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① 伏黒宿儺
現在、宿儺は伏黒に受肉しており宿儺の術式に加えて伏黒の十種影法術が使用できている。最新話で宿儺が魔虚羅を召喚していた。十種影法術の式神は2体の玉犬を使って他の式神と戦い、勝つ事でその式神を使役できるようになる。そして最新話で魔虚羅を召喚していた事で調伏しているのか?していないのか?の議論が起きている。
結論から言うと、伏黒宿儺は魔虚羅を調伏していると思っている。
② 調伏の根拠
- 宿儺の「慣らし運転にはちょうどいい」発言
- 作中での時間経過
- 伏黒の肉体の変化
- 調伏はどこで行われているのか?
この4つである。
渋谷事変で伏黒が魔虚羅を召喚し調伏の儀を行った際は、複数人での調伏は無効だし、異分子の宿儺が調伏の儀そのものもをなかった事にする事で伏黒を救った。つまり、渋谷事変の調伏の儀は無かった事になり今回は考慮しない事にする。
1つ目に関してはそもそも手に入れてなければこんな発言は出てこないだろう。車を持っている方ならすんなりと言葉通りに受け取れる文脈だと思う。つまり、魔虚羅を調伏し自在に使役できて、実戦初投入だから「慣らし運転」と言う言葉が出たのだ。
2つ目は時間経過だ。東京から京都に向かいそこで浴を行なって仙台に向かった。仙台に行くまで何週間も京都で浴を行なったとは考えにくいので恐らく数日間の滞在だろう。そのため魔虚羅を調伏する時間はいくらでもあったと考えられる。まして初見殺しの魔虚羅を一度見ているため調伏するのは簡単だろう。そもそも調伏自体、何日もかかるものではあるまい。渋谷での宿儺と魔虚羅の戦いも時間にしたら恐らく数十分からせいぜい1時間だろう。
3つ目は伏黒の身体の変化である。
(引用:呪術廻戦 著者芥見下々)
指先に切り傷のようなものが生まれ、戦闘中も気にしている状態だった。そしてこの描写は浴から上がった後に起きたものだ。
浴から上がる→指先に異変が起きている→原因が分かる→原因解決のために津美紀を殺しにいく
この順番である。つまり、浴をおこなって身体の異変が起きたのは宿儺には予想外の事態であり、最初から浴から上がったら津美紀を殺しに行くつもりだったわけではない。
あくまであの異変が起きたから津美紀を殺しに行く必要ができたわけでそうでなければゆっくり浴をして体を仕上げただろう。そのため急いで津美紀を殺す必要ができたと言うことは、浴から上がって調伏する暇はなかった可能性がある。
そうなると移動中、または考えられない速度で調伏を済ませたかの2択しかない。
4つ目はあまり描かれていない。何となく高専内で行ってたりするのだろうと思ってた。渋谷事変で魔虚羅を召喚した事により現実世界に顕現させて戦う事が判明した。そのため調伏の儀は現実世界で行うと考えていい。
しかし、本当にそうだろうか?伏黒の十種影法術は式神を操るだけではない。言ってしまえば影そのものを操る術式と言っていい。影の中にものをしまったり、自分や他者を引きずり込めるくらいだ。影の中で何かを行うこともできるだろう。それならば影の中でも調伏の儀式を行うこともできるのではないだろうか?実際レジィとの戦闘では影の中に沈めたりしたので、戦闘が行えても不思議ではない。
そう考えれば浴から出た宿儺と魔虚羅を召喚した際のこの描写も似ている事にも説明できる。
(引用:呪術廻戦 著者芥見下々)
もっというなら生得領域内でもできるのではないか?
実際、生得領域内でも術式は使えるし戦闘も行える。虎杖が初めて契闊の縛りを結ばされた時の戦闘がまさしくその代表例だ。
(引用:呪術廻戦 著者芥見下々)
と言う事は生得領域内でも調伏の儀は行えるのではないだろうか。
③ 調伏の儀が影や生得領域内でできるなら
浴と並行してできるのがメリットとなる。そもそも浴とは呪力の液に器具を十月十日漬け込む事で呪具にする儀式の事だ。流石に十月十日経ったとは考えられない。羂索の傷のダメージを見ても九十九とのバトルから数日ほどだろう。その間、呪力の液に浸かり続けるとは考えにくいが、もし影や生得領域内で調伏の儀ができるなら浴の最中にも可能だろうから、その分長く浸かって浴の効果を高めるか、浴としての儀式が成り立つだろう。
④ 宿儺と虎杖の受肉と華と天使の共生の違い
我々は受肉したキャラクターの生得領域は宿儺のものしか見た事ない。そのため、虎杖には元々自分自身の生得領域はあるのか?あるとしたらどこにあるのか?宿儺に上書きされてるのか?かがわからない。
(引用:呪術廻戦 著者芥見下々)
これを読む限り非術師にも生得領域はあるようだ。そして宿儺自身も言っているように心の中であるが、その風景は虎杖自身のものとは思えない。考えられるのは2つ
- 宿儺のものに上書きされている
- 宿儺の生得領域と虎杖の生得領域は別々に虎杖自身の中に存在している
最も簡単に考えられるのは宿儺のものに上書きされている事だ。これなら作中の描写と矛盾しない。しかし、その場合虎杖の心や魂はどうなるのか、が問題となる。
恐らく本来であれば生得領域が上書きされた場合、元々あった生得領域すなわち心が押し殺されて上書きした者の生得領域内のどこか隅っこか奥底にか細く存在するのではなかろうか。
そのため虎杖が異端なのだ。普通なら押し殺されて宿儺の生得領域の奥底に沈むはずなのに普通に宿儺の生得領域内で存在できている。恐らくこれが虎杖の器の耐性たる所以と宿儺と虎杖の関係性である。
もう一つの可能性については、1つの肉体に2つの生得領域が存在している事になる。それなら来栖華と天使の共生関係に説明がつく。
宿儺曰く、宿儺と虎杖とは違い来栖華と天使は共生関係であるという。パッと見たいした違いは無さそうだが、天使が器の自我を押し殺し沈める事に反対なので、器の生得領域(心)を上書きせず、別々の生得領域を構築する事で来栖の心を沈めずに済んでいるのではないか?
天使の場合は天使自身がそれを選んでいるので問題ないが、虎杖の方はやはり異常である。
恐らく宿儺は初めて虎杖に受肉した時、契闊の縛りを結んだ時のように何度も虎杖に捌を放って3枚に卸していただろう。普通はそこで宿儺に上書きされた生得領域内で奥底に沈むはずの心が虎杖の場合は何故か沈まない。これは虎杖の身体に秘密があると言うより、虎杖の魂や心に秘密があるのではないだろうか?
⑤ そもそも虎杖に心はあるのか?
本誌の内容でも虎杖のパワーアップが著しい。宿儺が驚くほどの身体能力を手に入れている。宿儺が出ていったからだけでは説明できない。そして宿儺が抜けているので呪力のない状態だろう。つまり呪力強化という線も薄いはずだ。そもそも呪力があって扱えるなら宿儺の指を飲まずに戦えるし、今まで呪霊を見た事なかったわけだから、宿儺が抜けた今呪力がないのが普通である。
虎杖パワーアップの理由は
- 甚爾のように実は呪力が完全に0だった
- 天与呪縛で術式を剝奪された
- 天与呪縛で心ないし魂がない
実は作中で明記されてなかっただけで虎杖も元々呪力が完全に0だったら腑に落ちる。1話で真希と同じタイプという発言があったように、呪力が0という可能性も十分ある。呪力がないため呪霊を祓えないから宿儺の指を取り込んだわけだから矛盾も生じない。しかし、もっと作中で明言されていいし甚爾の回で説明があってもいい。なのに無いということは、やはり別の形で天与呪縛が働いているのだろうか?そうなると重要なのは虎杖が何の天与呪縛を受けているかだ。
小文節① 術式は魂に刻まれているのではないか?
術式は生まれながらに体に刻まれているという作中の説明があるが、真人が言うように肉体の先に魂があり、肉体は魂の形に引っ張られるなら術式はまず魂に刻まれ、魂に刻まれているから肉体にも刻まれるという順番だと考えられる。
羂索が言うように、「魂は肉体であり(真人の理論)、肉体は魂(羂索の理論)なのだよ」
(引用:呪術廻戦 著者芥見下々)
恐らく羂索が乗っ取り先の術式を使えるのは、魂の情報(術式)も肉体に刻まれているので羂索が乗っ取っても乗っ取り先の術式を使えるという理屈なのだろう。
思えば夜蛾学長の完全自立型呪骸の作り方も、魂の情報を肉体からコピーしてという仕組みだった。逆も然りと考えていい。
(引用:呪術廻戦 著者芥見下々)
天与呪縛で術式が奪われると言う事は、本来術式が刻まれるほどのキャパがある生得領域、つまり心や魂に余白が生まれることになる。言ってしまえば大量のテレビ番組を録画するために大容量のハードディスクを用意したのに、テレビがなくなったのでまっさらな状態のハードディスクのみが残ったようなものだ。
結果として宿儺のような強大な魂が入っても問題のない状態となっている。フィジカルギフテッドの天与呪縛とはこのような形になっているのではないだろうか。
しかし、この仮説の場合伏黒に受肉できたことに説明がつかない。やはり肉体的な強さなのだろうか?そうなると伏黒も呪力無しの状態で虎杖並みの身体能力があることになる。
突拍子もない話だが、もし虎杖に心がなかったとしたら?何らかの形で肉体から心を奪うような呪縛が発生したりしたらどうなるのだろうか?その呪縛により新たに心を受け入れると考えたらどうだろうか?理屈では宿儺の魂が入っても問題ない事になる。
しかし、虎杖には感情があるし、生得領域内で宿儺の魂と虎杖の魂は個別に存在している。これではあり得ないだろう。
小文節② 宿儺の器とは?
虎杖にしか受肉できないなら話は簡単なのだが、伏黒にも受肉できる事を説明しなければならない。なんなら過去にも浴を行なっているので、過去にも伏黒のように受肉した人物がいた可能性が高い。そのため、虎杖の特殊性で説明できないのだ。
宿儺の器を満たす条件が存在するのだろう。
- 天与呪縛のフィジカルギフテッド
- 強力な術式持ち
現在分かっていることは上記のいずれかに該当するものが宿儺の器たり得ていることだ。
恐らくこの2つはそれぞれ別々の理由で宿儺の器の条件を満たしていると考えている。
全く根拠もないにもないので説得力がないのだが、天与呪縛のフィジカルギフテッドは、生得領域に術式が刻まれる=魂に術式が刻まれるはずが、術式が刻まれない事により空白のキャパが存在し、宿儺が受肉しても死なずに済むし、呪縛により肉体も強靭なので毒耐性があると考えられる。
強力な術式を持っている人間は、例外なく強いし、何なら死後に特級呪霊になったものもいる。つまり、強力な術式は、強靭な魂に刻まれるのではないだろうか?
ケータイの容量がカツカツだとアプリをインストールできなかったり動きが悪かったりするように、ケータイの容量が大きい=生得領域(魂)のキャパが広い=大容量のアプリ(強力な術式)が刻まれるのではないか?そのため宿儺すらもインストールできるのではないだろうか。
⑦ 宿儺は何度目の受肉なのか?
浴を行い、その結果の1つとして器の自我を再起不能なほど奥深くに沈めることができる。これは何度か行っていないと分からないことだろう。ひょっとすると宿儺は羂索と同じように、今回の伏黒と同じように色んな身体を渡り歩いているから様々な術式が使えるのではないだろうか?
今までは宿儺の術式は他者の術式を取り込むという術式なのではないか?という考察がメインだった。しかし、自力で指に魂を切り分けて特級呪物を作り出し、伏黒に受肉し、その身体を何度も行なっている浴で仕上げるという作業をして伏黒の身体を術式ごと支配する行為を過去にもしていた事が分かっているので、これはつまり宿儺が複数の術式を使えるのは羂索のように身体を乗っ取っているからではないだろうか?
もっというなら肉体というより魂を取り込んでいるのではないだろうか?他者の肉体と魂を丸ごと取り込む。これは天元とそっくりである。進化した天元が宿儺にそっくりだったのもこれが原因なのではないだろうか。
(引用:呪術廻戦 著者芥見下々)
この場合なぜ脳のメモリがはち切れないのか?という疑問が残るが、それは恐らく使いたい術式が刻まれている魂を自身の生得領域から取り出しているからではないだろうか?
つまり、宿儺といえど宿儺自身の魂に刻まれる術式は1つが限界だが、術式が刻まれた魂を自身の生得領域内に保存する事で脳のメモリが焼き切れないようにしているのだ。■開(フーガ)もこのイメージにピッタリである。
そしてこれなら最新話で、御厨子に鉤括弧がついていないことにも納得できる。術式名には鉤括弧がつくのが恒例で、実際万の構築術式には鉤括弧がついている。しかし、宿儺に向けて喋った御厨子にはついていない。そもそも御厨子とは、取り込んだ魂の術式を使う事を指しているのではないだろうか?
そうなると、万が「あなた以外の術式で触るなんて!!」と激怒していた事は説明できないが、鉤括弧がつかない事は説明できる。
御厨子とは、宿儺の体質を活かした受肉と浴によって受肉先の術式を取り込む事なのではないだろうか?
⑧ まとめ
話はそれだがまとめると
- 京都で浴を行なっているし、渋谷事変での戦闘を見る限り調伏の儀にかかる時間は数十分から1時間ほど。未調伏の式神を全て調伏したとしてもせいぜい4時間ほどなので調伏する時間は十分ある。
- 仮に浴を1日だけしてすぐに仙台へ向かったとしても生得領域内で宿儺が術式を使って虎杖の頭を切断したり、真人を切り裂いたりした事から、生得領域内での術式の使用と戦闘は行えるので、調伏の儀も行える可能性がある
- 術式は生得領域に刻まれていると考えられるので、今回の伏黒のように乗っ取った器の魂を浴で奥底に沈め、宿儺自身の生得領域に伏黒の魂を保存できるなら、■開(フーガ)で術式を切り替える事にも、脳のメモリがはち切れない事にも、御厨子に鉤括弧がつかない事にも説明がつく