呪術廻戦の最新話の内容となってます。
未読の方はご注意下さい。
関連動画↓
https://youtu.be/CorrHeb4fTo?si=T6Ed6uWd9-tKqswH
https://youtu.be/DfODJAEGkVU?si=5Pkcn6oPACgsZTjs
https://youtu.be/avTd9FAUEMU?si=-QPkRq7zrTG80cW6
https://youtu.be/DJZ7PYDNjSE?si=I4WZJFFL11GgRO4Q
① 秤vs裏梅
さっそく秤は領域展開を仕掛ける。
しかし、裏梅は千年前の術師である。簡易領域や彌虚葛籠などの領域対策は持ち合わせているだろうし、自身も領域展開できるだろう。
裏梅は今まで反転術式や洗練度の高い氷擬呪法を持ち合わせてる術師である。これで領域対策や領域展開を持ち合わせていない方が不自然である。
秤が裏梅を領域に閉じ込めた後に、宿儺と鹿紫雲が会話始めるが、その最中も上空には秤の領域が描かれている。この事から裏梅は領域展開はしておらず、秤の領域内でバトルを繰り広げているものと思われる。
しかし、考えるべきは
- 領域の上書き
- 領域対策
である。
秤の領域は大当たりを引いての不死身モードがなければ領域対策を持ち合わせていない雑魚なので、十中八九大当たりを引くだろう。
つまり、大当たりを引かせなければいい。
そのためにできる事は領域の上書きが考えられる。
漏瑚が五条を領域に閉じ込めた後に、五条が領域を展開する事で塗り替えが起こったように、この状態からでも領域展開は可能であり、洗練度に差があれば上書きもできるはず。
しかし、宿儺と鹿紫雲が会話している中、秤の領域がそのままなので、裏梅は領域展開していないと思われる。
- 裏梅は領域展開できない
- 必中効果が無害な領域は上書きできない
先程も述べたが、裏梅が領域展開出来ないとは考えにくい。
裏梅自身の実力を考慮しても、そして千年前は必殺を省く事で領域展開習得の難易度が下がっていた事から、まぁまず領域展開できると考えていい。
メタ的にも裏梅が領域展開できないのは盛り下がる。
領域展開できるのに、領域展開していないと言う事は、領域展開をする意味がない事に他ならない。
つまり、必中効果が無害な領域は押し合いに強く、術式発動も早く、加えて上書きされない仕様もあるのではないだろうか?
だから裏梅は領域展開していないのだろう。
では、秤が裏梅を倒せるのかどうかだが、相性は悪いが主人公側補正でいい勝負を演じて、ヤバいところを高専側が救援するという形になるのではないだろうか。
秤の術式は領域展開の大当たりによる不死身の体術と、フルオートの反転術式、電車の車両ドアによる攻撃など、主に体術をメインとし、そこに領域のギミックを使った物理攻撃が加わる。
しかし、裏梅の氷擬呪法は相手を凍らせる事ができる。真希が身動き取れなくなっていた事を考えても、呪力の制限解除された秤のフィジカルを持ってしても凍らされたら動けなくなるかもしれない。
そもそも不意打ちとは言え真希を凍らせると言う事は術式発動のスピードやキレ、範囲も桁違いと言う事に他ならない。秤も間違いなく凍らされるだろう。
もしここで氷をすんなり破って出てくるなら、大当たり秤>真希というフィジカルの力関係が明確になる。
鹿紫雲は秤の体術に付き合ってくれたが、そもそも裏梅はそんなものに付き合う性格ではないだろう。今の所、裏梅がフィジカルに優れている描写はないので尚更である。
従って4分11秒間のらりくらりと捌けばいいわけだが、その点氷擬呪法はうってつけの術式である。
相手を凍らせるもよし、自分を凍らせて氷のシェルターに引き篭もるもよし、上空から氷柱を落としまくって妨害するもよし、時間を稼ぐと言う事に関してかなり長けた術式なので、秤と言えど一筋縄ではいかないだろう。
なので、ここで決着はせず日下部あたりが救援に来て2vs1の構図になるのではないだろうか?
というか、裏梅は素手で西宮の鎌鼬を払ったりしてるわけだから体術、呪力強化の洗練度もかなり高いと思うのだが。
相手が五条だったり、初手で有毒性を見切るのが困難な腸相の尖血を貰ったから体術が弱く見えているが、実際は腸相や日車クラスはあるだろう。
② 神武解
名前に反して雷属性の呪具だった。
とは言えこの名前からして、雷を出すだけとは思えない。雷系なら麒麟とかインドラとか他にも色んな名前の候補がある。
にも関わらず、神の武が解けると書いて「神武解」まだ他に何か秘密があるように思えてならない。
刃となっている方から雷が出て、反対側の帯がついてる方の法陣のような部分は術式解除や絶対防御などの特殊効果が使えるなど、1つの呪具に2つの効果が付与されている呪具だったりしないだろうか?
まぁ、雷の規模も鹿紫雲の雷とは比較にならない規模なので、これだけでも十分チートではあるが、どうしても名前が引っかかる。
③ 最強
どうやら最強と共同体は対立関係にあるらしい。宿儺が贅沢と言う事はそうなのだろう。
- 「他者との繋がりを持ったまま最強になろうとは贅沢だ」
- 「俺は生きるのに孤独な最強になるしかなかったが、お前らは両方手にできる環境に生まれ、両立を望んでいる、強欲だな」
- 「他者との共同体は最強として生まれても手に入る。しかし、本当に最強になるには共同体は手放さねばならない」
この辺が考えられる事ではないだろうか。
まぁ、普通に考えれば1か2だろう。
五条が夏油を置いてけぼりにして最強に成ったように、最強とは孤立する事に他ならない。
その立場になっているのに、なお他者との繋がりまで求めているのだから強欲だと言われても仕方ないだろう。
とは言え、それに徹しきれていなかったのが五条と鹿紫雲である。
そして本人達も今の立ち位置の最強と言う形が最高到達点であり、それ以上があるように感じられながらも到達できない。
それでいて孤独まで感じている。だから宿儺に教えて欲しいのだろう。
あるいは「忌み子」という発言。
ここから考えるに、宿儺は生まれた時点からあの異形だった可能性が高い。
筆者は全く別の考察をしているが、少なくても異形が生まれつきと言う可能性は高まったと言えるだろう。
そしてあの異形だ。生きるのに相当苦労したはず。迫害されないわけない。そして迫害とは「他者の価値観から評価される、生きる」事に他ならない。
だから宿儺は漏瑚に向けて「寄り合いの中で自らの価値を測るから矮小になる」と語ったのだろう。
あの人のように生きなくちゃならない、あの人みたいにしっかりしなきゃいけない、そんな事を考えていたら心が壊れてしまう。それは他者の物差しで生きる事だ。
そうではない。自分の価値観で生きる事が大切なのだ、と宿儺は言いたかったのだろう。
異形という姿に生まれた事で迫害を受けた宿儺。その世界で生きるためには普通の人間として暮らすのではなく、自分の物差し、自分の価値観、自分の想いで生きるしかない。そしてそれは力づくで実行するしかない。
そのため、宿儺は最強に成ってしまった。本来は普通の人間のように愛されて生きたかったかもしれない。
しかし、異形として生まれた宿儺にその選択肢はなかった。
他者の価値観で生きるなら、異形として生まれただけでなく、この異形というアイデンティティまで押し殺してひっそりと生きねばならない。
それに宿儺は我慢ならず、孤高の最強と言う道を選んだ。選ぶしかなかった。
しかし、鹿紫雲や五条は選ぼうと思えば他者を慈しむ方向で生きれたし、両方手に入れようとして、手に入れられる。
何故なら異形ではないから。
だから強欲だと言ったのではないだろうか。
これらの事から1か2、あるいは両方が宿儺の根底にあり、それを持ってして鹿紫雲に強欲だと言ったと思われるが、筆者は3を考えている。
漏瑚に向けた言葉や万の「愛を教えるのはこの私!」と言う発言に対して笑ったのも、何か引っかかる。
そう、宿儺は愛を知っているのではないか?
この可能性が筆者にはずっと片隅にこびりついているのだ。
漏瑚に向けたように、他者の物差しで生きるから勝手に限界が決まり、それ故に弱く成っていくという発言も、一度はその価値観を体験していないと出てこない言葉、考え方だろう。
万の言葉に笑ったのも、「お前のような弱い人間が俺に愛を教えられると思うな」という意味に見えるだろうが、それだけとは思えない。
何故ならあの時点で万は「宿儺は愛を知っている?!」と考えたからだ。
「宿儺は強いが故に他者との繋がりが持てない、だからあんな寂しい切り口だった、でも私が愛してあげる、私ならあなたの隣に並び立てる」という意味で発言したが、
「え?宿儺は愛を知ってるの?でもそれは違う、あなたが知ってるソレは愛じゃない!」と言っているこの事から、
- 万は強者として宿儺を愛したい
- しかし、宿儺は強者としての愛ではない、別の愛を知っている
- 万はそれが許せなかった、認めたくなかった
- だから「違う!それは愛じゃない!」と言った
このような構図が成り立つ。
つまり、万や五条、鹿紫雲が宿儺に対して思っている孤高の侘しさとは別に、宿儺はちゃんと愛を知っているのだろう。それを知った上で孤高を目指した。そう言いたいのだろう。
要は宿儺はちゃんと母親に愛されていたのではないか?こう考えられるわけだ。
現実的に考えて、生まれたばかりの子供が生きられるわけない。必ず一定の年齢になるまでは育てて貰わなければならない。
特に筆者自身も2児の父であり、最近マンガを読むたびに、「こんな悪役でも親に育ててもらってるんよなぁ、つまり多少なりとも親から愛されてるんよなぁ」と感慨深く読んでいる。(笑)
そして「どうかな、少なくとも忌み子ではあっただろうな」と宿儺が語っていた事から
- 生まれつき異形で生まれてすぐ捨てられたが、誰かに拾われた
- 親はある程度の年齢まで育ててくれたが、異形の子を育てていると噂され両親は殺害されて1人で生きてきた
このようなパターンが考えられるだろう。
筆者はどちらもあり得ると思っている。
例えば生まれてすぐに捨てられた場合、赤ん坊なので当然生きられない。
しかし、そこに慈悲深き女性が現れ宿儺を育てた。ところがある日、宿儺の異形がバレてしまい、村人から女性は殺害された。
このパターンなら「忌み子ではあっただろうな」とまるで他人事のように客観視した言い回しをしてる事に筋が通る。
要は自分を育てたのが実の両親であろうと無かろうと、親は迫害していない。
しかし、親以外の人は迫害し、親を殺害した。それなら自分自身を忌み子だと自覚して無くても、周りから見たら忌み子なんだなと知る事はできる。客観視した言い方をしている事にも説明がつく。
そして宿儺を拾ったのが呪霊だったらどうだろうか?
来栖華が子供を攫って育てる呪霊に一年近く育てられていた事を考えると、幼い宿儺が呪霊に育てられていたとしてもおかしくはない。
あの異形ももしかすると呪霊が人を攫い、人肉を宿儺に食べさせた結果あのような異形あるいは紋様が刻まれていったと考える事もできる。
来栖の実例がある以上ない話ではない。
人間なのに呪いの王という意味も筋が通る。
これまでは産みの親が宿儺を捨てたパターンだった。親に捨てられた事で、「俺は忌み子なんだ」と自覚した事を説明つけるためにその方向性から考察した。
しかし、次は親が育ててくれたパターンを考察する。
つまり、親は異形の宿儺を愛していたと言う事だ。これは万が「宿儺は愛を知ってるの?いい!それは愛じゃない!」と言った事を強く回収できる。
つまり、宿儺からすると万の愛などありがた迷惑もいいところで、本当は親から愛を教えてもらっていた。
しかし、自身の異形が原因で殺されてしまい、闇に堕ちてしまった。
そこから、異形→自分達普通の人間とは違う→化け物だ!殺せ!という価値観がある事を知り、それに囚われず生きていく、唯我独尊の思想に至った。こんな考え方もできる。
そもそも宿儺は、「最強に成ったのか?生まれながら最強だったのか」という問いに対して「どうかな」と言っているので、本人にも答えは分からないのだろう。
つまり、最強という概念すらも気にしてないのかもしれない。最強というのも誰かと比べているから成り立つ概念であり、最初から自分以外は弱者と思っていれば自分が最強とか思う意味すらないのだろう。
④ 完全体
とうとう千年前の姿になってしまった。
とは言え、宿儺の魂を取り出しさえすれば何とかなるかもしれない。
逆を言うと天使の術式では救出不可能になったと言っていい。
そして肉体が修復しているのだから、当然脳も修復しているだろう。宿儺の反転術式は237話でも描かれている。
鹿紫雲に神武解で雷を放った際は左顔面は真っ赤に染まってるが、鹿紫雲に「贅沢者め」と言っているシーンでは顔面は修復され眼が潰れているだけになっている。
つまり、この時でも反転術式は使用可能であり、出力がダメージで落ちてるから戻せなかっただけなのだ。
そして今は完全体になった。
ダメージは残ってるかもしれないが、肉体的な損傷は回復したので出力は元通りになっているだろう。呪力量は回復していないだろうが、出力は元通りだと思うので反転術式はバンバン使うだろう。
もしかするとこの体だと、呪力の自己補完が早いとかそういう副次的な効果もあるかもしれない。
どちらにせよフィジカルは今までと比べものにならないだろうから、鹿紫雲は苦戦するだろう。