spriteの考察日誌 ONE PIECE考察

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「ライン」 ポルノグラフィティ

 

 

 

 

筆者は基本的に洋楽ばかり聞いているのだが、最近ふと邦楽を聞き直していた

 

中学生の頃にハマっていたポルノグラフィティを聴いていると、ある楽曲が流れてきた

それがラインという曲だ

 

 

この曲は非常に切ない曲で、失恋を体験した事がある者にとって、いや、叶わぬ恋をするものにとって突き刺さる曲である

 

 

筆者なりの解釈を添えてラインという曲について語らせてもらう

 

 

どうせ、叶わない恋なら尚更

上手な愛し方、他にあるのに

 

この歌詞には男性と彼が恋する女性が登場する

男性は女性を好きだが、女性は男性を友人としか思っていない

そして男性もそれを自覚している

 

この歌詞では、男性は女性が自分の事を友人としか見ていない事を理解しており、それ故に叶わない恋だという事も理解している

だから好きな人ではなく、仲のいい友人

つまり、恋ではなく友愛として愛する方が、お互いにとって良いと分かってるのに、男性の心はどうしても恋として動いてしまう事を歌っている

 

窓に置いた本がはらり、風に頁めくられ

月にあらわ晒されている、救いのない最後の場面

 

これは恐らく男性の失恋を客観的に、そして映画のように比喩しているのだと思う

その風にめくられている本も、男性のように告白するも振られている人物が書かれているのだろう

 

つまり、男性は女性に告白したのだ

しかし、救いのない最後の場面と言われてるように…

 

 

いつでも優しい君に会いたい

気の合う友達、君が言うならそれで

無邪気に惹かれ、騒ぐ僕の心を

憎めばいいんだろう

好きになりたくなかった

 

 

女性は底抜けに優しく、それでいて男性との友人としての交際を辞める気はない

勇気を振り絞って、フラれる事を分かっていながら告白した男性への解答は「気の合う友達」だった

恋愛において最も傷つき、そして引きずるパターンの振られ方である

 

ここで先程の歌詞と繋がる

「救いのない最後の場面」が告白なら、彼女が出した解答は「気の合う友達」であり、男性も「君が言うなら、それで」と受け入れた

 

つまり、男性の恋はここで終わったのだ

代わりに友人としての男性の人生が始まった

しかし、女性は優しい、いや残酷だ

彼を友達としても断ってくれたらまだ良かったが、彼女は友人として付き合おうと言ってるのだ

 

好きな人のそばで、決して叶わない恋心を抱きながら、友人として接しなければならず、女性からも友人としてしか扱われない

これほど傷つく関係性があるだろうか?

優しさとは時に人を殺してしまうものなのだ

 

そうやって友人として付き合っていても、彼女の優しさや笑顔を見るたびに惹かれてしまう

でも、女性として惹かれる事を彼女は望んでいない

だから彼は自分の恋心を憎む、つまり押し殺すしかないのだ

 

自分の恋心に蓋をして、友人として付き合い、そしてまた恋に落ちる

こんな辛い思いをするなら好きになりたくなかった

 

 

 

暗い部屋の隅、ぼんやり光

液晶に浮かぶ、君のアドレス

夜更け過ぎに、話すほどの

特別な話題など、昨日までも、

今日からも、僕には思いつけないで…

 

 

これも切ない歌詞である

彼は女性の声を聴きたくて電話をかけたい

でも話すような話題はなく、気づけば深夜になっていた

ただでさえ、話題を思いつかないのに深夜に電話をかけるほどの話題など、これまでも、そして明日からも思いつけない

そんな夜をまた明日も過ごすのだろう

 

 

泣きたくなれば、君を想う

君を想ったら、また泣けてしまうから

切ない記憶、ひとつひとつ

白くて冷たい吐息に消して

何も最初からなかった

 

 

このやるせない感情を昇華するために泣きたくなるのだ

その度に彼女との想い出と現在の関係性を思い出し、また涙を流す

 

こういった切ない感情をひとつひとつ消していきたいと彼は思っている

 

そして彼は気づくのだ

男性と女性の間には最初から何もなかったと

 

彼が、「ひょっとして彼女は自分に好意を抱いてるのかもしれない」と思った事も、最初からそんな事実は何もなかったのだ

何故なら彼女の中では男性は友人Aだから

 

つまり、彼が思っていた「自分に気があるかもしれない」という思い出は存在しないのだ

つまるところ勘違いなのだ

女性は初めから男性を友人Aとしか見ておらず、友人だからこそ笑顔を振り撒いて、仲良く接していた

その女性の態度を、男性は「恋」と錯覚していた

だからそこには「何も最初からなかった」のだ

 

 

誰もが君の笑顔を見つめ

僕だけうつむき、君のスニーカー見つめる

それでも、そばにいられるなら

微妙な距離さえ愛おしくて

 

 

きっと彼女は優しいだけでなく、美女なのだろう

男性とは明らかに釣り合わない

 

男性と女性は釣り合わないが、友人として近い距離にいる

しかし、それ以上近づくことは叶わない

無論、無理矢理縮める事も可能だろう

女性から嫌われるかもしれないという、リスクを取れば縮める事も可能なはずだ

 

しかし、男性は女性に嫌われたくない一心で、この最も傷つく「友人としての微妙な距離」に甘んじているのだ

 

どんなに理性的で賢い男性でも、その恋に期待値がなくても、ほんの僅かに期待値が生まれるかもしれないと思える「何かが」があれば縋りつきたくなるものだ

その「何か」とは彼女との友人としての関係性だろう

これすらなくなったら本当に恋が成就する可能性はゼロになる

 

何より完全に赤の他人になる勇気は彼にはなく、そして赤の他人になるよりかは、友人としての微妙な距離すらも、愛おしく感じる

つまり、かけがえのない繋がりに感じているのだ

 

どれだけ可能性が0に近かったとしても、縋れるものがあるなら縋ってしまうのが男の性だ

彼は恋人になるのを諦めきれずにいるばかりか、友人としてでもそばにいたいのだ

それが叶う距離ならば例え周りにどう思われようと、友人だったとしても構わないのだろう

 

友人としてなど関係なく、ただ好きな人のそばにいられるなら、この微妙な距離さえ愛おしいのだ

 

 

いつでも優しい君に会いたい

気の合う友達、君がいうならそれで

無邪気に惹かれ、騒ぐ僕の心を

憎めばいいんだろう

好きになりたくなかった

 

 

人は自分の主観でしかものを見れない

つまり、見たいようにしか見れないのだ

そして彼女が見せる顔は自分にしか見せない顔だと思ってしまう

何故なら彼女が他の男に見せる顔を、確かめる事などできないから

 

つまり、彼女が自分に見せている顔が異性に見せる顔だと錯覚してしまうのだ

自分と居る事で彼女は笑ってくれる

だから、嬉しくなるし楽しくなる

次第に彼女を笑顔にする事を考え始める

そうやって気づけば恋に落ちているのだ

 

でも、それは自分が見たいようにしかものを見ていない結果に過ぎない

彼女が自分に見せている顔を、他の男性にも見せているとは露ほども思わないのだ

そうやって少しずつ勘違いしていき恋に落ちてしまう

彼女は最初から自分の事を友人としてしか見ていないのに、勝手にフラれたと思ってしまうのだ

 

「好きになりたくなかった」

そう、彼女も「好かれたくはなかった」のだ

「無邪気に惹かれ、騒ぐ僕の心を憎めばいいんだろう?」

そう、だって君は「気の合う友達だから」

 

こんなに切ない歌詞があるだろうか?

 

 

 

筆者は思うのだ、このような切ない体験や感情こそが、男性をより良くするのだと

 

よく、男性でもフラれたり、破局したりすると、思い出の写真を全て消し、連絡先も消す人がいる

それはそれで良いことだ

もう交わる事はないのだから処分した方がいい

新しく交際する人にとっても失礼にならない

浮気の原因にもならない

そう、フラれたり破局したら写真や連絡先は消すべきなのだ

 

 

同時にそれがその人の限界なんだと思う

失恋という事件を、思い出を、ダメージを、抹消するというやり方でしか受け入れられないのだ

新しい恋を始めるというやり方でしか忘れられないのだ

 

 

これはこれで浅い生き方だと思える

本来、気持ちの整理というのは一朝一夕でできるものではない

何ヶ月、何年、時には一生をかけて整理していくものだ

そうやって整理していく中で、当時は言語化できなかった想いを言語化できたりする

言語化する事で、その人への想いや、思い出が、よりかけがえのないものになる

そして言語化するという事は、その感情をハッキリ自覚するという事である

つまり、反省して活かす事ができるのだ

 

一見、失恋を忘れられずにいる事や、元恋人との思い出を大事にしている人は、未練がましく思えてしまうが、そうではない

その時の思い出を整理して言語化する事で、より良い人間となって前に進めるのだ

 

 

逆にこの過程を省き、記憶や記録を消す事で前に進む人は、その経験を何に活かせるのだろうか?

想い出を消す、連絡先を消す

つまり、自分で感情を整理するのではなく、抹消という外部の力でしか、失恋を整理できないのだ

そんな人間に成長などあるのだろうか?

人格が醸成する事などあるのだろうか?

 

 

失恋や未練というのは悪いものであるかのように思われがちだが、その未練や想いを抱えて生きていく事は強い人にしかできない

少なくとも恋した人や付き合った人との思い出を大事にする、愛情深い人だと言える

真摯に向き合っていたからこそ、終わった関係性にも真摯に向き合えるのだ

決して未練がましいとか、女々しいといったネガティブな一言で片付けられるようなものではない

 

むしろ人との関係性を大事にし、真摯に人と向き合い、真剣に付き合えて、失敗したとしてもその経験を活かしてより良い人になれる資質を持っていると言える

 

 

つまるところ優しいのだ

人に対して、人の想いに対して、人との関係性に対して、真剣に真摯に向き合える優しくて真面目な人なのだ

 

もし、失恋を忘れられずに、いまだに切ない思いをしている人がいたらそれは女々しい事でも、未練がましい事でもない

 

堂々と失恋の整理中だと胸を張っていい

きっと理解してくれる人は現れるはずだ

同じような経験をした、より良い人があなたの善性に気付いてくれる