spriteの考察日誌

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ポケモンにオープンワールドは必要なのか?

 

最近、オープンワールドのゲームが流行っており、ポケモン、FFマリカ、モンハンなど様々なタイトルでオープンワールドが採用されているが今回はポケモンを題材として論じていく。

 

①結論

結論から言うと、「昔からポケモンはオープンワールドであり、現代的なオープンワールドは必要ない」と考えている。

 

前提としてオープンワールドとは何かというと広大なマップで、そのゲームの世界観を表現し、その世界で冒険や生活、人間関係や風景を楽しむ手法である。GTAやRDRなどがその最たる例だろう。そして実は昔のポケモンは半分オープンワールドと言っていい作品である。

 

四天王を倒すまではジムバッジを集めながら秘伝マシンを駆使して探索エリアを広げて次の街に行き、ジムリーダーを倒してまた次の街へ、を繰り返していくが、一度四天王までクリアすれば後はその地方を自由に探索できる。実機がゲームボーイを始めとする携帯ゲーム機なので、RDRの様な広大なマップではないが、少なくともその世界を自由に探索する部分は共通している。違いは最初から自由か、徐々に自由になるかの違いだけである。

 

②オープンワールドは日本人に合わない問題

国産のゲームでオープンワールドの作品は少ない。あっても最近のものが多く、それもポケモンやマリカなど、従来のゲームにオープンワールドを取り入れる形での構成が多い。

コレがオープンワールドと相性が悪いのだ。日本人と相性が悪いだけでなく、日本産ゲームとの相性が悪いのだ。日本産ゲームは一本道で進めるものが多く、我々は小さい頃からそれに慣れ親しんでいる。一本道のゲームに慣れている国民が、一本道を基幹としたゲームに、無理矢理オープンワールドを取り入れられた最新作を、何の偏見や「マリオって一本道のゲームだよね」という一切の先入観や固定観念を無くして楽しめるか?と言うとそれは不可能だろう。

 

要は国産ゲームがオープンワールドを採用して爆死しているのは、我々日本人がオープンワールドに慣れ親しんでいない事に加えて、既存ゲームにオープンワールドを差し込んだのが原因なのだ。これが例えば新規IPでオープンワールドならまだとっつき易さがあるが、いきなりマリカがオープンワールドになりましたと言って面白いとは中々ならない。

日本でオープンワールドを成功させるなら既存ゲームに組み込まない方が成功しやすいだろう。日本の既存ゲームは大体ストーリーが一本道が多く、既存ゲームのイメージや過去作との比較や連携を考えてもオープンワールドと相性が悪い。

 

③価値観がオープンワールドを産む

なぜ、日本でオープンワールドがコレまで生まれなかったのかと言うと、ゲーム自体が日本発祥と言っていいほど、古くからゲーム業界を牽引してきたのが日本だからだ。世界で最も売れているゲームがマリオであるように、ゲームの歴史=日本のゲームの歴史と言っても言い過ぎではない。

そして当時の技術では出来ることが限られていた。せいぜいパズルゲームや的当てゲーム、マリオなどの二次元レースくらいだ。そこから任天堂が開発を進めてマリオやヨッシーなどが生まれていくが、まだまだオープンワールドを実装出来るほどのキャパではない。オープンワールドの誕生にはPlayStationの誕生を待たねばならなかった。

 

では、PlayStationが発売されて以降、なぜ日本では一本道ゲームが主流で、海外ではGTAの様なオープンワールドが生まれるようになったのか?それは宗教観やそれに基づく社会システムとそれによって形成される死生観や生活習慣が関係していると思っている。

何故、海外であれほど人権や差別、自由や多様性にうるさいのかと言うと、それが向こうでは当たり前のように制限されているからだ。海外では外食を1人で取るのは恥ずかしい事であり、映画やアクティビティなども1人でやるのは憚られる。逆に日本は一人カラオケと言うほどに1人で娯楽や食事を楽しむのは普通のものになっている。日本では男2人で旅行しても同性愛者と思われないが、海外では同性愛者と思われる。自由自由と謳いながら実は価値観や文化的束縛が強いのが海外なのだ。

 

日本は監視社会とか、同調圧力が強いと言われるが実は海外の方が強いと思う。もし、本当に日本の方が強いなら独身者は今よりもっと肩身が狭いだろうし、同性愛者が当たり前のようにテレビに出たりしないだろう。

何が言いたいかと言うとオープンワールドというのは、自分がなりたい自分や行きたい世界を投影しているのではないか?という事である。だからこそ同調圧力が強く、標準とされる男女像を強く求められる海外ほど、そういう現実社会から抜け出す為に、より自由なオープンワールドを作ったのではないだろうか?

逆に日本は価値観に関しては世界一寛容的で多様だと思う。それ故にオープンワールド的な作品は生まれにくい。海外は「現実世界のこの部分に不満がある。だからそれを取り除いた完璧な世界を作ろう」という事でオープンワールドが生まれるのではないだろうか?

それと対照的に、日本は既に自由なのでオープンワールドを作る時に指標がないのだ。指標がないからどんなオープンワールドを作ればいいのか分からない。せいぜいポケモンやモンハン的な世界観でしかオープンワールドを作れない。その為広いマップの割には中身がスカスカだったり、ストーリーへの干渉性が少なすぎたり、オープンワールドを活かしきれない、あるいは無駄遣いしてしまっていることが殆どだ。無論、今後どんどん洗練された国産オープンワールドが生まれるだろうが、本記事では何故日本ではオープンワールドは生まれずに、生まれても批判が多いのかを考察する記事である。従ってそこを考察するにはやはり、このような文化や価値観の影響は捨てきれないのだ。

 

④ポケモンはどうなのか?

オープンワールドの作品は、ゲーム自体の大まかな目的だけ存在している。不死の呪いを解く、経済的に成功する、などゲーム自体を構成する目的だけが提示される。

しかし、ポケモンは最初から自由だ。ポケモン図鑑の完成こそ依頼されるが、最初から「ポケモン図鑑を完成させたいから冒険してくれないか?」とは言われない。ポケモンは最初から主人公が冒険したいというモチベーションが旅の動機である。それだけでは何をしていいのか分からないからポケモン図鑑の完成をついでに依頼され、旅の途中でライバルからポケモンリーグの存在を教えられ、それを目指す旅に切り替わるが、道中で悪の組織を発見し、その壊滅がサブクエストになっていく。

不思議なもので、オープンワールドの作品は最初から明確に目的が存在するのに、それを達成するための導線は殆どないが、ポケモンは旅の目的が曖昧なのに導線はハッキリしている。

 

この導線をぼかすのがオープンワールドなのだ。単に世界観が広いだけではオープンワールドたり得ない。そしてオープンワールドは徐々に出来る事を広げていくゲームでもある。「この敵は今の時点では倒せないから装備を整えて倒しに行こう」など、徐々にオープンワールドの中で出来る事を増やしていく。それはまさにポケモンと一緒ではないだろうか?

要はポケモンとは最初からオープンワールド的な作品なのだ。厳密には海外のオープンワールドゲームとは相違点があるが、根本的な「世界を自由に旅する」という部分は共通している。初代のポケモンでも進め方によってはジムバトルの順番を変えたりできるし、一度来た道を戻って本来行けないはずのマップに立ち寄れたりする。明確な導線はあるものの、どのような順序で攻略していくかはプレイヤーに委ねられている。それらの点においてポケモンは最初からオープンワールドなのだ。

それ故に今更海外的なオープンワールドを組み込んでも、「どう進めていいか分からない」「フィールド広過ぎてスカスカ」と感じる事が増えている。ポケモンをはじめとした日本産ゲームでオープンワールドを組み込むのは、海外的なオープンワールドではなく、今の設定をそのまま活かしてゲームクリアまでの導線をプレイヤー自身が選べるようにするのが一番なのだと思う。単に広い世界に投げ出されて好きな順番でジムを攻略してくださいと言われても何をしていいか分からない。そのため導線はしっかり準備しておき、それに沿うのか、外れるのか、別の導線を通ってもクリアできるのか、それらを用意しておけばポケモンでもオープンワールドは成功するだろう。