ネタバレ注意!
最新話までの内容を含みます。
この記事では、天与呪縛によるフィジカルギフテッド。つまり呪力や術式がない代わりに圧倒的なフィジカルを獲得した者に焦点を当てる。
① 禪院甚爾
禪院甚爾は、呪力が完全にない事で圧倒的な身体能力を獲得した。その中で本来見えないはずの呪霊が五感が研ぎ澄まされた事によって見えるようになったという説明がある。
しかし、本当にそれだけで呪霊が見えるようになるのだろうか?
呪霊というのは呪力と魂で構成された存在で物質的に存在していないはずである。それがめちゃくちゃ視力がいいからと言って物質的に存在していない呪霊が見えるのはどう考えてもおかしい。
という事は、甚爾達は物質ではない何かを知覚する感覚が天与呪縛によって得られているのではないだろうか。
それは恐らく魂の知覚だろう。
甚爾は呪力が完全に0の代わりに圧倒的なフィジカルと異常な回復力、研ぎ澄まされた五感、魂を知覚する第六感、これに目覚めているのでないか。
② 魂の存在
呪術廻戦において魂が存在しているのは確定している。真人という呪霊が魂に干渉する術式を持ち、魂が肉体より先に存在し、肉体は魂の形に引っ張られると明言している。加えて真人には魂を捉えた攻撃しかダメージを与えられない。
また呪霊である漏瑚も我々の魂は人間によらず巡っていると言っている事から呪霊の構成に魂が関与し、呪霊も魂を持っている事は明らかである。
そして本誌の内容により、無機物にも魂が宿り、甚爾は無機物の魂を観測していた事が明らかになった。
つまり、生物に対しては魂を捉えた攻撃を、無機物に対しては物質的に弱い部分を攻撃できると言える。
③ 魂の観測
甚爾が過去編で夏油の呪霊を切り裂いた呪具が釈魂刀というあらゆる物の硬度を無視し魂を切り裂く事ができる呪具という事が明らかになった。そしてそれを使うには無機物の魂も観測できる目が必要とも。
つまり、無機物にも魂は存在し、使いこなしていた甚爾は魂を観測していたと言える。
ここで重要なのは、魂を観測する第六感と研ぎすさまれた五感というのは別物だという事だ。
本誌の内容で、水や空気の温度と密度を"面"として捉える事で水面を走ったり空中でジャンプできる事が明らかになった。これはあくまで研ぎ澄まされた五感によって水や空気の密度を"面"として捉えているに過ぎない。
これが水や空気、建物に無差別に魂が宿りそれを観測している事で水や空気を"面"として捉えているなら、わざわざ温度や密度によって"面"があるなどと表現しなくてよい。
それに水や空気、建物にまで魂が宿っていたら真人がそれらの魂を作り替えて武器に換えていたはずである。しかし、真人はしていなかった。という事は、無機物の魂とは水や空気、地面や建物など無差別に存在しているのではなく、使い込まれた道具や思い出が詰まった物などに魂が宿っていると言える。(真人が無機物の魂を作り変えれないレベルとは思えない。取り込まれた真人の力で遠隔で無為転変を発動でき、呪力の核心と魂の本質を理解し、五条のように0.2秒の領域展開もできるほどのレベルなら物質も作り替えれるはずだ。)
研ぎ澄まされた五感では、水や空気を"面"として捉えたり、地面や建物などの物質的に弱い部分が分かるのではないか。
ちょうどONE PIECEのゾロがアラバスタ編で鉄を切れるようになったように、物質的に結合が弱い部分があり、それをゾロは物質の呼吸という形で知覚し、甚爾達は研ぎ澄まされた五感という形で知覚しているのだ。
それとは別に魂を観測する力も存在し、第六感は呪霊や道具などに宿る無機物の魂を観測できる力と言える。
④ 大道鋼
本誌に大道鋼というキャラクターが登場する。彼は術師ではない為、呪霊が見えず術式もない。しかし、圧倒的な剣技によって作中でもトップクラスの殺傷能力を誇り、呪霊が見えないながらも呪霊が存在していることは知覚している。
彼は作中で、「見えていないかだと?うむ、しかしそれ以外の全てが見えているのであれば、もはやそれは見えているも同義である」と語っている。
恐らく彼は、"研ぎ澄まされた五感"を持っているのだろう。しかし、甚爾と違って魂を観測する第六感を持っていないそのため魂の形、つまり呪霊の形を見る事ができない。
だが、五感が研ぎ澄まされている事により、甚爾のように空気や水に"面"がある事を感覚的に知っており、それによって見えない呪霊の攻撃を避けていた。
実際、甚爾の領域にまで到達した真希は空気を含めた周りの全てが呪霊の動きを教えてくれると言っていた。
この事から真希も水や空気の魂を観測して呪霊の攻撃を避けていたのではなく、研ぎ澄まされた五感で水や空気を"面"として捉えそれによって呪霊の動きがよりハッキリ無駄なく分かっていたと考えられる。
というかそのように語っている。
呪霊が見えないにも関わらず直哉の攻撃を避けていた大道も真希と同様にある程度の精度で"面"として捉えているのだろう。
しかし、いくら"面"として捉えていても空中ジャンプや水面ダッシュをするには甚爾クラスのフィジカルが必要なためそれはできない。そんなところではないだろうか。
また、大道は無機物に宿る魂も感覚的に感じる事ができている。だから釈魂刀に宿る真衣の魂に語りかけたり、見えないはずの呪霊を認識できていると考えられる。
ONE PIECEのゾロも刀を握った途端にそれが妖刀であると察していた。つまり、魂を観測する第六感が開花していなくても、長年道具を使いこなしていたり、修行により五感が研ぎ澄まされる事により、"何かが"宿っている事までは感覚的に感じ取れるのだ。
付喪神といって物に魂が宿るという考え方は古くからあるし、様々な他作品において、呪霊などの超常現象めいたものが見えないにも関わらず、物に宿る魂を感じているキャラクターや作品というのは沢山ある。
実際、刃牙道という作品では、宮本武蔵が合成金属で作られた工場生産の刀を見て、「魂が入っていない」と語っている。
このようにある一つの極みにいる人間はその分野において超常現象めいたものを"感じる"事ができる。
この事からそのような考えは一般的に浸透している考えといえる。大道はハッキリと魂を観測できる第六感はないが、修行の果てに"何か"を感じる力が備わっている根拠にできる。
むしろ、甚爾や真希が全てを捨て去ってようやく見る事ができる魂を、大道が何の犠牲もなく見える事がおかしい。本人も「見えていない」と言っているから、甚爾達に見えて大道に見えない事を説明しなければならない。
その姿、声、形をハッキリ知るには第六感が必要だが、水や空気を"面"として捉える力は経験や修行によって獲得可能なのであり、魂の観測も長年の修行や道具の扱いに長けることで感覚的に感じ取れるようにはなるのだろう。
⑤ まとめ
甚爾は無機物の魂も観測できるが、五感が研ぎ澄まされただけで呪霊が見えるとは考えにくい。
何故なら呪霊は物質的に存在しているわけではないので、いくら視力が発達したからと言って物質的に存在しない呪霊を見る事はできない。
なら何故、呪霊を見る事ができるのか、それは魂を観測する第六感のようなものが目覚めていると考えられる。
甚爾と同じように、「それ以外の全てが見えている」大道は呪霊を認識できても見る事ができない。これは五感は甚爾のようにある程度のレベルまで研ぎ澄まされているが、第六感がない為、呪霊や魂の姿をハッキリと見る事ができない。
しかし、五感によって甚爾のように水や空気を"面"として捉える事で見えない呪霊の攻撃を避けることはできるし、長年の修行により魂の存在を何となく知覚する事はできている。
現実世界でも、我々も心霊スポットに行くと不気味な感じがしたりするだろう。そのレベルが一段上に上がると大道のようにより具体的に何かを感じる事ができるようになり、さらに脳の構造が違う呪術師は視認する事ができる。
我々の世界でも、目が見えない人は聴覚が発達するように、限られた情報から現実をイメージする力が格段に高くなったりするように、失ったものを補う能力が覚醒する場合がある。
つまり呪力を失った甚爾達もそれを補う為に五感が発達するだけでなく、呪力を補う為に魂を観測する第六感が生まれたのではないか。
もし大道が甚爾のように魂を観測できるなら呪霊が見えて然るべきだ。無機物の魂と水や空気を"面"で捉えるというのがややこしいが、物質的に存在しないものを甚爾達は見れて、大道に見えないことも説明がつかない。
甚爾や真希は天与呪縛によって、大道鋼は修行によって並の術師では見ることのできない景色が見えていると言える。
話は変わるがもし、甚爾が真人と戦っていたなら圧倒していたのではないだろうか。圧倒的なフィジカルにより触る事は出来ず、甚爾は魂を知覚しているため攻撃が全てクリティカルになり、領域に閉じ込められない上に、領域の必中効果も意味をなさない。呪具さえ持っていれば祓えない呪霊はいないだろう。
今回、真希は覚醒したが戦闘IQはまだまだ甚爾の方が上に感じる。スペック的には甚爾クラスに辿り着いたが今後は自身のスペックを活かす戦い方が見てみたい。
引用:
集英社発行「呪術廻戦」著者 芥見下々
画像は全て上記作品から引用しました。
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