ネタバレ注意!
最新話の内容を含みます!
① 解放
とうとう五条が解放された。
今までは五条じゃ宿儺に勝てないと思えるほど宿儺が強かったが、今週号の描写では宿儺では五条に勝てない気がしてきた。(笑)
とは言え一旦バトルはお預けのようだ。
決戦は12/24
それまで宿儺は羂索との約束を果たさねばならないようだ。
どんな約束なのだろう。
- 呪物にしてもらう約束
- 宿儺の器を作る約束
- 一億人呪霊と戦わせる約束
最も可能性が高いのは呪物にしてもらう約束、縛りを結んでいた事だ。しかし、その場合は器の魂を沈める浴をしていた事に説明がつかない。
呪物になる以外の約束事があるのかもしれない。その引き換えが死滅回遊に参加する事だと思ったが、羂索の約束は履行されていない。つまり、呪物にしてもらう代わりに死滅回遊に参加すると言う約束ではなかったと言う事だ。
宿儺が以前に一度呪物にしてもらい、以降は自力で魂を切り分ける方法を見つけたとして受肉できる器がなければ意味をなさない。器を用意させる約束をしていた可能性はないだろうか?
しかし、伏黒のように天然の器もいるし、これも可能性は低いだろう。
一億人呪霊と戦うのも何かしっくりこない。
うーん、約束とはなんだ?
羂索がやりたいことに繋がるものなのは間違いないはず。羂索の目的は天元と非術師の同化。しかし、これは死滅回遊さえ終わればぶっちゃけいつでもできる。つまり死滅回遊を終わらせる事では無いか?
いくら羂索と言えど全プレイヤーを皆殺しにするのは難しいだろう。だが宿儺なら一瞬で殺せる。そうなると五条が立ちはだかるのだが…
この話から考えると、羂索の目的は天元との同化とハッキリしているし、そのために死滅回遊の平定も必要と分かっている。
逆算すると羂索の果して貰う約束は
- 死滅回遊の平定
- 超重複同化に必要な呪力を分ける
宿儺にしかできない事があるのだろう。それが羂索の目的に必要な事だと。
言ってしまえばその約束が果たされれば宿儺が死のうが五条が生きていようが目的は達成できることになる。
羂索側のやって欲しい事は何となく想像つくが、宿儺が何を得たのかが分からない。約束と言うからには宿儺も何かをしてもらった、またはして貰うのだろう。
なんだろうか?
② 五条vs宿儺
羂索がやられそうになった時、介入したのは宿儺だったのだろう。
(引用:呪術廻戦/著者芥見下々)
五条が攻撃すると同時に目が2つある顔が差し込まれて「バウ!」と衝撃が走り宿儺と五条が手を合わせた。
恐らく、順転で引き寄せようとしたが宿儺が割って入り順転を無効化したか五条が辞めたかののどちらかだろう。
裏梅を吹っ飛ばした時の裏梅の吐血はちゃっかり無下限で弾かれてるのが描写が細かい。
どちらが強いのだろう。
領域は宿儺の方が上だろう。
体術は互角か無下限ガードがある分五条が上。
呪力総量は宿儺だろう。乙骨にビビらなかった石流がビビってた事で明白だろう。
反転術式が呪力を中和できることが分かった今、反転術式の精度が勝負を分けるかもしれない。そうなると宿儺に分があるだろう。
- 領域、呪力総量、反転術式は宿儺が上
- 体術は五条
こんな感じだろうか?
それで宿儺は指15本分しかない。うーん、五条でも厳しいか。
この五条のスカーフのようになった衣服が宿儺と手を合わせた時からなくなっている。これは恐らく五条本人は無下限で宿儺の斬撃を守っているが服は細切れにされてから無くなったのだろう。
(引用:呪術廻戦/著者芥見下々)
このヂリヂリ言ってる音も無下限が斬撃を凌いでいる音のように見える。
前回の津美紀の時もそうだが、今回も伏黒の抵抗によって呪力出力が下がってるようには見えない。今回も伏黒の抵抗が見えないので、五条との戦いによって伏黒が抵抗を始めて出力が落ちるという弱体化は期待できない。
③ 絶対的強者
なぜこの言葉を思い出している?
五条に猶予を与える事で孤独を埋めるほどの成長を期待しいたりしないか?
これを思い出すと言う事は、
- 五条が孤独を埋める相手
- 孤独ではなくなって弱くなった描写
こういう、らしく無い事を思ったりするキャラは弱くなっていたりする。何らかの迷いがある事でそのキャラのパフォーマンスが発揮されないのだ。この回想も宿儺的には唯我独尊ではなくなっている描写なのかもしれない。
「五条が孤独を埋める相手かもしれない、それならば猶予を与えるついでに羂索との約束を果たすか」このように思案しているようにも見える。
あるいは残りの指を集めないと勝てない相手と思っているか。うーん、何となくそれも違う気がする。
- 五条の成長を待っている
- 指を集めて互角に戦いたい
- 唯我独尊ではなくなっている
この言葉を思い出すと言う事は集団の中で測っているように見える。それは自由ではない。自由であるものこそがこの作品では強い事になっている。
覚醒した真希も三与から自由を教わったし、甚爾も呪力から解放されたから強かったし、真人も自由故に強かった。オガミ婆やあべこべオッサンも自由だから強かった。
つまり、この漫画では強いものほど自由なのだ。
このタイミングでこの言葉を思い出すのは、渋谷事変で漏瑚に言った事をそのまま自分がやり始めているように見える。
④ 五条のやりたい事
遺言(笑)
いや、割とあると思うんだよ。後進に意志を託すというのは。
何がしか伝えられるものや、伝えられる技術などを見せておく、特訓によって仲間を強くする。色々考えられるが、呪術界を良くすること、日本を守ること、後進に意志と技術を託すこと、やはりこういった類いのものだろう。
⑤ 呪術全盛
そもそも、領域展開、反転術式が標準装備の平安時代で術師が総力をあげても勝てなかったのが宿儺だ。それだけ平均値の高い時代なら五条級の六眼がいない事がおかしい。
しかし、宿儺が六眼持ちの事を知っているか知らないのか分からないような描写が多いが、むしろいないことの方が不自然だと思う。
何故なら天元の同化が500年おきで、現在天元の中には2人宿っている事が分かっているからだ。
つまり最低でも天元は1500歳であり、1000年前に1度目、500年前に2度目、3度目が現代の天内理子だった。
そして、天元と六眼と星漿体は因果で繋がっている。つまり、1000年前にも天元は同化しており、同化していると言う事は羂索から守った六眼持ちがいたはずだし、それなら宿儺と戦っていてもおかしく無いはずだ。
六眼の強さを知っていながら獄門疆での封印が失敗したら宿儺に殺してもらおうとしたり、鹿紫雲に宿儺が最強の術師だと言っているように、やはり宿儺の方が強いのだろう。
ひょっとして、羂索のいう約束は獄門疆がダメだったら五条を殺す、獄門疆が成功して天元を取り込んだらこの内容を果して貰うなどがいくつか取り決めをしているのかもしれない。
⑥ 魔のもの
天使の術式により、五条が解放されたが獄門疆裏ごと消えてしまった。
その際に天使が、「魔のものだったんじゃ無いですか?だから私達の光で消えた」と語っていた。何気に重要なワードである。
(引用:呪術廻戦/著者芥見下々)
つまり呪物や呪霊、受肉体など人の害となるものは「魔」と判別され消されると言う事だ。
この「魔」と判定するのは誰なのか?どう判定するのか?
- 天使が決める
- 術式が決める
- 天使の言う神の理(戒律)
- そもそも「魔」は光に耐えられない
- 術式
天使が決めるなら来栖が知っていてもいいような気がする。
天使の術式は発動しても来栖の意志で止める事ができる。それなら術式の自動判定した結果についても知ってそうな気もする。
戒律とは恐らく器の自我を沈めること。というか不当に人の魂を傷つける事に天使は嫌悪感を覚えているのだろう。魂を傷つけるもの「魔」と判断して浄化する。しかし、この場合、まだ受肉していない呪物や獄門疆などの呪物を消せる事が説明つかない。
そう考えると「魔」にある程度共通しているものがある。術式だ。術式の持ち主がどんな人間であれ、術式とは先天的に刻まれているもので生まれながらに持っているものである。これが罪であると考えられて「魔」と判断されるのでは無いだろうか?
しかし、術式を持つ事が罪になるなら五条も問答無用で消されてしまう。
加えて呪霊に囚われた軍人が天使によって救われるシーンがあった。
(引用:呪術廻戦/著者芥見下々)
人を殺めるまたは日本人の拉致を厭わない軍人が天使の光を浴びても消えないと言う事は、その人間の過去を判別するわけでは無いと言う事だ。つまり「魔」ではない。
しかし、受肉した宿儺や呪霊、獄門疆は消されてしまった。軍人にはなく彼らにあるものは何だろうか?
- 一定量以上の呪力
- 術式
- 器の自我を沈めている、つまり魂を傷つけている
しかし、術式があるだけなら伏黒や五条も消されてしまうだろう。やはり魂を傷つけているかどうかが分かれ目なのだろうか?
宿儺は受肉するだけでなく、浴によってさらに深く傷つけて沈めている。これが天使には許せない事なのだろう。恐らく術式が判断していると言うより、魔のものは術式に耐えられないのだろう。
そう考えると天使のいう神の理も分かるようでふわっとしている。もしキリスト教を全面に出すならやはりこの逸話を考える必要があるだろう。
人は生まれながらに罪を背負っている。キリスト教で言うところのアダムがエデンのリンゴを食べた事でアダムの子孫である人類は生まれながらに罪を背負っているという神話だ。生まれながらに術式が刻まれているものはアダムから罪を引き継いでいるのでは無いか?
天使の術式はそれを「魔」と判別しているのでは無いだろうか?
そしてこの「魔」は浴の説明の時にも登場していた。
天使が宿儺を葬りたい事と、天使の戒律と、堕天という呼び名、この「魔」というワードは結びついていると考えられる。
(引用:呪術廻戦/著者芥見下々)
堕天使にはいくつか由来があり高慢や嫉妬によって悪魔になるそうだが、自由の意志によって悪魔即ち堕天になるものがあると言う。自由の意志を持った天使は神に反発し、地上に降りて人間に、さらに堕ちて悪魔になるという。この設定の方が宿儺のイメージにピッタリである。
ここでもやはりキリスト教が出てくる。呪術廻戦には仏教だけでなくキリスト教の要素も強いようだ。
- 「魔」のものは天使の術式で消える。
- 魔には受肉体や呪物も含まれる
- 浴によって「魔」に近づく
突拍子もない話になるがキリスト教を正確にオマージュするなら、天界に神が存在し、宿儺と天使が存在した。自由意志を持った宿儺は地上に降りて人間となり、そこで浴を行なうことでさらに下の存在である悪魔即ち「魔」に近づこうとした。それを許さない神が天使を使って消そうとしていた。
流石にキリスト教過ぎるが、「魔」のものが天使の術式で消される以上、天使の言う神の理に反しているのは間違いない。
呪物と呪霊、受肉と今まで3種類天使によって消されており、呪霊に囚われていた軍人は光を浴びても無傷だった。
彼は軍人なので派遣先で人を殺めた事があるはずだし、彼らはそもそも日本人を拉致するために派遣されたので、人を傷つける事を厭わない人物達である。なのに天使の術式で消されなかったと言う事は、人間性や過去にした事は「魔」と判別されない事になる。
そのため「魔」とは人間性ではなく別の何かである必要があるのだ。
そして術師なら問答無用で消されてしまうので、やはり魂を傷つけるもの=「魔」のものとなり、天使の光に耐えられないのだろう。