近頃、優しさがインフレしている。
仕事と家事の両立はもちろん、察する優しさ、手を出さない優しさ、気を利かす優しさ、色んな「犠牲」が「優しさ」と一括りにされ、あまつさえできて当然、出来ない奴は非モテなどと揶揄されている。
曰く、モテ男性は当たり前のようにしていると。そうじゃないなら非モテだと定義されてしまう。それに異を唱えようものなら「だから非モテなんだよ」と炎上や袋叩きのネタにされてしまう。
その人がどういう人間なのかを知る前にどういう思考回路をしているのか、どんなレベルの読解力や対応力を持っているのか、それらをSNSでの反応やネットに転がっている「モラハラ夫の特徴〇個あげてみた!!」などを材料として粗探しをしている。
昨今、人々がやっているマウント取りは全てこれに尽きる。
一部のインフルエンサーや芸能人、著名人などの成功者が発信した、一面的で分かりやすく、インパクトがあり、主語が広い意見を「正しい」と思い込み、それをもとに人々をジャッジする。
そうすることで自分が何者でなくても、身近にいる自分より優秀な人の欠点を炙り出し、「コイツはこういう点があるから優秀でも、ダメなやつだわ」と卑屈な自己肯定をすることができる。
「男磨きがどうのこうの」「モテ男が当たり前にやっていること10選」:「ハイスぺ君の落とし方」「こんなやつとは結婚するな」上げ始めたらキリがない。
これらを摂取すると、男磨きをしてない奴は非モテ、こんなやつとは結婚できない、など無意識に先入観が生まれ、人を減点方式で見るようになってしまう。


そうすることで、人はどんどん自信を失ってしまう。「俺はモテ男の特徴や思考回路を持ち合わせていないからモテないんだ」「私はハイスぺが好きな体系ではないから結婚できないんだ」つまり、モテる人や優秀な人の特徴を並べられた時、その特徴を自分が持っていないならば競争するまでもなく自分が負けていると思ってしまう。
そうして無気力が板につき、異性と話そうと思っても「どうせダメなんだろうな」と後ろ向きな挑戦になってしまい、かえって成功率が下がってしまう。そうやって失敗を重ねていくと、SNSやYouTubeで攻略法を探すようになり、彼らインフルエンサーが開くオンラインサロンなどの餌となり、モテ技術や上辺の特徴ばかり気にして人をジャッジし、自分より劣る部分が一つでもある人を自分の中のカースト制度で自分より下位に置くことで辛うじて平静を保っている薄っぺらい人間が量産されていくのだ。
SNSの何者でもない人たちの意見や一面的な価値観や評価に比較されることで、まだ何も挑戦してないのに、何も始めてないのに、まだ何も失敗してないのに、自分の評価が定まってしまう。
例えば、「モテ男は、こういう風な気遣いをしてくれる」という意見が投稿された時、それがインプレ稼ぎのゾンビアカウントによって拡散され、「こういう気遣いできない奴はモテないよね」という流れに移り変わっていく。なぜそのような流れになるのかと言うと、「こういう気遣いできない奴」という「主語」が広いからだ。主語が広ければ当事者が増える。当事者が増えるのでその投稿に反応する人が増える。反応する人が増えるという事はより拡散されやすくなる。そうすればインプレ稼ぎは大成功である。
こうして、主語を広げて当事者を増やした一面的な薄っぺらく、人をカテゴライズする邪悪な意見があなたの目に留まる事になる。そこであなたは考えるわけだ。「俺、こんな気遣いできないわ」と。それつまりあなたは非モテと言うことに繋がる。
こういった無意識かつ、微弱な自己否定に繋がる断定的な意見を毎日目にしてしまうと、人は自分がモテない奴だと思い始め無気力になるようになる。
そのような社会に生きていると本当に優しくしたのに気づいてもらえない。いや、もっと優しさを要求されるようになる。「ハイスぺはこんなことをしてくれる」という論調が溢れているからだ。それ故にあなたが行なった優しさは、インプレ稼ぎのSNS上の架空のハイスぺ君と比較され、ないがしろにされてしまう。
現代社会は自身と関係のない所で、存在するかもあやふやな架空のハイスぺ君や架空の港区女子と比較される、超比較社会と言える。こんなに比較されるなら何もしない方がいいじゃんと思えてしまうほど疲れる社会なのだ。
人はうわさ話によって集団を生み、統率を作り、他のホモサピエンスを駆逐したらしいが、まさに同じような過程をたどっているように思える。他人が作った架空の「モテ男の特徴10選」を信じ込み、目の前の優しい男性の行動をそれと比較し、有りか無しかで判断する。逆も然りである。
人のうわさ話に資本主義を持ち込むべきでなかったのだ。
資本主義さえ入り込まなければ、ただの戯言で済んだ炎上ポストや「モテ男の特徴」が一体いくつあることか。今一度、我々は目を覚まさなければならない。SNSというのはただの戯言なのだと。そこにあるものを真実と思い込んではならない。そこと比較してはならない。そこにあるのはただ資本主義に取りつかれた亡者どもが発する架空の戯言なのだから。