spriteの考察日誌 ONE PIECE考察

ONE PIECE / 呪術廻戦 / 格闘技 / ポケモンの考察ブログ

呪術廻戦 252話

 

 

呪術廻戦の最新252話の内容です。

未読の方はご注意ください。

 

 

 

(引用:呪術廻戦/著者芥見下ヶ)

 

 

 

① 乙骨の生死

 とりあえず生きてそうではあるが戦線離脱だろう。目の前で好きな人間が両断されても一切のメンタルの崩壊がない鬼人となった真希には感心する。人の心をあっち側にもっていかれただけはある。

 一方、リカちゃんは涙を流しているように見えるのでこちらはやはり12歳の少女というところか。しかし、このリカの持ち運び方を見ると両手で乙骨を運んでいるが、リカの右手は乙骨の上半身、左手は下半身を運んでいるように見える。実際、両断されたシーンでは左腕を含む、背中まで斬撃が貫いているので恐らく次元斬で両断されたのだろう。今も、かろうじて息があるか、もしくは死の直後かもしれない。まぁ、人間殺されてもすぐに死にきるわけではないだろう。肉体的には死んでいてもわずかに執念というか思念というか、そういったものはあるだろうから、恐らく乙骨も「死んではいるが、死に切ってはない」と言ったところではないだろうか?

 

 問題はここから蘇生はあるのか?というところ。恐らく一命はとりとめるだろう。例えば、リカが完全に成仏するという縛りで、乙骨の蘇生をするのではないだろうか?

というのも、今の乙骨には明らかに意識がない。いくらリカから呪力供給があったとしても、意識がなければ反転術式は回せない。そのためリカの意識があったところで、乙骨自身に意識がなければ治癒しようがないのだ。

 となると家入かリカか虎杖、もしかしたら腸相が他者へ反転術式を使えればワンチャンあるが、家入は単純に技術不足で胴体を治癒できないし、虎杖は戦闘中だし、腸相は使えるかわからないし、使えても他者に使えるかは分からない。そうなると現状リカくらいしか手立てがないが、リカが半ば呪霊なら反転術式は使えないだろう。仮に呪霊要素がなかったとしてもそもそもそこまでの知識や技能がリカにあると思えない。

 

 そして最大の要因はこのままでは真希と乙骨が結ばれないことだ。リカがいる限り、真希と乙骨は結ばれないし、乙骨の領域展開「真贋相愛」というネーミングを見てもリカを忘れる気はなさそうだ。そして2人は0巻で身も心も1つにする縛りを結んでいる。つまり、魂も1つになっているのだろう。それならば乙骨が死ぬまでリカは消えないだろう。

だが、リカ自身が乙骨を助けるために自らの存在の抹消と完全なる成仏を選んだなら、乙骨を蘇生するという荒業も実現可能だろう。というかそうでもしないとリカは乙骨から離れられないし、真希と乙骨が結ばれないのも作劇上あり得ない。そのためにはリカに永遠に消えてもらう必要がある。それがリカが犠牲になることで乙骨の蘇生、またはあの世に行くのをリカが身代わりになるしか考えられない。

 

② 考察的中

ドンピシャで考察が当たりました。

以下の記事は約1年前に執筆したものであるが、その内容は

  1. 宿儺の反転術式の精度が異常に高い
  2. 宿儺は魂を知覚している
  3. 真人は魂の形を強く保つことで、身体を直していた

この根拠から、宿儺は魂の形に沿って反転術式をしているから精度が高く、魂の形を強く保てば釈魂刀でも切れないのではないか?そして切られても魂すら治せるのではないか?と考察した。

さすがに釈魂刀で切られないという考察は外れたが、魂は治るというのは的中した。

五条の死に方を当てたことと言い、このブログ及び筆者のYouTubeチャンネルを見ている人はお目が高いですよ!(笑)

 

 

 

↓魂の修復についての考察

sprite289.hateblo.jp

 

 

↓宿儺の斬撃は拡張術式によって無下限呪術すら切断できるのではないか?という考察

sprite289.hateblo.jp

 

 

 

↓宿儺の「開」は術式ではないという考察(乙骨のコピーで「開」が使われなかったことによりほぼ確定した)

sprite289.hateblo.jp

 

 

↓宿儺の正体と斬撃の本質についての考察

sprite289.hateblo.jp

 

sprite289.hateblo.jp

 

 

 

③ 腸相先生

 突如現れた腸相。これはイメージかと思ったが現実なのだろうか?

わずかに腸相の口元に吐血の跡があるので現実っぽいが、今の今まで何をしていた?

深手を治していたのだろうか?

そしてこのレクチャーは恐らく赤血操術の感覚の話だろう。術式の開花間もない虎杖に再び赤血操術の感覚を教えることで見逃していた負傷箇所を赤血操術で察知することを教えているのだろう。

 今ここで復帰していることから腸相も反転術式を会得している可能性はあるだろう。

 

 

④ 真希VS宿儺

 個人的には残念なシーンがあった。それは呪力0の仕様を宿儺が把握していなかったことだ。個人的には宿儺はそういうところまで把握したうえで伏魔御厨子の仕様を練り上げていると思っていたのでここは残念だった。

 しかし、呪力0は完全にイレギュラーなので今まで出会ってなくてもおかしくはないか。むしろ呪力0の存在を知らないまま無機物対策をしていた、つまり呪具や通常兵器、隠れ家ごと殲滅できるように練り上げていた宿儺が異次元だったということか。

むしろ知らなかったことのほうが尚更化け物時見てる感じがして良いような気がしてきた。

 

 今のままで宿儺と五分の肉弾戦をしているが、宿儺の反転術式の出力が戻り始めていると乙骨が言っていたように、裏梅が言うようにまだ本気じゃないことを考えると、真希単独ではなく、猪野拓の龍や、日下部の簡易領域のディフェンス、冥冥の遠距離攻撃、虎杖の近接で畳みかけていく流れになるだろう。そのタイミングで「開」がお披露目になるだろう。

 

 

 真希が煽りとして「それ続けながら私と戦う気か?」と言っているが、これは言い換えると宿儺お前まだそれを一瞬で治せる方法か私たちを即座に戦闘不能にする方法があるんだろ?」と言っているように思える。でないとここでこの問答は要らないだろう。本来ならば即座にその奥の手を使って心臓を治癒して殲滅に入った方がいいのだろうが、万が一自分にクリティカルな対策を持っていたら積むので、細く長く戦いながら相手に先に奥の手を使わせるプランで宿儺は戦っているのだろう。これは「開」に炎だけでなく治癒に関する術式があるのかもしれない。

 

 術師たちが宿儺の斬撃に反応していたのは、どうやら呪力の起こりだけでなく、実際に斬撃が見えてるらしい。あれが速すぎて見えないのか、そもそも不可視の斬撃なのかは分からないが、少なくとも空気を面で捉えられる領域にまでいると観測が可能らしい。他の術師より見えてるという発言から、他の術師も真希ほどじゃないにせよわずかながら知覚は出来ているのだろう。

 

 以前にも書いたが、無生物の魂を観測する=空中ジャンプができるという認識は誤りである。

単行本をみればわかるが、空気を面で捉えられるようになったのは、河童の相撲を通じて「自由」になったから、つまり空気に面なんてないという固定観念を打ち破ったから知覚できるようになったのだ。だから直哉の音速を空気の密度や湿度が教えてくれると言っていたのだ。空気の魂が教えてくれると言っていたわけではない。

加えて無生物の魂という概念が登場したのは、その少し後に直哉の領域を破った時に初めて明かされたのだ。真希が初めて空中ジャンプを会得した時ではない。もし、魂を捉える=空中ジャンプができるようになるという事なら、河童相撲の時に説明があるはずだ。

 加えていくら魂が重要な作品とはいえ、そこら辺の空気に魂があってそれを蹴って空中ジャンプするというのは支離滅裂だろう。無生物の魂とは真希の釈魂刀に宿る真衣の魂や、恐らく七海の鉈に宿る七海の魂のように、全ての空気中に魂が無限に存在するのではなく、特定の物体に特定の条件が重なることで魂が宿るか形成されるだけだ。冷静に考えれば空気の魂を蹴ってジャンプというのはおかしな話である。

 無生物の魂を捉える力と、空気を面で捉える力というのは別個の力であり、同時に魂を捉えられるくらいの実力と自由さがなければ空気を面で捉えることもまた難しいのだ。

 

⑥ 本気

 宿儺は本気じゃないらしい。というか燃えないのだろう。実力が低すぎて。だが深手を負ったことでようやくエンジンがかかったようだ。

 

 まぁ、どうせ物語的に宿儺は負けるのだから気にしないとして、予想されるのは「こんな事なら最初から本気を出しとけば良かったじゃん」という声だ。必ずこういった重箱の隅をつつくような上げ足取りをする人がいる。筆者はこの作品が好きなので予めここで筆者の宿儺の戦略を宿儺というキャラクター性も加味しながら弁明しておく。展開次第ではなんの弁明にもならないかもしれないが。

 

 そもそも宿儺は戦闘狂であり、暇つぶしをしているに過ぎない。そしてここからは筆者の憶測だが、殺されたいのだと思う。五条が「僕を殺すのが寿命や病気じゃなく、僕より強い奴で良かったよ」という思いに通じるものがあるが、病気はともかく、老衰で死ぬのは宿儺としては嫌なのだろう。だから時を超えてもなお、暇つぶしとしていま戦っている。

 

 そして宿儺の情報というのは文献などで後世に残っている。加えて澁谷で領域展開や「開」を見せ、現場にいた日下部、そしてなにより虎杖によりそれらの情報が相手にあるというのは分かっていることだ。作中でそのように説明されたことはないが、澁谷で「開」を知られているものだと思っていたと語っている事と、五条戦から今に至るまで手札を隠しながら戦っていることから、高専の宿儺メタを警戒していることは間違いなく、その宿儺メタとは虎杖から提供されるであろう領域展開と「開」に関する事だというの宿儺サイドの情報量でも随分推論できるのだ。

 

 つまり宿儺としては

  1. 斬撃と「開」と領域展開、十種影法術は知られている
  2. 高専側はこれらをメタっているだろう
  3. 先鋒の五条悟が使い捨てかつ、高専との連戦が控えている

とここまでは宿儺も想像できるわけだ。実際に手札を隠しながら戦っていることからそのように考えて戦っていることが分かる。なら宿儺としては、それらの宿儺メタを先に高専側に使わせるか、使えなくなるまで追い込む必要がある。

 いま、日下部が「開」対策をしていないというのは高専側しか知らないし、それを知らない宿儺としては宿儺メタがある前提で戦わなければならない。つまり完全体になった今でもなお宿儺は全力を出せないのだ。

 

 もし今後、宿儺が「開」をお披露目したあとになんらかの形で敗れることになっても、宿儺としては先に「開」をできない以上、こう戦うしかないのだ。だから、「こんな事なら最初から本気を出しとけば良かったじゃん」という声は上げ足取りにしかならないのだ。そして本気を出したくても五条悟というメインディッシュの後に小粒な敵複数では盛り上がらないのは致し方あるまい。この上げ足取りは宿儺のキャラクター性及び、細かいメタ分析を怠ると噴き出しやすい。無論、決着がついてないので今の時点では何とも言えないが、先に予防線を張らせてもらった。

 

 とはいえ、おかしな部分がないわけではない。領域が封じられた直後に乙骨が即領域展開をしに来れば、仮に乙骨、宿儺、五条の3人で領域に入ることになっても、必中効果を宿儺のみに絞れるのでヤコブを撃っとけばいい話である。

とはいえあの時は魔虚羅も健在どころか、宿儺は十種影法術や斬撃すら使っていなかったため、乙骨が介入すると下手をすると完全体+十種影法術+斬撃+「開」+裏梅乱入による神解武という最高戦力になり、もっと犠牲が出たかもしれない。あと、忘れてはならないのは五条自身が戦闘狂だということだ。その気持ちを尊重することと、宿儺の手札の数を考えると得策ではなかったのかもしれない。日車の領域も同様だろう。どちらにせよ、ヤコブで宿儺を瞬殺及び行動不能に出来なかった以上、完全体+五条のダメージも今ほど深くないなら、尚更ヤコブの効果は薄かっただろう。その間、魔虚羅でヤコブを適応されたら、まさに無駄骨となるし、その公算は高かっただろう。

 

 

 

風邪が長引いているので今週はYouTubeではなく記事に上げさせてもらった。

 

 

 

 

 

 

 

ひとつなぎの大秘宝は、巨大な金貨である

 

 

ワンピース最大のロマン、ひとつなぎの大秘宝について考察する。

 

 

① ひとつなぎの大秘宝の正体

 結論から言うとひとつなぎの大秘宝の正体は、巨人サイズの巨大な金貨の山である。

 

② バギーの洞窟

 25巻でバギーが真っ暗な洞窟を探検していた事を覚えているだろうか?

あそこには何故か電気があり、親方なる人間もいた。ただのギャグパートとして読み飛ばす所なのだが、ワンチャンなにかあると仮定して深読みしていこう。

 ONE PIECEのストーリーや背景描写、キャラ設定などにディズニーの要素が多いのは考察者の1人であるドロピザさんにより明らかになっている。ディズニーランドにインジャンジョーの洞窟というのがある。このインジャンジョーが手掛かりではないかと筆者は考えた。

 

③ トムソーヤーの冒険

 知っている人も沢山いるだろう。アメリカのトムソーヤー少年による冒険譚である。筆者も小学校1年生前後にハックルベリーフィンの冒険、シンドバッドの冒険と並んで大好きだった物語だ。

 その内容は腕白少年トムソーヤーがハックルベリーといたずらをするのだが、ある時、真夜中の墓地でインジャンジョーが殺人をしているところを目撃した。裁判所でトムソーヤが真実を告げるとインジャンジョーは逃走。

後日、トムと同級生のベッキーが観光用の洞窟を探検していると衰弱したインジャンジョーを発見。この事が報告されると洞窟は鉄扉で封鎖されるが、トムの証言により洞窟の捜索が行われ、餓死ししたインジャンジョーが発見される。

インジャンジョーが洞窟で何をしていたか気になったトムはハックルベリーと共に洞窟を探索する。するとインジャンジョーが隠した財宝が見つかったのだ。この金貨を2人で折半したところで物語は終わる。

 

④ インジャンジョーの財宝

 もし、尾田先生がひとつなぎの大秘宝をこのトムソーヤの冒険からインスパイアされたものだとしたら?このインジャンジョーの洞窟に隠された財宝がそのままひとつなぎの大秘宝かもしれない。

 物語ではインジャンジョーの財宝は十字架の下に隠されていたが、十字架というのも4つのロードポーネグリフに記された地点を結んだ所にラフテルはあるという設定とも繋がるだろう。何故なら4つのロードポーネグリフを繋ぐというのはまさに十字架の形になるからだ。

f:id:sprite289:20240302181941j:image

(引用:ONE PIECE/著者尾田栄一郎)

 

 

⑤ なぜ巨大なのか?

 それは過去の遺物が大体巨人サイズだからだ。マリージョアにある麦わら帽子ポーネグリもエッグヘッドの鉄巨人も、巨大なサニー号の竜骨である宝樹アダムも、過去から連綿と続くものは大体巨大なのだ。これはつまり、ひとつなぎの大秘宝も巨大なものだと考察できる。

 そして極め付けはニカだ。ニカになり本領を発揮する時、大体ルフィは巨大になるか体の一部が巨大化する。もしジョイボーイが過去にゴムゴムの実の覚醒者だとしたら、彼は巨人だった可能性が高い。能力を発動している時だけ巨大化するならあんな巨大な麦わら帽子を被る必要がないからだ。あのサイズの麦わら帽子を被るということは、ジョイボーイもあのサイズだったからに他ならない。だから、彼が残したとされるポーネグリフも巨人サイズなのだろう。作ったのは光月家だが、明らかに人間サイズでない事を鑑みてもジョイボーイは巨大な人物で間違いないだろう。

 もし、ジョイボーイが巨大なら彼が残したひとつなぎの大秘宝も巨大であるはずだ。ロジャーが笑ったのもあまりに大きいサイズの金貨が大量にあるため、持ち運べなかったから笑うしかなかったのではないだろうか?

せっかく財宝を見つけたのに、あまりに巨大であまりに大量にある事から、「こんなの持って帰れねえよ!」「そんなのありかw」的な感じで笑ったのではないだろうか?

 

 

 

⑥ まとめ

ひとつなぎの大秘宝は巨大な金貨の山である。

  1. それは巨大な麦わら帽子や、巨大なロードポーネグリフを残してる事から、ジョイボーイが巨人サイズだったため、彼の残した財宝もまた巨大かつ大量にあるのだろう。
  2. 何故、金貨なのかというと、尾田先生がインスパイアされているディズニーに世界でも有名なトムソーヤーの冒険のアトラクションがあり、それとそっくりなものがバギーの洞窟冒険にて描かれているからだ。つまり、トムソーヤーの冒険に出てくる財宝を、そのままONE PIECEでも採用している可能性がある。
  3. 当初5年で終わる事を想定されて構想された内容と、現在その内容を拡張した物語である空白の100年や世界政府などの設定や物語と齟齬が出ない。つまり、巨大な金貨の山がひとつなぎの大秘宝なら、5年以内に終わる物語としてそのまま走らせる事も可能であり、逆に巨人サイズという点からジョイボーイが巨大である云々のように後から設定を付け加える事も可能なものになる。

 

 筆者は以前に5年で終わる事を想定して物語が始まったという事から、ひとつなぎの大秘宝は、空白の100年やニカなどとは無関係なものであり、様々な設定を後付けできる拡張性のあるものではないか?

現在の物語に登場するひとつなぎの大秘宝は、5年で終わる前提のものから大幅に変わっている可能性があると考察した。

 

「ひとつなぎの大秘宝について考える」

https://https://sprite289.hateblo.jp/entry/2024/01/26/105848

 

 この考察ならこの条件にも当てはまるだろう。つまり、インジャンジョー=ゴールドロジャーが残した財宝という事にすれば、ロードポーネグリフや空白の100年など持ち出さなくてもいいし、逆に後から巨人サイズの人が残したという事にもすればそれを軸にして様々な要素を後付けできる。

そして恐らく今はこの後者で物語が進んでいるのだろう。

 

以上が筆者の拙いひとつなぎの大秘宝の考察だ。

 

 

 

 

 

せっかちが多くなってるらしい

 

 

 

 

近頃、人間はせっかちになってるらしい。

 

 動画は1.5倍速視聴が当たり前。映画などは映画館には行かず、ネタバレを見て、サブスクで1.5倍速視聴するそうだ。

 聴くところによると、楽曲のイントロも昭和から平成までは平均17秒あったものが2021年以降急激に短くなり、今では平均6.3秒となっているらしい。

 情報量もネットの普及に伴いとんでもない速度で、とんでもない量の情報が我々の脳や心に流れ込んできている。現代人一人当たりの1日に得る情報量は江戸時代の1年分、平安時代の一生分だそうだ。

 それだけの情報量が入ってきたらいちいちすべてに目を通すわけにはいかない。冒頭の数行にだけ目を通し、有意義でなければ閉じて、有意義であれば軽くスクロールしながら流し見して必要そうな部分だけ拾おうとする。

せっかちにもなるというものだ。

 

 

 サブスクなども収益につながる再生時間が定められているため、イントロで人を惹きつけ、すぐにAメロBメロに移っていくことでスクリーミングを稼ごうとする。

 記事もそうだ。冒頭で結論や解答を提示しなければ、一瞥すらされない。そのため全文を読まなくてもいいように、予め冒頭でもう結論を打ち出しておき、その根拠や証拠などを一目で全てはいるように箇条書きのようにまとめて打ち出しておく。

ここまでしてようやく読まれるかどうかだ。

何を隠そう、当ブログもそのような書き出しで漫画の考察記事を書いている。

もうここまで書いている時点で、ここまで読んでいる読者はごくわずかだろう。このブログの1日の平均アクセス数はおよそ150件前後だ。その中でここまで読んでいる人は恐らく1人いるかいないかだろう。

 

 

 つまり、現代人は情報の取捨選択を高速ですることが当たり前になっているのだ。

 YouTubeの動画などがそのいい例だろう。視聴者のうちおよそ50%から60%の約半数が冒頭の30秒以内に離脱する。その動画が自分の知りたいモノでなければ閉じるし、食指に合わなければ閉じる。

 別に悪い事ではない。動画を見るというプライベートな時間を我慢して「これも勉強だ」と思いながら視聴する必要は一切ない。

高速で取捨選択をするのは当たり前のことなのだ。

見方を変えれば頭の回転が速いともいえる。

だが、同時に疲弊もしているともいえる。

 

 

 毎日毎日、平安時代の一生分の情報量を処理し、仕事もこなし、多様性や寛容さを意識しながら相手を傷つけないよう配慮し、世間から見て多様性に理解のある人間を演じながら、SNSでは人々の不平不満を目にして、自分の愚痴や意見をつぶやこうものなら心無いリプが返ってくる世の中で炎上しないように注意を払い、そんな中で蔓延する性病と不同意性行罪に怯えながら、恋人を作り、結婚し、育児もこなさなければならない。そこにのしかかる増税と物価高と社会保険料の数々。

 

こんな中では子供を持つメリットがあるのかないのかという尺度になってしまうのも分かる気がする。

人々が疲れ切った頭でぼーっとSNSを1日中見てしまうのも分かる気がする。

 

 

 この現状を打破するための政治には期待できない所がさらに将来に暗い影を落とす。

現在の日本は民主主義の皮をかぶった専制君主制である

選挙に立候補しようにも数百万円にも及ぶ供託金と当面の生活費が必要だし、当然投票してもらうための票田も必要だ。よしんばそれを乗り越え、当選したとしても数百人いる考え方の違う人間を納得させ、自身の進める法律や政策を推し進めねばならない。

それだけではない。裏金疑惑や過去のあったか定かではないデマや報道、国政と全く関わりのない議論に加え、他の議員からのバッシングと追及を潜り抜けねばならない。

秘書からの密告、パパラッチ、他議員からの追及、信頼していた議員の不祥事。

選挙時のマニフェストなど無視した法案の数々。

 

はっきり言うが今の日本は民主主義ではない

 独裁者を民主的に選んでいるに過ぎない。そして選ばれた人間はマニフェスト通りの政策など一切しない。そもそも他人を代表者として選んでいる時点で自分が必要としている政策が実現することなどあり得ないのだ。

自分たちの生活の決定権を他者に委ねるという点では民主制も専制君主制もさしたる違いはない

 

 考えて欲しい。立候補する人間は金持ちではあるものの、国政に向いているかどうかは分からない。金を稼ぐ事と、国を動かす事は全く違う能力が要求されるからだ。

そればかりかこの民主主義とは、犯罪者である暴露系YouTuberが当選してしまうシステムなのだ。

 これは別にガーシーに限った話ではない。アレはたまたま犯罪者がYouTubeというプラットフォームで発信したから墓穴を掘っていたが、バレてないだけで何らかの犯罪に手を染めている人間が立候補していたとしても我々には分からないのだ。要は犯罪者であれ、国政の能力が低い人間であれ、その正体を隠して弁舌がたてば、国会議員になれるシステムなのだ。しかもそんなのが数百人もいる。おまけにその数百人は、結果を残さずとも、議論中に昼寝をしても何のペナルティもない。

 その議論も「あなたはどこで何をしたか?」とか国政とは全く関係ない、足の引っ張り合いをしているだけだ。有権者に「この政治家は議員に相応しくない」と認識を持ってもらいたいからやってるのだろうが、どうせ与党と野党がひっくり返っても同じ事の繰り返しを想像させるだけでマイナス効果しかない。

 つまり、日本の民主主義とは犯罪者、または政治の能力が低く、庶民の金銭感覚から大きく乖離した金持ちに、自分たちの生活権を委ねているのと同義なのだ。

これなら、優秀な人間が上に立ち、打倒の対象が分かりやすい専制君主制の方がまだマシかもしれない。

 

 

そして、これらの負の側面から生まれる怨嗟の声がSNSでは毎秒ごとに噴き出している。

 

つまり、何が言いたいかというと、

今、この国は病気なのだ。

 

国も病気、国民も病気、社会システムも病気、価値観も病気、司法も病気、心も病気。

病んでいるのだ。

 

 

 車などで街を走っているとよくわかる。

歩く人はだいたい他人を押しのけるほどの早歩きか、イヤホンをしてだらだら歩くか、千鳥足でスマホをいじるかだ。

バスを待つ人、電車の中の人、公園にいる人、だいたいの人がスマホをいじっている。

そのスマホの中にあるものは怨嗟あふれるSNSだ。

 

 みな不平不満はある。今までは知人友人の愚痴を聞き、自分の愚痴を聞いてもらわねばならなかったが、今ではSNSに好きな時に好きなように吐き出せる。

愚痴の吐き出す手段が簡単になり、吐き出しやすくなった一方で、自分とあまりに違う価値観に触れる機会も多くなった。

 そして人は欠点を直そうとする生物だ自分と違う価値観を「直そう」としたり、違う価値観を「間違ってる」と断じたりしようとするのだ。それが炎上となってトラブルが起きる。

 人は共感する生物だ。他人の痛みを自分のように捉えることで自身を戒め、集団を崩壊させないように本能が働くのだ。そのためSNS他人の愚痴や痛みを目にすると自分のことのように感じてしまう。それが例え1ミリでも自分と関係のない事だったとしても、どうしても共感してしまうのだ。

 ここで言う共感とは、「分かるわぁ、私も経験ある」と言ったものだけでなく、「未経験」でも「他者の愚痴や痛みを理解しようとする」「この投稿を読んで理解しようとする」ことでも共感とは起きるものなのだ。

 

 このようにSNSで自他ともに不平不満を吐き出してスッキリしやすくなったと同時に、他者の不平不満に無意識レベルで、極めて弱いレベルで、だがわずかに、そして確実に、他者の負の感情に共感し、それを「間違ってる」と思い込み、「直そう」としてしまう。

だから疲れてしまうだから病んでいくのだ。

 

 

 そしてこの環境に慣れ過ぎてしまったことで、家でも外でも時間があれば、いや無くても勝手にスマホを見てしまう。

別に悪いとか言ってるわけではない。昔から外で読書する人がいたように、時間を有効に使う手段が、会話から読書、読書からスマホに変わったに過ぎない。

当ブログもそういった病院の待合所などの待ち時間に執筆していたりするので筆者も人のことを言える立場ではない。

 

 

 ただ、そのスマホの中にある世界は果たしてあなたの世界を豊かにするものだろうか?

もちろん仕事で見ている人、ソシャゲをしている人、思い出の写真を見ている人、十人十色だろう。

だが、なんの目的もなくSNSを見ている人、あなたの目の前に広がる風景は、街並みは、人々は、本当に価値のないものなのだろうか?

 ふとした瞬間、ビルに沈む夕日を見て美しいと思ったり、ベビーカーを押すお母さんを見て立派だなと思ったり、スーツを着ている人を見て優秀そうだなと思ったり、世界を見ることで、あなたの心に沸き起こる感情、妄想、想像は、本当に怨嗟あふれるSNSより価値はないのだろうか?

 そんなことないはずだ。この世界を見て美しいと思えるのは人間にしかない感情である。自分のその感情に名前を付けて、その感情の起源について哲学する時間は何物にも代えがたい時間ではないだろうか?

 

 

 仕事の空き時間、電子レンジで温める時間、食事が来るまでの時間、人が来るまでの時間、ありとあらゆる空き時間にスマホをいじる人が増えた

この本質は、「出来ることの拡張性だ」

昔は会話をするか、読書をするか、夢想するかしかなったわけだが、スマホがあれば動画の編集ができる記事が書ける広告が打てる宣伝ができる仕事ができる

 つまり、昔は空き時間という文字通り脳のインターバルがあったわけだが、今ではその時間すら何らかの仕事なり、生産することに使ったりしている。

だから疲れるのだ。だから病むのだ。だからせっかちになるのだ。

 

 

 せっかちだから直ぐに答えを知ろうとする。せっかちだから空き時間に生産しようとする。せっかちだから動画などで関係ない話が始まるとスキップする。

筆者はこれが非常に切なく感じる。

 例えばあなたが漫画の考察動画を見ていたとしよう。(漫画の考察動画とは漫画の先の展開を予想することを指す。)

その会話の最中に話が脱線し、発信者が人生観を語り始めた時に多くの人が動画を閉じるかスキップするだろう。しかし、その中に現実世界のあなたの心を救う思考があるかもしれない。あなたを救ってくれる言葉があるかもしれない。

無論、全く関係のない他作品の話を延々と話し始めたらスキップするだろうが、他者の哲学というのは、自分自身を救ってくれることがある。哲学的な思考を捨てる、あるいは得る機会を放棄するという事は将来の自分を殺すことに等しいとさえいえる。

 

 

 

 今は少し調べればほしい情報はすぐに出てくる。そのため答えだけ早くほしくなるのだ。結果的にせっかちになる。

だからブログなどは冒頭の数行しか読まれないし、動画もほとんどが冒頭の30秒以内に離脱する。でもその中に、本筋とは関係なくても今の自分を救ってくれる言葉があったら?

 

 こんなことを言うとほとんどの人が時間の無駄だというだろう。答えが欲しくてその記事や動画を見てるのに関係のない話は無駄じゃんというだろう。

だがSNSとは違い創作物に含まれる価値観や思考や哲学はその人の本質である。

少なくとも動画の編集の際にカットしなかったという事はそれは伝えたいことなのだ。それが簡単に不平不満をアウトプットできるSNSとの大きな違いだ。

 今はそれを嗜む余裕すらないのだろう。いや、無駄だと思っているのだろう。

ではどこで他者の価値観や哲学を自分にインプットするのか?触れるのか?怨嗟渦巻くSNSか?

だがそれは簡単にアウトプットできる分、一過性の感情的な思考や哲学であることの方が多いだろう。

 筆者は思うのだ。その一見ただの無駄話のように思える哲学的な話にこそ尊い価値があるのだと。無駄こそが心を豊かにするのだと。

 

 

 

 無駄な事でも自分にとって大切な事であればやればいい。耳を傾ければいい。そういった無駄の積み重ねによって人というのは豊かになる。いろんな視点を持つからだ。

逆に今の自分に必要ないと思う事でも、後々に将来を左右することにつながるかもしれない。そのためには哲学的な話が出た際に、無駄なことだと切り捨てないようにして向き合う必要がある。

 だから、もし時間に追われていないならSNSではなく動画の最中の脱線話や、哲学的な記事にも目を通してしてほしい。

空き時間にSNSで不平不満を言ったり目にしたりするのではなく目の前の世界を感じてほしい。他人の不平不満や「こういう価値観が妥当性が高く、最多票をもつだろ?」というような投稿よりも、あなた自身の感情を大切にしてほしい

それはSNSではなく世界をみることで、その光景に想像力を働かせることで、あなたの感性は豊かになる。世界の見え方は大きく変わるのだ。

心の豊かさとはスマホの中だけではない、世界にあふれているのだ。

 

 

 人生に意味なんてない。筆者にとって大切なものが、あなたにとって大切ではないように、幸福や心の豊かさとは相対的なものではなく、絶対的なものなのだ

筆者がこんな記事を書いているのも、人によっては無駄な事だろう。

同様にあなたが好きなサッカーや野球、アイドルやTikTok、インスタのインフルエンサー、ブランド物や高級車やヤンキー的な名声、社会的影響力なども私にとってはゴミほどの価値もない。

そう、人のやることなど突き詰めればすべて無駄なのだ。

だからこそ、人生の意義は、人生の価値は、自分で定義する

無駄な事、つまり思考や哲学に自分で意味を持たせることが大切なのだ。

 

 

 幸福とは絶対的なものだ。だがSNSを見ると自分より金銭的に、社会的に豊かな人が多い。そんな人を見るとそれが正しいことのように思えてしまう。そんな人が言う事の方が正しく思えてしまう。自分もそんな風にならなくちゃいけないと思ってしまう。

 だが、幸福とは絶対的なものだ。SNSのせいで他人の生活が簡単に分かるようになった結果、自分と比較することもまた簡単になったのだ。だから比べてしまう。

しかし、他人と比較したところで待ってるのは、ただの劣等感と自己否定感だけだ。

他人と比較する事を続けていたら、持続的な幸福を手にすることは困難である。

 成功者にとってあなたが何の価値もないようにあなたにとってもまた、社会的な成功など何の価値もないのだ。

 

 そんなことよりも、山に沈む夕日を見て美しいと思ったり、他愛もない話や、自分の話したいことを聞いてくれる友人がいることの方が遥かに大切である。

それは、そんな友人を持てたのがラッキーなのではない。その友人が良い人だから友人になってくれたわけでもない。

今、いろんな苦しい思いをしてきて何の価値もない何も生んでいないあなただからこそそんな友人に恵まれたのだあなただから友人になってくれたのだ。

趣味で繋がるSNS上の友人でもそうだ。その友人が良い人であり、共通の趣味が素晴らしい物であるというのは当然だが、あなたが一歩踏み出してSNSをやっていたから、あなたがSNSで何かを発信したからその人に出会えたといえる。

この人に会えたから運がよかったのではない、この人に出会えた自分で良かった

自分だけが自分を肯定できる。愛すことができる。自分が自分を救うのだ。そこに他者との比較など一切関係ない。他者が介在する余地などない。

 たとえあなたが何も手にしてなくても、あなたが最後の最後に、ほんの一瞬でも自分を肯定することができたなら、あなたの人生は価値があったと言えるだろう。

 

人生に、無駄なことに、意味を持たせることができるのは自分だけなのだ。

そしてそれはSNSで人の怨嗟や成功者の価値観に影響されていたら絶対にできない。

 

 

 だから哲学的な思考を捨てないで欲しい、持っていて欲しい。その思考で世界を見て欲しい。そこにはきっと今までと違う豊かさがある事を感じられるだろう。

無駄な時間、無駄な思考、無駄な努力、無駄な趣味、その一つ一つがあなたの感性を豊かにしてくれる。

 あなたを豊かにするのは他人の不平不満や成功談や成功者の一側面からしか見ていない偏りきった価値観ではなく、あなた自身の感情であり、哲学なのだ。

 別に長い人生のほんの数分、無駄話に耳を傾けてもいいじゃないか。SNSを閉じて世界を感じてもいいじゃないか。

 

気楽にいこう。

 

 

ひとつなぎの大秘宝について考える

 

ひとつなぎの大秘宝。

ワンピースという物語の根幹を成す設定。

この大秘宝について考察していく。

 

 

 

f:id:sprite289:20240126111326j:image

(引用:ONE PIECE/著者尾田栄一郎)

 

 

① 結論

結論からいうとひとつなぎの大秘宝の正体は分からない。

例えばラフテルに、

  • ジョイボーイの遺骨や墓がある
  • ポーネグリフの完全版がある
  • ジョイボーイの銅像がある

などは考えられるし、考えられてきた。

要はひとつなぎの大秘宝は何かは分からないがラフテルにありそうなものは想像できると言える。

 

では今回、何を考えていくのか?

それはひとつなぎの大秘宝の前提である。

 

② 前提条件の整理

筆者はジョイボーイの遺骨や墓、銅像などはあるとは思ってるが、それはひとつなぎの大秘宝ではないと思っている。

もっと言うと今読んでいる物語とは全く関係ないものではないかと思っている

 

そもそもワンピースという物語は5年で連載を完結させる予定だったらしい。

それが途中で王下七武海を登場させたことで話が長くなり、加えて最悪の世代まで登場した。この2つの勢力の設定は連載を始めた後に作られたものであるとわかっている。

つまり、今我々が読んでいる物語は連載開始した最初期の物語と大幅に違う可能性があるのだ。

その物語の中には当然、七武海や最悪の世代などは存在しない。

もし、ひとつなぎの大秘宝が初期設定のままなら?

それは王下七武海や最悪の世代を巡るものでも、もしかすると空白の100年やニカ、ポーネグリフなども関わらないものかもしれない。

 

 

③ 初期設定のもの

ひとつなぎの大秘宝が、王下七武海や最悪の世代が登場するより前の設定のままだとしたら、作中で王下七武海が登場する前までに描かれているものが重要となる。

 

そして振り返るとある重要なことが浮かび上がる。

それはポーネグリフの不在だ。

ポーネグリフが登場したのはアラバスタ編である。もし、ひとつなぎの大秘宝に空白の100年やポーネグリフが関わるなら、もう少し序盤でそれらしき伏線があってもいいはずだ。

例え当初5年の連載で王下七武海などがなかったとしても、ひとつなぎの大秘宝という財宝を探す物語なのだから、偉大なる航路以外にも「世界には失われた歴史があるんだ」とか、ひとつなぎの大秘宝に関わるようなセリフがある方が自然だろう。

しかし、序盤にはそんなシーンは存在しない。

 

つまり、ひとつなぎの大秘宝とは空白の100年などとは関わらないものである。

こう考察することも可能なのだ。

逆に言うと、空白の100年などが前提ではなかったからこそ、王下七武海や最悪の世代や空白の100年という新たな設定を付け足すことができたのではないだろうか。

 

当初、ひとつなぎの大秘宝は空白の100年や王下七武海や最悪の世代などと関わらない、なくても成立するようなものだった

しかし、のちに王下七武海や最悪の世代を登場させるために空白の100年やポーネグリフという設定を用意していき、それをひとつなぎの大秘宝と絡めたのではないか?

 

つまりワンピースは当初、ひとつなぎの大秘宝を探すというシンプルな物語だった

空白の100年という大まかな設定は頭の中にある状態で連載は始まったものの、いつ打ち切られるか分からないうえに、序盤に凝った設定を詰め込み過ぎると読者が離れるので、必要最低限の後付けできる要素だけ作中に散りばめた

連載が軌道に乗り、物語に厚みを持たせる必要が出てきたので、王下七武海や最悪の世代、空白の100年という設定を練り上げ、既存のキャラに後付けで整合性を持たせる要素を徐々に付け足していった。

ひとつなぎの大秘宝は空白の100年という前提を必要としないが、逆にそのような要素を付け足せる余白のあるものだったため現在我々が読んでいる物語に登場するひとつなぎの大秘宝は空白の100年に関わるものに仕上がっていると考えられる。

 

 

要はひとつなぎの大秘宝と空白の100年やポーネグリフをめぐる物語は独立しているのだ

とはいえひとつなぎの大秘宝はただの財宝だと考えられることからそれを残したものとしてジョイボーイという設定を活かし始めたのが現在の物語ではないだろうか?

つまり、空白の100年やポーネグリフなどの物語はひとつなぎの大秘宝と関係なく進んでいき、最後にひとつなぎの大秘宝を残した者がジョイボーイや巨大な王国の者達だったというような筋書きなら、これほど連載当初から物語が大きく逸脱していても整合性が取れていることに納得がいく。

最初から全ての設定が構築されたうえでひとつなぎの大秘宝があるのではなく、ひとつなぎの大秘宝自体はそれはそれで存在していて、そこに物語の重厚さをもたらすために空白の100年やポーネグリフ、王下七武海や最悪の世代などの当初から用意してあった設定を活かしたり、新たな設定を創ったりできているのだ。

 

 

④ まとめ

  1. ワンピースは空白の100年の物語ではなくひと繋ぎの大秘宝を探す物語である
  2. 連載当初は5年で終わる予定だった
  3. そのため物語序盤に王下七武海や最悪の世代ポーネグリフや空白の100年は登場していない
  4. 連載開始から5年で終わる事、そして5年で終わってもいいように空白の100年やポーネグリフが東の海に登場しないことから、ひとつなぎの大秘宝は空白の100年やポーネグリフに関わらないものである可能性が高い
  5. 空白の100年やポーネグリフと密接にかかわらないからこそ王下七武海や最悪の世代などの新キャラや新設定を付け足しても矛盾が生じないと考えられる
  6. ひとつなぎの大秘宝は思い出や友情などではなくちゃんとした財宝であると作者が回答している事
  7. 用意していた設定にしろ、新たな設定にしろ、新要素を物語に加えるという事は今までの物語と矛盾する可能性が生まれるにもかかわらずワンピースという物語は整合性が取れている
  8. 1~7を全て考えると、ひとつなぎの大秘宝王下七武海や最悪の世代空白の100年やポーネグリを前提にしたものではないからこそ様々な設定を加えることができていると考えられる。
  9. 現在、我々が読んでいる物語は余白のあったひとつなぎの大秘宝ではなく、空白の100年やポーネグリフを前提にしたひとつなぎの大秘宝になっているかもしれない

 

このように筆者は考えている。

そしてロジャーとルフィの夢の果ても関わらないだろう。

それらはひとつなぎの大秘宝をみつけたら叶うかもしれないものだからだ。

 

 

sprite289.hateblo.jp

 

 

sprite289.hateblo.jp

 

 

sprite289.hateblo.jp

 

 

sprite289.hateblo.jp

 

 

sprite289.hateblo.jp

 

 

sprite289.hateblo.jp

 

 

五条悟が復活しない3つの理由と社会の歪について

呪術廻戦の最新247話までの内容を含みます。

未読の方はご注意ください。

 

 

 

 

① 結論

結論から言って五条悟は復活しない。

根拠は以下の3つである。

 

  1. 美しい死にざま
  2. 肉体の分断
  3. 髙羽退場

 

 

② 美しい死に様

五条悟の死は漫画史上、最も美しい死に様だったと言っても過言ではない。

あしたのジョー矢吹丈、ワンピースのエースなど、歴史に残る他作品の伝説的な散り際と遜色ない。むしろそれらを凌駕するほど美しい死に様だったと筆者は思っている。

 

想像してほしい。あれほど美しい死に様が描かれて復活するだろうか?

それはあまりにも野暮ではないだろうか。

作者は王道に向き合うことを意識して描いているそうだが、その立場に則ればここからの復活などあり得ないだろう。

 

髙羽VS羂索戦が、ボボボーボ・ボーボボを意識していることからそのオマージュとして復活するのではないかと巷では言われているが、オマージュとは作者の匙加減でいくらでも変わるし、そもそも呪術廻戦のオマージュは表現方法に採用されている

いい例が髙羽VS羂索の幽遊白書のラストシーンのオマージュだろう。他にも遊戯王BLEACH、などのオマージュも数多いが全て物語の展開ではなく物語の見せ場や表現に使われている。

 

この事から呪術廻戦におけるオマージュとは物語の展開ではなく表現にしか使われていないことが分かるだろう。

従って、他作品のオマージュが多いから五条悟が復活するという可能性は低いし、作者の王道と向き合うという姿勢からも復活する可能性は低いだろう。

 

 

③ 肉体の分断

反転術式での治癒は頭部と胴体が分断されるとできないことが明らかになった。

これ自体は、宿儺VS五条戦で初めて領域勝負が繰り広げられた際に、YouTubeの方で考察していた。

反転術式は頭で回しているため、頭で作った正のエネルギーを胴体に流せなくなるためだが、当然逆もしかりで、腹で練った呪力を頭部へ流すことができなくなると、頭で呪力を正のエネルギーに変えることができないので治癒できない。つまり一方通行ではないということだ。

つまり、肉体が両断された今、自力での復活は不可能ということである。

 

そして、ここまで真っ二つにされて完全に死んだ人間を反転術式で治癒していた描写は作中に存在しない。唯一できるとしたら宿儺だろう。

少年院で心臓無しで生きていたし、少年院から高専へ搬送されて復活するまで確実に数時間は経っているだろう事から、宿儺なら臓器がない状態で、死後数時間経っても復活させることができる。

しかし、敵である宿儺がそんなことをするわけないので五条悟は復活しない。できないだろう。

 

④ 髙羽の退場

これまで五条が復活しない理由を述べてきたが、それでもわずかに復活する可能性があったのは髙羽がいたからである。

彼の術式は事象の創造と具現化に加えて魂を共鳴させるので、同じ空間にいる人間の感情や発想も具現化できてしまう。髙羽がいれば五条悟ですら復活しうるのだ。

 

しかし、髙羽は羂索戦で退場してしまった。生きているか死んでいるかは微妙なラインだが、死に装束を身にまとい、羂索と今生の別れを言っていたことから死んでいると考えていいだろう。少なくとも人外魔境新宿決戦が終わるまでは退場と考えていいだろう。

つまり、髙羽を使った復活説というのは潰えたわけだ。

 

 

⑤ 社会の歪

そもそもこの五条悟復活説は、

死ぬ時に宿儺について語りすぎ!

死ぬ時に学生に向けた言葉がない!

五条の勝ちだ!からなんで死んでるのよ!作者都合やん!

といった意見が非常に多い。

snsや考察チャンネルのコメントを見ると殆どこのような内容である

 

これは、明確な根拠があるわけではなく、

五条の死を受け入れられない

自分の思っている五条先生じゃない

などが根底にある事が分かる。

これらは「自分の価値観解釈と違うから」という言葉でまとめる事ができる

 

要は、自分の五条悟像は、「生徒を想い、いつでもヘラヘラしながら相手を圧倒する最強の先生」というものがまず根底にあり、しかし描かれたのは強者として宿儺を満足させられなかったものの自分は満足したということ、そして学生時代の青春を振り返ってるものだった。

それが自分の思う五条悟像ではないから、ヘイトが溜まっているのだ。

 

しかし、きちんと作品を読んでいれば五条の最も大事なものは学生時代というのは分かるはずだ

わざわざ単行本2巻分使って描かれたものだし、五条は度々、「若人から青春を奪うことは許されない」と口にしている。

この事から五条の大事なものが学生時代というのは明白である

 

想像して欲しい。自分が死ぬ際に直接的な血縁もない人間の事を考えるだろうか?

むしろ、自分の家族や自分の中で最も大切な思い出、後悔、未練などを思い返すだろう。

 

そして五条は最強故に孤独になってしまった。その孤独を埋めてくれたのが宿儺だった。

言わば五条は最強という呪いにかかってしまっていたと言える。五条は最後、宿儺という圧倒的な強者に孤独を埋めてもらって死ぬ事ができた。つまり、呪いが解けたのだ

つまり、五条にとって最も苦しく最も心残りだったものは宿儺によって埋まったのだ。

そして人は死ぬ間際、思い返すのは最も大事な思い出、最も未練や後悔の残る事柄である。

そしてそれらは全て学生時代に詰め込まれている。つまり、死の間際に生徒の事を思い出さないのは何も不自然な事ではないのだ。

 

そして五条悟の本質は戦闘狂である

学生時代に、五条悟が夏油を孤独にさせたのも五条が戦闘狂であった事が原因の1つである。

五条は反転術式を会得した後、自身の可能性が広がるのを楽しんでいた。瞬間移動や術式の常時発動など、自分がどんどん強くなるのが楽しくなり、夏油の精神が疲弊している事を気づかず、そればかりか夏油の好物を間違えていた。つまり、それほど当時の五条は他人より自分の戦闘欲を満たす事に囚われていたのだ。

それが五条悟の本質だと言えるだろう。

 

つまり、五条の死に際で描かれた全ては学生時代の時に全て描かれているのだ。

 

⑤ 歪み

このように死に際で描かれたものは全て学生時代に描かれている。つまり、最初に述べた五条悟復活説の根っこの意見は全て、「自分の解釈違いによるヘイト」である事が分かったと思う。

 

そしてこれらは昨今のネット社会で毎日目にする。

極端な例を上げれば

  • 同じ会社の女性に「綺麗ですね」という言葉がセクハラとなる。
  • 露出の高い服を着るとオジサンからエロい目で見られる。
  • 昨今のLGBTQ問題も似たような事例はいくらでもあるだろう。
  • 最近では、ペットを貨物ではなく乗客席に乗せようなどもいったものもある

こういった「自分の解釈、価値観と違うものを徹底的に叩く」というのは、もはや弱者を装った暴力である。

 

先程の例で言えば、「綺麗だね」などは単に褒め言葉だろう。それを「性的な目で見てるからそんな言葉出てくるんだ」などと言われたら何も言えなくなってしまう。

逆に問いたい間宮祥太朗や新真剣佑などに同じ言葉を言われたら、同じように不快感を持つのか?

違うだろう。単に気に入らない上司、気持ち悪いオジサンから言われたから気持ち悪く感じているのだろう。

 

ペット問題でもそうだ。

今回の飛行機事故のような状態でペットが乗客席にいた場合どうなるか?

  • マイクを使ってもCAの声は届きにくくなり
  • 暴れ回るペットが沢山いたら人命が危ぶまれる
  • 仮にそんな事故が無かったとしても例えば隣の席の人に噛み付く
  • 他人の手荷物を漁ってしまう
  • あるいは糞尿がつく
  • ノミやシラミなどの寄生虫を蔓延するなど

様々な問題が起きるのは目に見えている。

 

そういった場合、飼い主は責任を取るのか?

取らないだろう。

こういった時に声高にヘイトを叫ぶ人間にそこまでの思慮があるわけないあるならそもそも叫ばないからだ。

そしてそういう人間は自分が被害者になる事など一切考えていない。蚊帳の外にしか考えていないから簡単に無茶なヘイトを叫ぶのだ。

 

LGBTQなどもそうだ。確かに差別はいけない事だが、だからといって何もかも制限を取っ払うのは犯罪が横行する事は目に見えている。

今でも男性器のついた自称LGBTQが女性トイレに入っている事が問題となり、逮捕されている。

 

これは女性に対する明確な人権侵害であるが、LGBTQなどが可視化できない以上、明確な線引きが難しい。であるならばその線引きは明確なものでするしかない。つまり、体の性差だ。

それしかないのだ。

 

しかし、昨今のこういった問題は寛容さと多様性の盾を振りかざした暴力である。

つまり、LGBTQやペット問題に反対意見を述べようものなら、偏見者、差別者のレッテルを貼られ社会的に制裁されてしまうのだ。

そのため、真っ当な意見でもそれが寛容さや多様性と相反するものならば、叩かれて反対意見を持つことすら許されない風潮になっている

 

これは極めて恐ろしい事である。

寛容さ、多様性を盾にすればどのような無法もまかり通るという事である

その先にあるのは弱者にたいする暴力と多くの人間の人権侵害である。

 

こういった事の背景には想像力の欠如が原因の一つである。

例えば先程の「綺麗だね」と言った発言がセクハラにあたる事も、「この人は普通に褒めてくれてるんだな」と受け取れば全く問題ない。

 

他にも

嫌な事言われたな

でも、この人はこう思って言ってきたのかもしれない

そしたらこの人を責めるわけにはいかないな

というように、想像力を働かせればヘイトは落ち着くはずだ。

 

筆者はなかなか子供を授からなかった。3年間不妊治療をしていたがそれでも授からず諦めていた。そこから数年後に奇跡的に自然妊娠する事ができたが、子供を持つと子供を授からない辛さを知っていても「子供つくらないの?」と言ってしまいそうになる。

それほど子供が生まれると価値観や考え方が全く変わる。

しかし、なんの想像力も働かななければ何でそんなこと言うの?欲しくない人や授からない人もいるのに」と思ってしまうだろう

だが、例えば「そんなに良いことなのかな」「そんなに言ってしまうことなのかな」など、想像力が働けば多少は人を憎む気持ちも抑えられる。

 

もし、「嫌な事を言われたから、この人の価値観は古い、嫌なやつ」で終わってしまうと分断しかない。

しかし、そこで「言った側の気持ちや事情を考える事」ができれば「私はそんな事を言われたら傷ついてしまいます、でも何か言ってしまう事情があるんですね、そんなにいいものですか?」など、自分の価値観のアップグレードにも繋がるし、以降嫌な事を言われる事も減らすこともできる。

 

要は今は、「嫌な事を言われたら言ったやつが100%悪い

寛容さと多様性に反する事を言うやつは間違ってる

寛容さと多様性を盾にすれば無茶なワガママも通る、反対意見を言う奴は価値観が古い

などの思想が根底に蔓延っている。

 

だから自分の価値観と違う事を目の当たりにしたら極めて強い言葉で叩きまくるのだ。

これらは本当に恐ろしい事である。

つまり議論が成立しないのだ。議論しようにも反対意見を言うと差別者だと言われて叩かれるし、自分は重い話をできるほどの関係性があると思って喋った事も相手が「嫌な事を言われたら言った奴が100%悪い」という思想だと、その時点で敵にされてしまう

 

昨今はこのように言語化すると恐ろしい事がまかり通っていることが極めて多い。

五条悟復活説からだいぶ話が逸れてしまったが、このようなヘイト至上主義が復活説から垣間見えるので記事にさせてもらった。

 

243話

 

呪術廻戦の最新話の内容です!

未読の方はご注意ください

 

 

 

① 髙羽の術式

彼の術式は

  1. 現実改変
  2. 相手の魂に共鳴する
  3. 相手のイメージまで具現化する
  4. 髙羽が満足するまで終わらない

 

これらの4つの要素で成り立っている。

この事から彼の術式は単純な術式ではなく、簡易領域のような領域を作り出しているのではないか?と推論する事ができる。

 

根拠として

  1. 髙羽のお笑い欲が満たされるまで終わらない
  2. 三代の簡易領域
  3. 乙骨の乱入がベストタイミングだったこと

 

 

まず、髙羽の術式と三代の簡易領域は似ている。三代の簡易領域は彼が満足するか彼が相撲で負けるかしないと永遠に相撲を取らされる

実際、真希は千を超える取り組みをして、三代に勝ったと同時に三代の簡易領域は崩壊した。この事から、彼の領域は何らかの修了条件を満たさなければ終わらない事が分かる。

 

これは髙羽の術式とそっくりである。

加えて乙骨の乱入がタイミングが良すぎる。まるで漫才を見ていたかのような完璧さだ。

この事から髙羽の術式は閉じない簡易領域を作り出し、一度エリアに入ったものは髙羽と魂が共鳴するためお笑い脳になってしまいイメージが具現化してしまう。そして閉じない為誰でも参加可能。

このように考えれば乙骨の乱入が完璧なのも、終了条件を満たさなけれは終わらないのも納得できる。

 

② 羂索の死と術式

あっさり死んでしまった羂索。

まぁ、普通に考えれば勝ち目のない相手なのでここで退場させ最終決戦は宿儺vs高専の全面戦争なのだろう。

 

ところで本当に死んだのだろうか?

私の意志は受け継がれると、鬼滅の刃の無惨と同じ事を言ってるあたり、誰かに意志は宿ってるものの、最終的に見捨てられて終わりそうだ。

 

しかし、これだけ周到かつ千年の呪術ノウハウを持つものがあっさり死ぬとは思えないため、可能性を洗い出したいこう。

 

  1. 呪霊転生する
  2. 呪物転生する
  3. 脳を潰されない限り死なない
  4. 死後、呪霊操術の呪霊
  5. 洗脳
  6. 髙羽の術式
  7. 宿儺との約束

 

 

これくらいだろうか。

  • 呪霊転生。

これはほぼないだろう。呪力のある乙骨に殺されている事から復活しようがない。但し、羂索独自の方法で復活する可能性はあるだろう。だが、その可能性はあまり高くない。

 

  • 呪物転生

ありよりのなしと言ったところか。

羂索は「私は死なない」ではなく「私の意志は受け継がれる」と言っている事から、死は確定しているように思える。

加えて破壊されない呪物になってもほぼ永遠に封印されるだろうからこれも難しいだろう。

 

  • 脳が潰されない限り死なない

これはあり得そうだ。

何故なら

  1. 二度の敗北
  2. 死体を動かせること

 

これらを実際に行なっているからだ。

そもそも羂索は六眼持ちの術師に二度破れている。誰もが不思議に思ったはずだ、何故死んでいないのかと。

負けたなら死んでいておかしくない。それこそ夏油が五条に殺されたように。しかし、羂索は二度破れてなお生き続けている。これはもう彼の本体である脳を潰さない限り生きていられると考えるしかない。

 

実際、彼は死体を乗っ取っている。つまり、一度死体に入っているのだ。これは言い換えると今と同じ状態ではないだろうか?

今も首を切断され、夏油の体としては紛れもなく死んでいる。これが例えば心臓をくり抜かれて死んだ場合を想像してほしい。心臓がないので紛れもなく死んでいる。

 

しかし、羂索はその状態で乗っ取って何故か反転術式を使って復活させる事ができる。実際肩と胸を欠損し五条に殺された(恐らく心臓を潰されて)夏油の体を乗っ取り、体を元通りに治している。

死体を乗っ取っても無事という事は逆も然りであるはずだ。つまり、乗っ取っている体が死んでも本体が無事なら羂索自身が死ぬ事はないと考えられる。

 

 

もし、この仮説が正しいなら羂索は本体である脳を潰さない限りしぶとく生き続けられる事になる。逆にそうでもないと二度も六眼と戦って死んでいない事や死体を乗っ取って反転術式で復活できる事の説明がつかない

 

但し、この説の場合は夏油ボディではなく、髙羽ボディや他の人間のボディに乗り移る事になるだろう。

何故なら反転術式は腹で練った呪力を一度頭に送り、頭で反転術式で作った正のエネルギーを再び体に送る事で治療しているため、頭と体の呪力の交換が出来なければ回復する事が不可能なのだ。

つまり、頭と胴体を切断された夏油ボディでは本体である脳は生きていられても反転術式で回復する事が不可能なのだ。

 

そこで呪霊操術の出番だ。パパ黒が言うには術師が死ぬと取り込んでいた呪霊は予測不能な事態に陥るそうだ。

そのうやむやを使って夏油ボディから抜け出し隣の髙羽に乗り移ったりするのではないだろうか?

 

 

  • 洗脳

意味深に描かれた羂索の加茂家に乗っ取り。

四乃が150年前を彷徨っていた事から、羂索の150年前の記憶を他者に植え付ける事ができる。または他者の記憶を他者に植え付ける事ができる術式があるはずだ。

 

そんな術式があるなら真っ先に狙われそうなのは三輪だろう

非戦闘員として名前が挙げられていた三輪だが、現在羂索と乙骨が対峙している五胡所コロニーの近くの仙台コロニーに不穏な表情と共に描かれていた。

 

もし、羂索が高専サイドに対して何かを仕込んでいるならこの三輪である可能性が高い

そして三輪自身の行動が実は150年前の誰かの記憶により塗り替えられていたものだとしたら?いまこの瞬間にも羂索により三輪が乗っ取られるかもしれない。

しかも、三輪の自意識は三輪ではなく150年前の他者のため、自分自身では気づきようがなく、なんならそんなに昔の人間ではなく、現代を生きる人間の記憶に書き換えてるなら、四乃の時のような齟齬を生まずに洗脳可能だろう。

 

  • 髙羽の術式

髙羽自身も死んだかは明らかになっていない。何となく首だけで流暢に喋る姿や、最後の鬼滅の刃のモロパクリのセリフなどから、まだ髙羽の術式効果は残っておりそれを使って復活する可能性もなくはない。

 

  • 宿儺との約束

これも忘れてはならない。羂索が死ぬなら羂索のために宿儺は何かを施したはず

現状、何かは分からないが死亡保険として何かを細工している可能性はあるだろう。

 

 

 

羂索が「道半ば、残念だ」と「私の意志さ受け継がれていく」というセリフと、首だけで他作品モロパクリのネタセリフを喋っている事から、羂索自身は死んでいるものの、何らかの復活手段、あるいは洗脳による手駒を使った夢の実現などが想起される。

 

まとめると

  1. 羂索は脳が無事なら死なない
  2. 死体を乗っ取ってる事から、乗っ取った体が死亡しても羂索に影響はない
  3. 影響はないものの夏油ボディは頭と体が切り離されて回復不可能
  4. 夏油ボディ死亡後、取り込んでいた呪霊が解放されて、生まれた隙をついて本体が離脱し、髙羽に乗り移るパターン
  5. 低確率ながら呪力で殺されても呪霊や呪物になる方法を知っていて実行している
  6. ギャグテイストのセリフと状況から髙羽の術式を使って復活
  7. 加茂家を乗っ取った時のように洗脳している人間からの救援
  8. 宿儺との約束

 

これだけの可能性が考えられるのだ。

 

1097話

 

ワンピースの最新1097話の内容です

未読の方はご注意下さい

目次の③日曜とモテ女から呼んでください!

 

 

 

① 扉絵

くまが鮭を取ってる。(笑)

熊とくまをかけているんだろうが、後ろの元いじめっ子2人組もいるのが可愛い。

しかし、この2人はボニーの海賊団のクルーにそっくりである。何かの関連性があるのだろうか?

 

あと話は変わるがジニーは良いお尻をしている。筆者はお尻フェチであり、形より大きさを重視しているのだが、ジニーは素晴らしいお尻である。

 

② 奇跡の手

先週の考察通り、人望を集めている。老人がくまになら献金したいと言っている事から、ここから人望を集めて悪い国王に代わり国を治めていくだろう。

 

「1096話」

https://sprite289.hateblo.jp/entry/2023/10/30/114152

 

 

古い時代の集団を治める者はリーダーシップはもちろんの事、こう言った神と結びつけられる事が非常に多い。

最たる例が卑弥呼だろう。

いくら力のある者が主権や権力を主張したところで人々はついてこない。集団を治めるには3つの条件のうち最低1つを満たさなければならない。

  1. 集団の納得
  2. 集団を救う
  3. 神託

 

 

集団がくまをリーダーとして認めればくまは国王となれる。当然の理屈だ。これを最も直接的に反映しているのが民主主義だ。

都度都度、民意を取りリーダーを決めるわけだから、この集団の納得性によるリーダーの選出は言わば集団に主権がある事に他ならない。

それを集団が納得すれば主権をリーダーに譲る事ができる。

くまはこの部分に関してはクリアしていると言っていいだろう。

 

 

1つ目に通ずるものだが、集団を救えば集団の納得を得られる。そのため人々を救う、救って見せる、いわゆるパフォーマンスは「救ってる。様に見せている」だけでも重要な要素だと言える。

 

 

最後は神託だ。いくらくまが「俺が今日から国王だ!」と主張しても国王にはなれない。先程までの2つの条件のような工程がないからだ。

しかし、「神が国王をくまにする」といえば話は変わる。

何故なら人智を超えた神がそう命じているのだから拒否しようがない。それを象徴する様に国の境界には古来より神が置かれる事が非常に多い。

 

その最たる例が、宮崎県延岡市の高千穂だ。

大分県と宮崎県の県境にある高千穂には、天孫降臨の伝説があり、神が舞い降りたという伝説があり、延岡市もこれに全乗っかりしているが、これは本当に神が降臨したわけではない。

元々、日本を大規模に支配していた政権と隼人の国の境がこの高千穂であり、隼人の国の者にその境界の正当性を主張するために、国造りの神がこの地に舞い降りたという伝説が生まれたのだ。いや作られたと言った方が正しいか。

 

同様に国の境には国家神である八幡神が置かれる事が非常に多かった様に、境界の正当性を主張するため神が置かれる事が多くなる。

 

つまり、くまも神が国王にすると言えば国王になれるのだ。しかもくまの場合、慈善活動をしているため、くまを支持する土壌もしっかりと存在している。

 

 

③ 日曜とモテ女

毎週日曜に慈善活動をしているのはキリスト教のミサの習慣を採用しているからだろう。

まぁ、建物にも十字架が散見されるし、牧師やジニーの服のシスターという文字を鑑みるに、キリスト教があの世界でも世界宗教として普及しているのは間違いないだろう。

 

ただ、気になるのはジニーがモテるという点だ。確かに美人でお尻もデカいからモテるのは間違いないだろうが、ジニーのクローンか子供と考えられるボニーに、モテエピソードは聞かない。

単に端折られてるだけの可能性もあるが、これはやはりベガパンクの発言と合わせて考えると、やはりボニーはクローンであり、クローンとして誕生してまだ間もないからモテエピソードが描かれていないのだろう。

つまり、暖水渦から出た子供の姿が本来のボニーの姿であり、子供だからこそジニーのようにモテエピソードが描かれていないので。そのための伏線だろう。

 

血筋のせいで父と母を亡くし奴隷となっていたくまにとってジニーとの結婚はジニーと子供に負の歴史を与える事と同義であるため断るのは当然だろう。

 

そしてジニーのプロポーズを断った事から、筆者の考察が当たりそうだ。

 

「コニー王太后は存在しない?!」

https://sprite289.hateblo.jp/entry/2023/10/31/154753

 

 

④ べこり王と天上金

べこり王という国王が悪政を行なった事が分かった。

何と国を南北に分けて南部を国から切り離す事で天上金の負担を軽くすると言う暴挙にでた。

 

ここで分かった事が2つ

  1. 天上金のシステム
  2. 悪政ではない

 

まず1つ目に天上金の仕組みだ。

以前からモブが「これは天上金なんです!」と発言していた事から何となく個人から収集していた事が匂わされていたが、今回個人から収集しているのが明らかになった。

いや、個人に納税が義務付けられるようなものなのだろう。そしてその額は国民の数によって決まるという

 

しかし、この制度よくよく考えるとおかしい。まるで国を多くしたいかの様だ。この制度があるならむしろ国は小国の方が都合が良く小国が乱立する。つまり、対立と弱体化が進む事になる。

これが政府の狙いなのではないか?

 

つまり、こうだ。

空白の100年以前は巨大な王国20の国の連合軍と、数十カ国で世界は構成されていた

世界政府樹立後、海軍や政府の維持のため天上金が必要となった。日本の参勤交代のように国たちの弱体化も視野に入っていた天上金は、国民の数、即ち国力に対して課せられるようになった。

結果、大国は重い天上金で豊かにならず中途半端な国は分裂しても争いが起こるようになり、滅んだり分裂した国同士での争いも起こり始めた。

 

むしろこんな中でもべこり王は人口の多い北部だけでも守って豊かにしようとしていたので、筆者的には明君だと思う。

やり方が悪かったのと天竜人に唆されただけで、基本的に国を思っての行動をしているからだ。

 

 

⑤ 天上金と先住民一掃大会

天上金が国民の数=国力によるならば国は小国の方が都合がいいが、分裂するため国同士の対立が生まれやすくなり、小国になる事で経済発展もしにくくなる。

 

例えば北部は人口が多いがそれはベッドタウンとして機能しているためであり、資源や工場は南部に集中しているなどの地政学的な要因があれば、国は分裂し対立し紛争が生まれ、みるみる国力は弱りやがて天上金が払えなくなり非加盟国に落ち3年に1度の先住民一掃大会で国民は狩り尽くされ資源は奪われていく。

 

この国民の数による天上金の負担増減とはこの惨事を意図的に生み出すものであり、それを回避するために行動したべこり王は悪政と断じられると共に、政府の思う壺にハマっていた

政府は何とも恐ろしい政策をしている

 

天上金による弊害

  1. 国の東西南北で資源や産業の偏りがある国は資源や産業が豊富な地方は独立したがる(例:ソルベ王国)
  2. 資源の少ない地方は天上金を払えないため無法地帯となる
  3. 非加盟国に落ちる事で3年に1度の先住民一掃大会の地に選ばれやすくなる
  4. 一方、資源が豊富な地方も切り捨てた地方から恨まれて侵略戦争されるだろうから、紛争が生まれやすい
  5. 紛争が頻発すると言うことは、資源があっても国力は低下しやすい
  6. 紛争が多いため生産人口が紛争に回されるため国力は落ちる
  7. 国力が落ちると言う事は天上金を払えなくなる
  8. やがて非加盟国に落ち先住民一掃大会で資源を奪われる

 

 

恐らくこれが政府の狙いなのだろう。

そしてべこり王が何故か天竜人からの入れ知恵を受けていた事を考えるとCP0の影がチラつく

恐らくべこり王は直接、天竜人や五老星とやりとりしていたわけではなく、CP0を通していたのだろう

 

つまり、CP0は諜報活動や表に出したくない五老星の仕事の他に、資源の豊富な国を非加盟国に落とすための活動も含まれているのではないか?

資源の豊富な国の王にソルベ王国と同じ事を仄めかす事で、国を分裂させ、まさにくまが行なったような反乱を招く事で生産人口を紛争や反乱や治安維持に裂かせて、国力を低下させ、天上金を払いにくくさせる事で非加盟国に追いやり先住民一掃大会の地を作り上げているのだろう。

 

そうしなければ3年に1度の先住民一掃大会など、800年も続けられない。どこかで人為的に非加盟国を作らない限りは不可能なのだ。

 

 

⑥ 考察的中

やはりジニーも革命軍に参加していた

そうでなければジニーの謎の窃盗・盗聴のプロという特徴が意味をなさない。この力で東軍の軍隊長になったのだろう。

そしてこのジニーを攫えるとしたらCP0のような実力と諜報技術を持つものか、規格外の戦力を誇る人間だろう。

 

筆者は真っ先に赤犬を連想した

何故ならジニー拉致の少し前にドラゴンが海軍にいた事が明かされたらだ。

 

年齢的にも時期的にも赤犬と同期である可能性が高く赤犬天竜人に服従しているコングを見て正義があると感じないだろう。

つまり、ジニー拉致の前に海軍に在籍していた事を明かした事から年齢的にも同期に赤犬がいるよ、それが拉致したんだよ、察してね、という尾田先生からのメッセージに感じたのだ。

 

それにこの後のジニーとくまに起こった悲劇を考えると赤犬やCP0のような非情な人間が関わるのが濃厚だろう。

 

  1. 海軍から赤犬
  2. 政府ならCP0
  3. 海賊ならクロコダイル

 

ではないだろうか?

イワンコフとの繋がりが見えないクロコダイルを考えるとジニーの拉致に何らかの形で関与しており、その際にイワンコフに弱みを握られたとも考えられる。恐らく男性化してもらうための交換材料としてのジニー拉致などが考えられるだろう。

 

 

 

⑦ ドラゴンの刺青

革命軍結成時でも顔に刺青がない。

てっきり革命軍結成時に入れたものと思っていたが、革命軍を結成した22年前からジニー拉致の14年前の間に入れた事になる。

これはもうルフィの誕生が原因ではないだろうか?

 

ドラゴンのルフィへの想いは紛れもなく父親のそれであり、それを考えるとルフィの出生時に革命への想いを更に強める事が起きたか、あるいはルフィが友達が腹一杯飯を食える世界にするために戦った様にドラゴンもルフィを含めた子供達が腹一杯笑える世界。これを誓うために顔に刺青を入れたのではないだろうか?

 

ルフィと同じ様に腹一杯飯を食える世界ではなく、腹一杯笑える世界。

ルフィは飯だが、ドラゴンは笑顔。これが信念なのではないだろうか?