として支え合える力を持った人が必要とされている。
生活の為に夫の年収を気にする事は減ったし、年収があれば人間性が終わってても良いという時代ではなくなった。年収よりも人柄が大事であり、人柄が良くなければ大企業でも大規模リストラが増えている時代を生き抜けない。社格や学歴だけの人間では生き抜けない。人としての誠実さや真摯さ、素直さが求められる時代となった。
そしてそう言う男性と結婚する方が幸福度が高いと女性自身が認識していることが重要である。無論、「結婚して子供が欲しい」と言う人は顔や年収や年齢で結婚相手を選んでも良いだろうが、そうではない女性も増えた事が重要であり、重要であるにも関わらず軽視されている部分でもある。
激動の令和において必ずしも結婚や子供を持つ事が幸福であるとは限らない。結婚しても尊重してもらえないなら不幸になるし、子供を持っても相手が家事育児に取り組んでくれなければ奴隷のような50年生活が待っている。
それ故にこれからの激動の時代を共に支え合える相手を探そうとするのは至極当然のことである。仮にそのような人と結婚できなかったとしても、気軽に相談できたり、尊重してもらえたり、喜びを分かち合ったり、自分の話をしたいと思える人がいるなら、あなたはすでに幸福である。

映画、ドラマ、漫画、スポーツ、音楽、SNS、推し活、ありとあらゆる娯楽が飽和している時代で、わざわざ特定の一人と共に生きていくには理由が必要な時代となった。一人で幸せになれるからこそ、二人で生きていくのに理由が必要なのだ。それが喜びや楽しみを分かち合いたい、支え合いたいという想いだろう。それはあなただけが持っていても成立しない。相手も同じだけの想い持っていないといけない。そしてそれはプレゼントやたまに行く旅行ではなく、日々の家事や会話の向き合い方に現れるのだ。
令和の時代、「稼いでるんだから家事は出来なくて仕方ない」という相手とはやっていけない。「いつも頑張ってくれてありがとう、今日は俺が全部するからゆっくりしておいで。来月は旅行に行こう」という相手でやっと幸せを感じられる時代になっている。いや、たまにの旅行より日常の家事の方が重要まである。とにかく幸せがインフレしているのだ。だからこそ無理に結婚しなくてもいい時代になっている。
消費的な娯楽だけではいつか寂しさや自己の無価値さを感じ始めてしまうが、気軽に遊べる友人や、人と関われる職場や趣味、食事を共にする家族がいるなら、この自己の無価値さは感じにくい。それらがあるならそれを大切にしたうえで、いい人がいたら結婚するというのが令和の結婚論だろう。
結婚とは、自分がまず幸せであり、生活に不安がなく、余裕があるという状態で自然にいい人と出会えたならすればいいものである。わざわざ、マチアプや結婚相談所でお金を使い、時間を消費し、労力をかけてまでするようなものでもない。
むしろ、そんな事をしていたら、「お金をかけたんだからこのレベルの人と結婚しないと嫌だ」とか「もう、年齢的にも時間がないからこの人にしとくか」とか、サンクコスト効果で、変な相手と結婚してしまうだろう。
せっかく独身で幸福だったのに、変にマチアプなどをしてしまったせいで普通じゃない精神状態になり、間違った結婚をしてしまうだろう。そんな結婚をするくらいならしない方がはるかにマシである。あなたが子供がどうしても欲しいというならマチアプや相談所を利用した方がいいと思うが、そうでないならまずは自分が安定して幸福である事が重要である。
結婚しなければ生きていけない世の中でも、結婚しなければ幸せになれない世の中でもない。独身だったとしても、遊べる友人、相談できる人、帰れる実家、これがあるならあなたは既に幸せである。
「何か物語があり、それを語れる誰かがいる」
「それだけで人生捨てたもんじゃない」
路上のソリストという映画で言っていたセリフだが、人は自分の話を聞いてもらえるだけで幸せを感じられる生き物である。自己開示には麻薬に近い快楽効果があるそうだが、キャバクラやカウンセリングが流行っているのはそういった事情があるのだろう。
要は自分の話を聞いてくれる誰か、自分が気軽に話したいと思える誰かがいればいいのだ。その相手は友人でも家族でも職場でも構わない。もし、そんな人が一人もいないなら、あなたは探さなければならない。距離の要らないもう一人を。
もし、いるならあなたはすでに幸福であり、その幸福を「誰か」と共有したいと思ったなら、その時があなたの結婚適齢期なのである。