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呪術廻戦 作品論

 

 

 

近頃の呪術廻戦は、褒められることより批難されることの方が多い。

本記事では巷で言われている呪術廻戦の批判的意見を分析していこうと思う。

なおジャンプ本誌255話の内容を含むので未読の方は注意していただきたい。

 

 

 

① 批判的意見の一覧

近頃の呪術廻戦の批判意見をざっとまとめてみた。無論全てではない。

・作品論的批判意見
  1. 読者の嫌がる展開をわざと描いている
  2. 露悪的な表現をしている
・作劇上の批判意見
  1. 日下部優しい問題
  2. ポリコレ問題

 

② 作品論的批判意見について考える

ここでは前述の、

  1. 読者の嫌がる展開をわざと描いている
  2. 露悪的な表現をしている

この二つを考えていく。

 

読者の嫌がることをわざと描いてる

この意見を目にした時、多くの人が「頭が悪すぎる」と笑ってしまうだろう。少し考えればおかしなことを言っていることに気づくはずだ。

 そもそも漫画には担当編集というものが付き、ジャンプ編集部全体でも漫画の管理をしている。そのため特別な事情がない限り、少年誌らしくない表現があれば訂正や規制がなされるのだ。

 従って、一つ目のような読者の嫌がる展開をわざと描いてる」ということが成り立たないのが分かる。作者が「読者に嫌な想いをさせてやろう!」と思っても編集が止めるからそんなことはできないのだ。

 

 

 「露悪的な表現を使い過ぎてる」という意見についてだが、こちらの方がまだ理解できる。恐らくこの意見は、読者に嫌悪感を与えるのが最終目的ではなく、「読者に嫌な想いをさせることで、このキャラクターに対する敵愾心を持ってほしいから、露悪的な表現をしようということが言いたいのだろう。こちらの方がまだ筋が通っている。もしかすると、先ほどの批判意見もこちらの考えに近いのかもしれない。

 

 ただ、こちらも感情論に近いものだ。何故なら漫画には作風というのものが存在する。いわゆる漫画のイメージのようなものだ。例えば鬼滅の刃で魔法が登場しないように、「この作品はこういう設定こういう描写こういう思想こいう価値観で表現していく」という全ての漫画作品が持つイメージカラーがある。

鬼滅の刃で急に魔法の杖を使って戦い始めたら作品が壊れてしまう。それが作風だ。呪術廻戦の作風は呪いをテーマにしており、2話で主人公が死刑になるような漫画だ。2巻では主人公が心臓を取られてしまうような漫画である。そしてそんな作風の作品において、吉野順平や夏油傑のような犠牲者が蹂躙されるような展開はあってしかるべきなのだ。ここで「この表現をする」、「出来る」という事が、作者の覚悟であり、「現実」というのは常に避けられない最悪の事態であるという、強い想いが伝わってくる。

 つまり、呪術廻戦において露悪的な表現はツールでしかなくそれこそが呪術廻戦を呪術廻戦たらしめている重要な要素なのだ

 

 

 無論これら露悪的な表現を抑えて描くことも可能だろう。だが、それは呪術廻戦ではない。呪術廻戦の作風から外れた”何か”でしかない。不快感を持つ人が露悪的だという一方で、この表現が好き、この表現ができる作者は凄いと思う人がいるように、全ての人が感想を持っている。そんな中で自分の感想のみを取り上げ、まるで自分の感想が正しいかの如く発信していくのは、ただの侵略である。何故なら、呪術廻戦という作品は作者である芥見先生のものだからだ。

 そこで描かれた表現が「露悪的」だと感じるのは個人の自由だが、それを露悪的に感じない人、露悪的に感じるが呪術廻戦の作風として受け入れられる人など様々な人がいる中、なぜ自分の「露悪的」だという感想を絶対的な主体として発信できるのだろうか?

 つまり、個人の主観や感想が根拠である時点で、この「呪術廻戦は露悪的だ」「読者の嫌がることをわざと描いてる」などという主張は極めて個人的な感情論であり、それを軸にして必要以上に言及するのはあまりにもマナーが悪い

 

 全ての人が意見や感想を持ち、発信する権利があるが、露悪的だと主張する多くの人は、その発言に相反する意見が出ると途端にヒステリックに騒ぎはじめ糾弾し論点をずらしながら決して自らの主張を曲げようとしない。筆者はここが問題だと考えている。結局のところ議論が成り立たないのだ。

 要は自分の意見を知ってもらい、共感してもらいたい思いが強すぎるのだ。そのため反対意見が出るとアレルギーを起こす。そしてアレルギーは目立つ。例えば静かな学級で急に騒ぎ立てる人がいたら目立つだろう。それと同じことである。そして目立つ人ほど少ない事を忘れてはいけない。彼らはマイノリティだから目立つのだ。

 

 

 つまるところ、感想というものは全ての者が持つ物である一方、創作物とは創作者のものである。その中の一部の表現や、作風に読者が過剰に意見をいう権利はない。無論、意見や感想を言う権利はあるが必要以上叫ぶ、叩くというのはお門違いだということだ。

 数十年前からこの辺の認識があやふやになり、放置された結果、理不尽な訴えをするものが増え続けている。要は漫画を買ったら漫画の展開まで自分の思うような展開でなければ不満に思ってしまうのだ

 だが、本来は表現とは創作者が表現したいモノが先にあり、それに対して価値が付いているに過ぎない。絵画や音楽がその最たる例だろう。漫画も例外ではなく、作者が表現したいこと、伝えたいことを、作者のやりたい表現で描くのが漫画なのだ。それが大衆に分かりやすいかどうか、作品としてのクオリティに至っているかどうかを判断するのが編集の仕事である。

 

 つまり、作品として世に出ている以上、それは価値のあるものだと出版社が判断した物であり、その作品も作者の創造物である以上、露悪的だとか、読者の嫌がることをわざと描いてるなどと言った意見は、クレーム以外の何物でもないのだ。

 そもそもこの作品はお前のものではないし、呪術廻戦という作品が露悪的な表現(あえて使うが)をする作風というのは分かり切っている事である。それをさも自分のものかの如く、自分の漫画の読み方が絶対的であるかの如く過剰に誹謗するのは読者でも、まして感想を述べているものでもない。ただ、「自分の気に入る展開を描け!」「この作品の評価は俺の価値観のみでジャッジする」と言っている事と同義なのだ

 

 

③ 作劇上の批判意見について考える

 ここからは日下部優しい問題やポリコレ問題について考えていく。

日下部は優しくないとか、ポリコレについて喋ってて草とか、いろいろ言われているが、ハッキリ言わせてもらう。これは難癖である。

 

①日下部は優しいよ

 まず、ハッキリさせておくが日下部は十分に優しいキャラである。宿儺とのレイドバトルにおいて、「死にたくない奴は戦わなくていい、戦える奴らの方がおかしいから気にするな」と他人には戦わないことを勧めながら自分は命を懸けて戦っているのだこれを優しさと言わずなんという?

 

 彼は妹の精神的ケアもしているし、うずまきから三輪も守っているし、今も世界斬かもしれない斬撃に自ら飛び出し日車を守っていた。三輪の舐めた態度を見れば、ぶっきらぼうだが、性根は優しい人物なのは多くの読者が感じ取っていたことだろう。

 このように日下部が優しい描写は数多く存在しているが、渋谷で逃げ回っていた印象が強く七海のように分かりやすく優しさを描写されていないため一部の読者の理解が追い付いていないのだ。

 結局のところ、渋谷での印象でキャラの性格を決めつけてしまいそれ以降の情報を更新できていないする気のない人には日下部が優しいようにはみえないのだ。それに加えて七海の優しさがキッズにとって馴染みのある優しさであり、分かりやすく、強烈にインプットされてるのも要因と考えられるだろう。

 

②ポリコレ問題

これも言われていた。

これに関してはため息しかでない。

ただ、作品を叩きたいだけなのが見え見えである。その証拠にこの話題は日下部の時ほど話題になってない。つまり、それだけ論理が破綻している、ひねくれた意見だと多くの読者が思っているのだ。

 

 

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引用:呪術廻戦/著者芥見下々

 

 これはポリコレ問題を提起したいがために描写したわけではない。序盤から虎杖が証明しているように、素の身体能力に呪力強化は掛け算されるので、素の身体能力が高ければ高いほど呪力強化の恩恵が大きいのは明らかである。

 

 そうでなければ呪術師が体を鍛える必要がない。東堂や秤があんなにマッチョなのも素の身体能力やフィジカルが及ぼす影響が強いからだ。そうなると当然、生まれつき体が強い外国人は呪力強化の恩恵も強く、また日本人の99.9%は外国人とのフィジカル差があることを知っているし、実際に事実である。

 そして刃牙やタフ、修羅の門に代表されるように何故か日本人が最強種であるという最も冷める現実離れした設定は昔から冷める原因と言及されており、その辺の現実性及び、五条と戦えたミゲルの説明とキャラクター性を表現するために、このような会話の流れを汲んだに過ぎない。

 

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引用:呪術廻戦/著者芥見下々

 

 つまり、素の身体能力が呪力強化に置いて多大な影響を与えるのは分かり切ったことなのだ。

 実際に真希の父親である扇もそう言っていた。であるならば素の身体能力が高い黒人が日本人にとって脅威なのは当たり前なのだ。こうやって反論すると彼らは「大谷翔平がいるんだぞ!」などと見当違いのことを言い出す。あれは大谷翔平が別格なだけであり、平均値の日本人が黒人より身体能力やフィジカルで優る証明には一切ならない。むしろ大谷翔平の枠が五条悟なのだ。日本人の中では極めて珍しい外国人と勝負できるフィジカルモンスターなのだ。

 

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引用:呪術廻戦/著者芥見下々

 

 このように反論すると、五条が人種の枠を超えてなくて意味わからん」など論点をずらし始めるところも多くの読者に、呪術批判したいだけだと見抜かれる要因だ

 しかも、「五条が人種の枠を超えていない」と主張するという事は黒人差別を肯定しているに他ならない。何故なら作中でのやり取りは、「ミゲルが強いのは黒人だからではなくミゲルだからといわれているからだ。

 つまりミゲルも人外なのだ。それなのに「黒人と同格の五条って人種の枠を超えてないじゃん」と主張するのは、ミゲルだから強いのではなく、黒人だから強い、黒人だから日本人より強くて当たり前という主張をしていることになる。

 この描写をポリコレと結び付けている人は、自身の意見が論理性のあるものか考えずに、ただ呪術を批判して気持ちよくなりたい人たちであり、感情が先行したことで自ら墓穴を掘っているのだ

 

 強調して言うが、素の身体能力が優れるほど呪力強化の恩恵は大きく、それを最も分かりやすく表現しているのが主人公の虎杖であり、わざわざ七海や扇にその解説までさせている。そして今回もう一度触れたのは、ミゲルの強さを説明する必要があり、ミゲル自身が言っているように黒人だからという理由で五条と互角なのではなく、ミゲルが五条クラスの化け物だから渡り合えたんだよ、ということなのだ。それを黒人という人種差別と切り離せないバックボーンを交えて会話する事でミゲルのキャラクター性を表現しているに過ぎない。

 

 

 

④ まとめ

 ここまでで、最近の呪術廻戦に対するヘイトのほとんどは個人のゆがんだ偏見や、呪術ヘイトそのものが目的だったことが分かるだろう。

結局、なぜそうなったのかという根本的な原因は五条の死だと筆者は思っている

 

sprite289.hateblo.jp

 

 

 これ以降、明らかに呪術ヘイトが増した。上の記事でも述べているが、結局のところ自分の望む展開自分が受け入れられる話の展開でなければ文句を言い、それを主張するためなら反対意見ごと作品を叩いていいと思っているのだ

 そして自分の感情を整理するつもりが一切ない。自分のストレスや感情は外に出すしかないと思ている。だから論理的に破綻していようと喚き散らすしかないのだ。それしか知らないのだ。

 他人には他人の感性、感情、状況、思考、価値観があり、それを他者は知ることができない。だからこそ、何気ない言葉使いや表情、雰囲気、状況、脈絡から推し量ることが必要なのだ。それを忘れてしまっているから、必要以上に主観的な感情論をヒステリックに叫び、反対意見すらねじ伏せようとしてしまうのだ。

 

 これらはやはり、自分の気に入らないものを叩く、漫画を買えばその展開すらも自分の者だと認識している常識はずれな考え方にある。彼らはこうやって自分のストレスを自分自身で昇華することができず他人にぶつけたりする。その結果芥見先生が深く傷つくなど考えもしないのだ。その結果、りゅうちぇるさんや、雪永ちっちさんは亡くなられてしまった

 彼らのような人為的悲劇がこれ以上繰り返されないようにこうやって焼け石に水をかけるのが筆者のような大人の役割なのだろう。